日本計量新報 2011年10月9日 (2889号)掲載
計量した値をどう活用するかが問われている
(株)メジャーテックツルミ 横須賀健治 |
計量することがよく行われるようになってきている。
時に、どのように計量するかを考える時がある。充填したものを製品として出すときなどがそれだ。計量した事実はあるとして、本当にこれでいいのかと問われたときだ。
たとえば、製品が容器に入っていたとする。その製品の履歴が問われる。内容量も書かれている。その内容量を確認するには容器から出さないといけない。容器の重量を一定のものにしておくことで、総量をはかることで内容量を評価していく。
たとえばドラム缶は鉄板で作るが、市販の厚みの公差分だけで内容量の管理分を超えてしまうことがある。この場合は内容量の管理幅に合わせて、受け入れの缶の重量を管理することをお願いする。
川崎計量サロンが川崎で毎月行われている。放射能計測が話題になったときのことだ。計測値が対数で取られている。だから数だけでなく、「どの物質が」という具体例が必要であることが議論された。環境測定では当たり前だが、どの地点で、どのような場所からのものかを明確にする。A地点とB地点の比較ではいつの時点の測定であるかも問われる。当然測定する高さも必要である。
今、会議は結論ありきで、それに収束するように議論されることが多い。3・11以降に私たちに課せられているのは“それでどうなの”“だからどうする”の具体化である。今やるべきことをやるという断固とした姿勢である。あらゆることが不思議な方向に走っているように思えてならない。
「測定できないので私たちの範疇でない」というのでなく、日本のため、未来の子供たちのために何をしておくことが必要なのかを考えておくことである。一人ひとりが捨石になり、土台になる覚悟こそが求められている。
ある事業所で、製品のトレーサビリティを確保するために大規模な計量システムを導入させていただいたことがあった。
打ち合わせに入ってから、さまざまなことが飛び出してきた。前日メニューの生産だけでないことが解ってきた。突発もあるし、作業の都合で数日あとのものもある。また油の場合にはAとBを一緒にすると質量はA+Bになるが体積は化学反応で小さくなることがある。どのくらい変わるのかと問いかけたところ、10%くらいの時もあるとのこと。
さらにはいろいろな帳票が飛び出してきた。折角お金をかけるのだから一体化した形にしたいという要望もあった。日本を支えてきた製造業は年配の経験者で支えられてきた。まだまだ個別対応の所がある。そこをどれだけ聞き出し、システムといて纏めていくかがとても重要なところであった。
計量人も、ただ言われたことだけですすめるのではなく、コミュニケーション技術が求められてきているのを実感している。
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