日本計量新報 2015年5月17日 (3056号)4面掲載
世界の科学史 古代ギリシャの科学(BC7〜2世紀頃)
—「科学」という文化の源流—
(一社)日本計量史学会理事 中村邦光 |
現在のイラクの地メソポタミアには、紀元前3000年頃から「シュメール文明」が栄え、続いてアッシリアやバビロニアの文明も続いていました。また、ナイル川の流域には「エジプト文明」が紀元前3000年頃から栄えていました。
そして、バビロンとエジプトに始まった2つの文明は、広く海外に進出していたギリシャ人によって受け継がれ、小アジアのイオニア地方に殖民していたギリシャ人のなかに、実利を離れて「自然の真相を知りたい」という自然哲学が興り、自然科学の源流となった「古代ギリシャ科学」が誕生することになりました。
1、タレスの「水の説」:元素説のスタート
人類史上、初めて「自然科学の源流」が登場するきっかけをつくったのは、古代ギリシャのミレトス(現在のトルコの地中海沿岸にあったオアシス都市)のタレス(BC625〜547頃)です。
タレスは、この世界のすべての根源(元素は「水」であるといいます。すなわち「世界は水から成り、水に帰る」といいます。そして、世界の変化を水の濃淡で説明しようとしました。「水」一元素で世界を説明しようとしたのは、今様にいえば結論的には間違いです。
しかし、この考え方には注意が必要です。すなわち、紀元前7世紀のタレスまでは、人間にとって不可解な現象が起こると、それを観念的な原因で説明してきました。たとえば、神だとか祈りだとかです。しかし、タレスは人類史上初めて「水」という「物質」を根拠にして世界の構成や変化を説明しました。
世界の構成や変化を「物質」だとか人為的なものに原因を求めようとしなければ、現象の因果関係についての解釈や説明の必要がなくなってしまいます。結論が間違っているかどうかということとは別に、自然科学にとって重要なのは、合理的な思索(可視的な根拠)に基づいて「仮説」を立てることです。
そして「タレスの水の説」は、世界の「構成要素(元素)」として「水」という物質をとりあげたという意味において、これは「元素説」のスタートであるともいえます。
2、ピタゴラスの「数論」:原子説のスタート
タレスからいくらか遅れて、紀元前6世紀の現在のイタリア南岸地方にピタゴラス(BC560〜480頃)が活躍しました。ピタゴラスは「数」を根拠にして自然の解釈をおこないました。これを「ピタゴラスの数論」といいます。
「数」は単位をつけると「量」になりますが、ピタゴラスの「数」は、その他に「形のイメージ」と「観念的な意味」をもっています。たとえば、ピタゴラスが言う「10」という数は、量的な意味での10cmとか10gとかいう量的認識のほかに「正三角形」という形のイメージと、同時に観念的・形而上学的な意味での「完全」という意味をもつものだったのです。すなわち、同じ大きさの粒子を4、3、2、1の順に(合計10個)積み上げると正三角形となります。
また、ピタゴラスは「友とは何か」と問われたとき「もう1人の私である人、たとえば220と284のような関係である」といいます。じつは、284の約数の和は220となり、220の約数の和はなんと284になります。この一組の数のことを「友愛数」といいます。
すなわち、タレスの「元素説」は「何から」できているのかという質的規定ですから「連続的」であるのに対して、ピタゴラスの「数論」は「幾つ」でできているのかという量的規定ですから「不連続的」です。その意味では、ピタゴラスの数論は「原子説」のスタートであるともいえましょう。
一方は「構成要素」を考え、一方は「構成単位」を考えていたのであり、視点が違っていたわけです。しかし、ともかく人類は「合理的」に自然を理解しようとしたという意味において、これを自然科学の源流として評価したいと思います。
3、古代ギリシャにおけるその後の展開
そして以降、元素説(連続的)の流れは、ヘラクレイトスの二元素説(火、水:元祖弁証法)からアリストテレス(BC384〜322)の四元素説(火、空気、水、土:目的論)へと展開され、ヨーロッパの中世へと継承されました。
そして、ピタゴラスの「数論」のなかの「観念の世界」を純化して発展させたのがプラトン(BC427〜347)の「観念論」であり、原子説(不連続的)の流れを合理的に発展させ、原子論を古代的に完成したのがイオニア地方のアデブラ生まれのデモクリトス(BC460〜370頃)です。
デモクリトスは「無からは何も生じない。存在するいかなるものも消滅しない。すべての変化は諸部分(原子)の結合と分離に過ぎない」といいます。これは物質不滅説、エネルギー不滅説の古典型といえます。
そして、古代ギリシャ時代の末期には、シラクサ生まれのアルキメデス(BC287〜212)によって、近代科学の基礎ともいえる多くの研究業績が創出され、それがルネサンスへと継承されたのであります。
【参考文献】
この記事では、できるだけ注と引用文献は本文中に記載しました。特にこの記事の内容の詳細、およびその他の調査資料を確認される場合には、以下の文献を参照してください。
1、中村邦光、板倉聖宣『日本における近代科学の形成過程』多賀出版、2001年
2、中村邦光『世界科学史話』創風社、2008年(日本図書館協会選定図書)
3、中村邦光、溝口元『科学技術の歴史:人間社会の技術倫理をさぐる』アイ・ケイコーポレーション、2002年(改定2版)
(日本大学名誉教授) |