ホーム・計量計測データバンク寄稿・エッセー寄稿・エッセー2006年一覧>吉田和彦

神楽と仏像を楽しみながら探る計量史

日本計量史学会会員 吉田和彦  

北国の民俗芸能

 本州北端の下北地方に「能舞」と言う里神楽がある。また、遠野物語で知られる、岩手の遠野郷近くの早池峰山麓の「早池峰神楽」は、中央で能との共演も行う。

 いずれも旧南部氏領内の「国指定重要無形民俗文化財」である。

 古典芸能の能・文楽・猿楽・田楽、また、神話などを取り入れた民俗芸能は全国各地にある。

 民俗芸能とは、伝統的に口伝えなどの文書以外の方法で伝承される、夫々の地域固有の里神楽他の芸能のことである。

 東北は神話を除き、古いのは平氏の亡霊供養を演ずるものが目につくので、平氏滅亡前後の平安中、後期以降に陸奥の国に到来したと思われる。

 これを持ち込み、地域のお宮や神社を拠点に広めたのは、修験系の山伏や神職達と言われる。

 同じ頃、義経、弁慶一行が山伏姿に身を扮して平泉に落ちるのも、山伏の活動が陸奥の国でも盛んなことを示している。

 また、家内安全、病魔・悪霊退散、亡霊供養など「祈り」「供養」のために舞うものも多く、娯楽より信仰性が重く見られているのも目を引く。

 そして、同じような民俗芸能が伝えられる地域は、かつて「郷」とか「里」と言われた集落の中で、小規模な生活圏である「里」が多い。

民俗芸能と古枡

 ここで、岩手県内の南部枡が発見される状況を見ると、農耕用民具として使われた私製枡が大半を占めており、郡部は私製枡約七〜八個に一個の割で出る。これは最近調ベられた、民俗芸能伝承集落形成戸数七戸と関連する数でもある。

 町場の古枡は少なく、民俗芸能も少ない。

 また、江戸幕府が認めた枡は七種だが、南部枡は20種もあり、私製枡を含めるともっと多い。

 南部領内だけがこれを容認されていた理由と、その背景も探りたい。

神楽伝承技法と古枡

 二組の神楽に逆動作の舞を伝承させ、長年の間に間違って伝承された場合に、これを容易にチェック出来るようにしてある山伏系神楽(写真)もあるが、これには中世末の頃に、旧南部氏領内に、初めて枡の製作技法を導入した人物が関わっていたことが分った。

仏像の高さと丈六

 最近まで瀬戸内寂聴さんが住職を務めていた岩手の天台寺の本堂には、廃仏毀釈で体形が崩れた菩薩形坐像2・41mがある。中尊寺以外で余り見られない丈六仏だ。

 盛岡に隣接する玉山の東楽寺の十一面観音3・61mは北国に珍しい周尺の丈六立像である。

 仏像制作の基本は、古代中国「周」の時代から丈六(一丈六尺)の像高(額と髪際までの高さ)だと言われており、坐像はその二分の一となる。

 そして半丈六基準の仏像もある。(図参照)

丈六仏比較概念図
(左坐像)丈六坐像
(中央立像)周丈六立像3・6m
(右立像)半丈六立像2・4m
(右坐像)半丈六坐像1・2m
出典:淡交社「仏像が分かる本」

 天台寺には奈良時代の「行基」と「慈覚大師」作と伝えられる立像が、江戸時代に書かれた像高と一緒に七体残されており、これと実測像高などから、使用尺度は平城京尺に近い、一尺約29・35cmが検出され、天台寺建立寺伝、神亀五年(728年)説の裏付けともなる。

(以上)

 
↑ページtopへ
ホーム・計量計測データバンク寄稿・エッセー寄稿・エッセー2006年一覧>寄稿 吉田和彦