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 計量計測データバンク「日本計量新報」特集記事寄稿・エッセー>中村邦光

日本計量新報 2011年10月30日 (2891号)掲載

「科学」は時代と共に進歩するのか

日本計量史学会理事 中村邦光

中村邦光私は、2002年の6月に学会理事の黒須茂さんの紹介で、日本計量史学会に入会させていただきました。科学史の研究にとって、時代の相違による数量的計測値の比較は大切な研究手法であり、そして歴史認識の確認手段であることを知ったからです。

 まず「密度・比重の概念」の歴史を研究しているとき、中国における度量衡の変遷と日本における度量衡の変遷の歴史を調査する必要がありました。そして、その研究から派生して「江戸時代の小判の改鋳の歴史(日本銀行金融研究所・貨幣博物館資料)」と「人口の変遷(『日本長期統計総覧)」を調査した結果、思わぬ発見がありました。

 「密度・比重の概念」は原子論的な物質観であり、江戸時代の前期(17世紀)には、その概念が生活に密着して存在していました。ところが、江戸時代の中期(18世紀)以降には、その概念が停滞・退歩してしまいました。儒学が国学として導入され、連続的な物質観が常識化したためです。
 日本の人口は、江戸時代前期(1600〜1700年)には約1000万人から3000万人へと増加しましたが、江戸中期以降(1700〜1870年)には約3000万人のまま停滞し、変化していません。また、江戸時代における小判の改鋳の歴史をみると、江戸時代初期の慶長小判(金の含有量15〜15・5g)から度重なる改鋳によって暫時金の含有量は減少しました。しかし、享保小判では金の含有量を一端回復させました。しかし、それによってデフレ現象が生じ、物作り職人や農民の生活が圧迫されましたので、再び金の含有量を減らしながら改鋳を繰り返し、幕末の万延小判では金の含有量が1・9gとなっています。

 また「円周率の値」は、江戸時代前期(17世紀)には内接多角形の周長を算出して3・14……であることが、ほとんどの和算書において確認されていました。ところが、江戸時代中期以降の和算は、実用・実測的な問題への関心をなくし、趣味・娯楽的な文化に変質したためと、儒学的思考に基づいて「円は陽にして動くもの」などと解釈したために、過半数の和算書において3・16……(円満の根源?:)が復活してしまいました。
 そしてまた、江戸時代の和算書では「モーメント概念」を誤解していました。すなわち「物の重さを等分に切り分けるには、釣り合った所で切ればよい」などとしていました。実測してみれば一目瞭然なことですが、調査した和算書では幕末(19世紀)に至るまで例外的な1種を除き、ほとんどの和算書で同様な誤解をしていました。
 18世紀の和算書では、例外的に1種だけ「モーメント概念」を正当に理解している和算書が見付かりましたが、この和算家による正しい理解は、その後江戸中期以降の和算書には伝承・継承されませんでした。例外的な個人が理解していても、書物として伝承されなければ「日本の文化」に導入されたとは言えません。

 以上、時代の相違による数量的な比較研究の結果、江戸時代の前期には「近代科学の萌芽」ともいえる科学概念が存在していたこと、しかしそれが江戸時代の中期以降になって「停滞・退歩していた」ことが分かりました。すなわち、科学は「時代と共に進歩する」とは言えない代表的な事例を紹介しました。

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