昨年9月、岐阜市で日本計量学会の「計量史をさぐる会」が開かれた。岐阜市は私淑する澤田吾一の生誕の地。人生を二度生きた大学者として古代史関係者には著名な澤田吾一も、計量史関係者や地元ではあまり知られていないようなので、時間をいただき紹介した。
岐阜市出身の西脇康氏(計量史学会副会長)も「沢田吾一は岐阜県人の百人に入っていませんね」と言う。たしかに、同郷の後輩高木貞治(世界的な数学者)に一歩ゆずるとしても、東京高商(現一橋大)の数学教授として明治の数学界をリードした事実だけでも「百人」にふさわしいと思うのに、還暦を過ぎてから書いた不朽の名論文「奈良時代の民政経済史」がある。その研究は、時代を越えて70年間に4回も再版され、現在でもしばしば引用され、無条件に古代史分野における最高論文なのである。人生二毛作の時代を先取りした大達人としても、もっと注目されてしかるべきだ。
どうして、それが評価されていないのか。そして思い当った。それは沢田吾一の研究がアマチュアのものと見なされたからに違いないと。事実、彼の長男で理学博士の沢田弘貞の回想によっても、それは親父の老後の道楽程度にしか認識されていなかった。
沢田吾一は文久元年(1861)岐阜市野一色の生まれ。東京高商数学教授を退任して、還暦を迎える直前に東大国史科に再入学する。恵まれた平成時代にあっても、ふたつの人生に挑戦し成功するのは稀有のことである。まさに、伊能忠敬と共に日本を代表する二毛作の人生であった。
ところで私が沢田吾一に私淑するのには訳がある。彼が奈良朝の研究を通して、古代計量史の分野でも大きな足跡を残しており、狩谷えき斎と共に計量史の巻頭を飾るべき人物だからである。しかもアマチュアとしての業績である。私も会社人生を無事に終えてから、韓国の大学の教授になり、アマチュアとして古代尺の研究に邁進している。昨年はその成果の一部について読売新聞が大きく紹介してくれた。めざせ沢田吾一なのである。
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