日本計量新報 2011年10月2日 (2887号)掲載
しじみ貝で海を量る
日本計量史学会会員 吉田和彦 |
僅かばかりの知識で大きなことを論じることを 「しじみ貝で海を量る」と言うようである。
かく言う私にも、このようなことがありそうだ。
しかし、小さい貝でもベラボウな数があるとすれば、海を量ることが、出来るかも知れない。
今回の宮城県沖で発生した東日本大震災の被災地域は、青森県の南東端から、東京電力福島第一原発のある福島県南のあたりまでの、およそ600kmと言われる。そのうち、岩手県分と宮城県南の牡鹿半島までのかなりの範囲は、海岸線の屈折が多いフィヨルドに擬せられたリアス海岸の陸中海岸国立公園で、海底にあった岩盤が、隆起、沈降、浸食され、屈折された絶壁が多い海岸線が続く地帯だ。また、三陸沖は暖流と寒流がぶつかり合う世界三大漁場の一つでもある。
気象庁は十年以上前から宮城県沖には、地震の巣があって、震度8以上大地震がいつ発生してもおかしくないと言って来たが、それが現実のものとなってしまった。これへの対策は、一部地域を除き、月並みな防潮堤の建設以外はあまり見たことがない。
ところで、1611年以降の三陸大地震(震度8・0クラス前後)を歴史的な面から見ると慶長、延宝、宝暦、寛政(宮城沖)、安政の江戸時代、1896(明治29)年、1933(昭和8)年に発生、このような大震災は、過去400年間に平均59年にl回の割で、津浪を伴って発生している。
これに対応する防災手段は、いろいろあると思うが、これを体験した先人たちはどうしたか、深い意味を含んだ一つの小さな事例を紹介したい。それは、多くの役割を持たせた写真のような記念碑を、過去の津波の最高遡上地に建てた例である。
津波記念碑の役割
◇安全避難地点を示す
◇集落の交流促進場所
住民は、見知らぬ他人の警告は無視するので、神社など併設、交流促進
◇惨禍の風化防止
◇居住地の高さ制限の呼びかけ
石碑の文例
「高き住居は/児孫に/和楽/想へ惨禍の/大津浪/此処より下に/家を建てるな」
今回の大震災も、これを適切に守って被災しなかったところもあるが、60〜70年の間に大半は、前の大震災のことは風化して、何の抵抗もなく石碑より下の平地に住宅が移されていたらしい。
昭和三陸大津浪後と見られる記念石碑
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