日本計量新報 2015年8月9日 (3068号)5面掲載
相模原市に見る規制緩和 開店前に潰れるコンビニ
(一社)日本計量史学会理事 新井宏 |
相模原に住んで50年近くなる。町村合併によって、市制を敷いたのが1950(昭和25)年。市役所は各町村とは別に、新たに相模原台地の中央部に定められた。その近くのわが家は、地図上だけは「一等地」にある。
そもそも相模原市は陸軍の軍都で、造兵廠などを中心にして、1937(昭和12)年に都市計画がおこなわれた。市役所前通りは道路幅が40m、周辺の大路は25m、わが家の前も12m、横の小路でさえ6m巾で、隅切りも立派にある。
近くを通る16号線も、市役所近くだけ40m幅で、昔からファミレスの激戦地。10kmほどの間に約50軒あり、その多くが20台以上の駐車場を備えている。名の通ったチェーン店は必ずある。16号線に出店して営業できたら、全国展開をするのだという。
最近の大きな変化は超高層ビルの建設ラッシュである。東京都心ならいざ知らず、相模原市に18階建て以上のビルだけでも21棟もできたのである。小泉首相の規制緩和によるが、今もその流れは止まらない。
その結果、何が起きたか。便利な所と郊外の格差拡大である。高度成長期に争って買い求めたサラリーマンの住宅地は、概して相模原の「田舎」にある。それでも一戸建てに入居でき、土地の値上がりもあって、幸せを享受していた。続いて、相続税対策で急速に広まった民間アパート建設ブームも主として郊外に建てられた。
しかし駅近くに、便利な高層マンションができ始めると、郊外の民間アパートは、次々に空室化する。
相模原市の発展を支えた工場群が地方の新工場に移転し、空地化した工場跡には、超高層ビルや大型住宅団地が開発され、かつての一戸建て地域は「過疎化」していく。
地価は3分の1まで下がった。無秩序に開発された「田舎」が再び「田舎」に回帰している。
そもそも規制緩和とは既得権の破壊である。
理髪店は組合組織によって、3500円の料金を守っていたが、今や1000円カットの時代である。
酒類の量販店が続々誕生すると、やっていけなくなった酒屋さんは次々にコンビニに変身。酒の販売もできたから、当初は順調であった。しかし、道路脇に駐車ができない小規模コンビニからつぶれ始める。
かわって数台の駐車場を持つ中規模のコンビニが一気に広まったが、現在では、駐車場が300坪(約992m2)というのが相模原のコンビニの標準である。
小さなコンビニが一掃され、中規模のコンビニがばたばたつぶれていくなかで、大型コンビニの出店競争は熾烈である。
先日も大型コンビニが開店したばかりだというのに、その100m先に大型コンビニの工事が始まった。建物は、あっという間に出来上がったが、駐車場や出入り口の工事に手間取っていて、突貫工事のようすが見られなくなった。どうやら、予定していたコンビニに逃げられてしまったらしく、開店を前にして早くもつぶれてしまった。
このようなコンビニ出店競争は、超大型スーパーの乱立と共に、相模原から小売店を完全に一掃してしまった。何とか営業しているのは食物屋さんだけである。
わが家から500m以内に10店ほどのコンビニがあるが、かならず立派な駐車場を持っている。相模原ではコンビニとは歩いて行くところではないらしい。
(前韓国国立慶尚大学招聘教授、元日本金属工業常務、金属考古学、計量史) |