日本計量新報 2015年7月26日 (3066号)4面掲載
日本の科学史 日本における〈速さ〉および〈速度〉という術語の形成過程
(一社)日本計量史学会理事 中村邦光 |
幕末から明治初期の物理学関係の書物をみると「速さ」とか「速度」という言葉はほとんど見ることができません。そのかわりに「速力」という言葉が用いられていました。今日の力学用語の「速度」の原語はVelocityですが、これが「速力」と訳されていました。
1、「速度」と「速力」の混乱と誤解
Velocityを「速度」と訳そうが「速力」としようが、そんなことはどうでもよいと思われるかもしれません。しかし、速力は「力」の一種だと考えて「速力」としたのだとすると、これは混乱のもととなります。すなわち「速力の合成」は「力の合成」と混同されることともなり、中世力学(impetus力学)的な考え方を脱し得ないことともなっていました。たとえば、東京大学予備門の講師ともなった中川重麗の『(万有七科)理学』(1879〔明治12〕年)の曲線運動の説明をみると「曲線運動トハ物体ガ衆力ノ集合作用ニ因テ行動スル道ニシテ、例スルニ既ニ若干ノ速力ヲ得テ水平ノ方向ニ行動スベキ物体ガ同時ニ重力作用ヲ受クルガ如ク…云々」などと説明されています。すなわち、速力と重力が「力」として並列されているわけです。「言葉は符丁に過ぎない」とはいっても、他の言葉との関連で、やはり適当なものとそうでないものがあるわけです。「速度」すなわち「速さの度合」が「速力」すなわち「速さに伴う力」であったりしては、力学的理解の上で問題なわけであります。そんなことを念頭において、江戸時代から明治初期にかけての物理書ではSpeedとかVelocityという術語が日本ではどのような言葉で表されていたかを時代順に調査してみることにしました。
まず「日本に初めてニュートン力学を紹介した」といえる志築忠雄の『暦象新書』(1798〔寛政10〕年〜1802〔享和2〕年、暦象=現象変化は巡るの意)を見ると「遅速」「速」「速力」「速勢」などの語が混在しています。ところがその後、帆足万里の『究理通』(1836〔天保7〕年)や廣瀬元恭の『理学提要』(1856〔安政3〕年)では、ほぼ「速力」に統一されています。
2、概念の理解(物理学者)と適切な訳語選定
しかし「日本最初の物理学教科書」ともいえる川本幸民の『氣海観瀾広義』(1851〔嘉永4〕年〜1856〔安政3〕年、氣海=電気、熱気、空気など「気」が満ち満ちている世界の意)を見ると、Velocityには「速」で、Momentumには「速力」と「動力」の言葉を用い、これを明確に区別しています。すなわち、Velocityには「力」の語を当てるのを避け、その代わりにMomentumに「力」の語を当てたわけです。しかしMomentumも「力」ではないのでこれも問題ですが、力という言葉の使い方に幾分か配慮したとも考えられます。
『氣海観瀾広義』は、Velocityに「力」の語を当てるのを避けたわけですが、その後明治初年に出た一群の物理書は、再びVelocityを「速力」としています。三崎嘯輔の『理化新説』(1869〔明治2〕年)、文部省(片山淳吉)の『物理階梯』(1872〔明治5〕年)、宇田川準一の『物理全志』(1875〔明治8〕年)を経て、川本清一の『(士都華氏)物理学』(1879〔明治12〕年)に至るまでの当時の有力な物理書の大多数は、Velocityの訳語は「速力」です。もっとも、明治初年にもVelocityの訳語に「速力」ではなく「速」で通している人もまったくいなかったわけではありません。その代表的なのは、大阪理学所でドイツ人教師ヘルマン・リッテルの助手をつとめ、その講義を翻訳した市川盛三郎の『理化日記』(1870〔明治3〕年)と飯盛挺造の『物理学』(1879〔明治12〕年)です。
なお、市川盛三郎はMomentumにも「力」の語を避け「運動量」という訳語を当てています。じつは市川盛三郎は、後に東京大学の物理学の教授になった人で、飯盛挺造は東京大学医学部の物理学の助教授であって、この2人は他の著訳者と違い、物理学の専門の研究者であったことは見落とせません。そういう人の手によって初めて、従来の日本文化の伝統の中にはみられない「力学」という抽象的な科学の基礎を受け入れる基盤が準備されるようになったのであります。すなわち、訳語の選定にはやはり、その科学の理解を必要としていたのであります。
3、物理学訳語会での「速度」という術語の採用
「物理学訳語会」は、山川健次郎所蔵本の『物理学訳語会記事』によれば、1883(明治16)年5月19日に第1回が開かれ、1885(明治18)年7月29日まで毎月第2、第4水曜日に開かれたことになっています。そして「速度」という言葉は、1883(明治16)年7月11日の「物理学訳語会」で採用されて以降、広く普及することとなりました。しかし「速度」という言葉は、それ以前に全く用いられていなかったわけではありません。じつは、寺田祐之の『理科一斑』(1874〔明治7〕年)や山岡謙介の『学校用物理書』(1879〔明治12〕年)など、2〜3の著訳書には用いられていました。しかし、調査した限り少数派です。
「速度」という言葉の日本および中国における初出文献を調査したところ、物理書ではありませんが、1870(明治3)年〜1871(明治4)年頃、日本の西周(周介)によって福井藩出身の子弟のために開講された「育英舎」での講義草稿「百学連環覚書」および、永見裕筆記の「百学連環(聴講ノート)」『西周全集(第一巻)』(1944)の中には「速度」という言葉が見え、注目に値します。この西周の用例が「速度」という術語の源点であったかどうかは定かではありませんが、「速度」という言葉が1870(明治3)年頃から日本で用いられていたことは注目に値することです。
「速度」は「速力」に代わる訳語として、まことに適切な訳語ですが、この言葉は1877(明治10)年代後半までは、一部の物理書でしか用いられていません。しかし、物理学訳語会の人々は、この訳語の優れていることに目を付け、Velocityの訳語に「速度」を当てることに決定し、この言葉を流布させたというわけです。
【参考文献】
この記事では、できるだけ注と引用文献は本文中に記載しました。特にこの記事の内容の詳細、およびその他の調査資料を確認される場合には、以下の文献を参照して下さい。
1、中村邦光、板倉聖宣『日本における近代科学の形成過程』多賀出版、2001年
2、中村邦光『江戸科学史話』創風社、2007年
3、中村邦光『世界科学史話(日本図書館協会選定図書)』創風社、2008年
(日本大学名誉教授) |