日本計量新報 2011年9月18日 (2886号)掲載
「訳語会」発足の意義
日本計量史学会理事 中村邦光 |
「名称というのは一つの符丁であって、どのように名付けられても事柄の本質に関係ない」という考え方もある。たしかに「物理学」を「究理学」と呼んでも「格物学」と呼んでも、なんら差支えないように思われる。同じ概念を表す言葉が人によって違うのは困るが、全ての人が同じ名称で同じ概念を思い浮かべるようになっていれば、それでよいわけである。つまり、全ての人が「究理学」という言葉でPhysicsのことと了解するようになっていれば、それでよいわけである。
しかし「言葉は符丁に過ぎない」とはいっても、その符丁に用いられている文字や音には、それぞれ意味・ニュアンスが込められている。たとえば、今日では「理学」という言葉は「理学部」などを連想させるので、自然科学といった意味合いが感じられるが、明治初期には必ずしもそうではなかった。たとえば、中江兆民の『理学沿革史』(明治19年、1886)という本は「自然科学史」の本ではなく、内容は「哲学史」である。じつは、江戸時代に「理学」といえば儒学中の特に「朱子学」をさす言葉だったのである。
もちろん、朱子学の「理学」と自然科学の「理学」とは全く無関係ではなく、問題にしている対象には共通点がある。だからこそ、幕末・明治の洋学者たちはヨーロッパからもたらされた近代科学を「理学」と呼んだわけである。しかし、明治初期の人々の中には「理学」という言葉は朱子学を連想させるとして、これを嫌う人がいて「理学」のかわりに「(自然)科学」という言葉を作り、Physicsの訳語として「究理学」ではなく「物理学」という言葉を採用したのである。
このように新しい概念に、新しい名称をつけるときには、その新しい名称によって何が思い描かれるか、慎重に考慮して決めなければならない。日常用語とはまったく異なる難解な言葉を用いれば、連想による誤解を防ぐことはできるが、その反面、理解し難くなるという欠点がある。そこで「分り易くて、しかも重大な誤解を生じないような言葉をいかに選定したら良いか」という課題が発生する。
ところで、近代科学の術語は、近代科学の発展に応じて作られ、変革されてきたのであるから、その基本的な術語はいずれもヨーロッパにおいて作られたものであった。日本には、それが主として幕末から明治初期に輸入されたのである。そして、多くの訳者(洋学者)たちによって、1つの術語に対して多くの訳語が出現した。
そこで、そのどれが適切な訳語であるか、日本の科学の術語は、まず訳語選定の問題として現れた。例えば、ネジが「藤線」でも、天秤が「天平」でも差支えないが、速度が「速力=速さに伴う力」だったり、質量が「重さ=重力」だったりでは、概念を誤解するおそれがあるわけである。つまり、日本では西欧近代科学の受容に際して、明治10年代後半以降(1883〜87年)頃に各種の「訳語会」が開催された。日本の近代化の過程における特徴の一つである。
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