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計量計測データバンク「日本計量新報」特集記事寄稿・エッセー(2015年一覧)>【中村邦光】日本の科学史 明治初期の日本における「熱運動説」の受容過程

日本計量新報 2015年6月14日 (3060号)4面掲載

日本の科学史 明治初期の日本における「熱運動説」の受容過程

(一社)日本計量史学会理事 中村邦光

中村邦光「熱は物質か運動か」という問題は、古くから世界の科学者の問題であったことは広く知られています。そして、フランシス・ベーコンやロバート・フックなどが早くから熱運動説を支持していましたが、ブラックの比熱・潜熱の発見によって「熱物質説」が広く支持されるようになったこと。18世紀後半にLavoisier,A.L.(ラボアジェ、1743〜94)らは、元素表(光・熱素を含む55種)を提示して、近代的な「元素概念」(実験的分析によって到達した極限、分解されない物質)を確立するとともに「熱素説」を提唱したこと。そして、そのような時代背景のなかで、18〜19世紀の物理学の主要な課題の1つは「不可秤量物質(熱・光・電気など)」の正体を究明することでした。
 そして、その後18世紀末から19世紀の初め頃、ランフォードやデービーらの実験によって「熱運動説」を支持する決定的な実験が示されたこと。さらに19世紀の半ば頃に、エネルギー保存の原理が確立されることによって「熱運動説」が確立したことなどはよく知られていることであります。

日本における「熱物質説(熱素説)」の受容
 それなら、この問題は日本ではどうでしょうか。じつは、日本にもヨーロッパの「熱物質説(熱素説)」が青地林宗(1775〜1833)や宇田川榕庵(1798〜1846)、川本幸民(1810〜1871)など、幕末の蘭学者たちによって受容されていたことはよく知られています。
 明治初期の日本で広く普及した文部省(片山淳吉)の『(官版)物理階梯』(1872〔明治5〕年)をみると「温の本性は未だ詳らかならずと雖も…、温は秤量すべからずして、其の形質視るを得ざる一元素なり」と記載しています。なお、光についても「夫れ、光は太陽及び恒星より分かれ来たりて其の質、至微至細なる一元素なり」とあります。すなわち、熱や光は「不可秤量物質(元素)」だというわけです。
 それならいったい、日本において「熱運動説」が支持されるようになったのは、いつごろどのようにしてだったのでしょうか。「熱」については、現在でも「熱の出入り」とか「熱のやりとり」などと誤解を生みそうな言葉が用いられています。これをみると「熱運動説」の受容に際してはかなりの混乱が予想されます。

日本における「熱運動説」の受容

 ところが、調査の結果は、予想に反して鮮明なる転換が認められました。すなわち、いまや欧米では支配的な学説であるという認識のもとに、1872(明治5)年以降に模倣的・なし崩し的に「熱運動説」を受容していたのであります。
 じつは、1871(明治4)年以前に日本で出版された書物で「熱運動説」に触れる記述を載せているものがないか探してみましたが、見つけることはできませんでした。
 ただし、写本では1冊だけ、緒方洪庵の『物理約説』(1834年頃)に「熱運動説」への言及があり注目されました。しかし、必ずしも「熱運動説」を支持しているわけではなく、「熱物質説」と「熱運動説」の両方を紹介して混乱しています。そしてこの本以外に、その後幕末から1871(明治4)年にかけて出版されたほとんどの書物では「熱物質説(熱素説)」を支持しています。
 そして、日本で最初に「熱運動説」を支持したのは1872(明治5)年以降のことであり、それまでとは不連続に、模倣的・急速に「熱運動説」を支持するようになりました。
 すなわち、片山淳吉の『物理階梯』(1872〔明治5〕年)を最後(例外)に、ほとんどの物理書で「熱物質説」をすてて「熱運動説」を採用するようになったのであります。後藤達三の『(訓蒙)窮理問答』(1872〔明治5〕年)をはじめ、カッケンボスの究理書の翻訳である藤田正方の『理学新論』(1873〔明治6〕)などが、その事例です。
 そして調査の結果、寺田祐之の『理科一斑』(1874〔明治7〕)は、日本に「エネルギー説」を紹介した初出文献であります。
【参考文献】
 特にこの記事の内容の詳細、およびその他の調査資料を確認される場合には、以下の文献を参照してください。
1、中村邦光、板倉聖宣『日本における近代科学の形成過程』多賀出版、2001年
2、中村邦光『江戸科学史話』創風社、2007年
3、中村邦光『世界科学史話』創風社、2008年(日本図書館協会選定図書)
4、中村邦光,溝口元『科学技術の歴史:人間社会の技術倫理をさぐる』アイ・ケイコーポレーション,2002年(改訂2版)
(日本大学名誉教授)


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