日本計量新報 2015年8月9日 (3068号)5面掲載
広告さまざま
日本大学教授 矢野耕也 |
計測器の利便性の1つに「直示性」がある。要は読み取った数値でダイレクトに判断できることの可否で、デジタル表示が尊ばれるのがその端的な例であろう。紙チャートに打点される波形から判断したり、読み取った目盛を数値に置き換えるのがただ面倒というだけの話であるが、日常値の換算は正直面倒である。昨年の夏に短期間米国に滞在をしたが、気温の華氏表示にはついに慣れぬままであった。日本から持参した温度計付腕時計で判断をしていたが、これとて腕に装着をすると体温を示してしまうという間抜けな製品であったが。最近の携帯電話やスマートフォンはカメラや時計機能に始まり、歩数計までついていて総合計測器の観を呈しているが、世のなかには計れないものが数多くあるのも確かである。計りたくても計れないものは沢山あるといってよいであろう。人の将来性や潜在能力などはいい例で、点数のように顕在化しないものは計りようがないのが現状である。
企業は自社の製品を少しでも多くの人に認知をしてもらいたいがゆえに、webに始まる各種の広告効果の結果は非常に気になるところらしい。個人レベルでいえばwebの閲覧数を気にするあまり、意図的にトラブルを起こして注目を浴びる場合もあるが、企業の場合、広報部門やマーケティングの専門家は日々苦労をしているようであるが、これといった決定的な計測法は見当たらない気がする。放送業界では視聴率測定器があるが、少ない台数での結果はいかなるものか、筆者にはわからない。大学でも高校生に向けてのさまざまな広報活動があるが、アンケート結果や来場者数から類推するしかなく、効果があったのかどうかわからないままに終わることも多い。このように効果などわからないままのむやみやたらな策に走るのが実情であるが、昨夏の滞米時にやや変わった光景に出くわした。
アメリカにも大安吉日はあるのか、週末の土曜日に至る所で黒人さんの結婚式を見かけた。繁華街のレストランでおこなわれていたが、2次会へ移動するのに町を少しだけ練り歩く際に周囲が騒ぎ立てて祝福をするのがマナーなのか周囲が騒然となっており、有名人ならともかく、見知らぬ他人の祝い事を囃し立てるなどというのは日本では行儀がよくないことなのだろうけれど、異人種が多いこちらでは相互の理解が優先するのだろうか。傍には栄光と凋落のシンボルであるGM本社ビルがそびえ見上げると、妙なセスナ機が吹き流しをつけ上空を旋回している。日本では1964(昭和39)年までは空中からのビラ撒き広告が可能であったが、航空法やらなにやらの改正で今はできないが、そのデトロイトの空に踊る垂れ幕の文字に仰天した。“MAILA, WILL YOU MARRY ME?”とあり、どうやらマイラ嬢へ男性が告白をするのに、大空に踊る文字を見せてYesの返事をもらおうというキザな算段らしい(と想像する)が、バブル期の派手な恋愛ドラマじゃあるまいし、そんなことを真面目にやる人がいるのかと唖然とした。よい返事が来るまで飛び続けたのかわからないが、何回も旋回をしていた。
日本ではどこかの映画館の上映後の最後の15秒を、相当な金額で個人的メッセージの伝達に使うサービスがあると噂で聞いたことがあるが、それを実施したという話はいまだに聞かない。映画館ならば当人の所在が確認できるかもしれないが、大都市上空に個人的なメッセージを流した御当人、効果の程はいかなるものであったのだろうか。 |