計量新報記事計量計測データバンク会社概要出版図書案内

日本計量新報 2011年8月7日 (2881号)

自然博物誌
黒部ダムと鳶山 

 
 写真は黒部ダム(7月19日撮影)。発電用ダムのうち観光名所として抜きん出た存在なのが、関西電力の黒部ダムである。長野県の大町市と富山県中新川郡立山町を結ぶ立山黒部アルペンルートは、4月初旬から11月末頃までの開通期間中、大勢の観光客を集める。大町市から黒部ダムに出ると、そびえる立山や針ノ木岳、遠くに見える赤牛岳などの北アルプスの景観に感動する。
 その名の知れた黒部ダムを水源とする黒部川第四発電所の発電量は、ダム式水力発電所の中では日本第4位である。黒部川第四発電所の下流には第二、第三発電所がある。黒部川第四発電所は黒部ダムのすぐ下にあるのではない。12kmほど下流、仙人谷ダムの少し上に地下発電施設があり、ここまで送水管で水を引いて発電用のタービンを動かしている。ダムができると、川の水が貯水に回されるために河川の水量が減る。昔を知る高名な地理学者は、「立山や後立山の山上で耳を澄ますと聞こえていた黒部川の水音が、黒部ダム建設後には聞こえなくなった」と証言している。黒部ダムの上流には佐々成政が越えたザラ峠があり、その向こうに鳶山(とんびやま)がある。
  この山にはかつて大鳶山、小鳶山という2つのピークがあったが、いずれも安政5(1858)年旧暦2月26日(現在の暦では4月9日)に起きた飛越地震(越中安政大地震)で崩壊した。流れ込んだ土砂にふさがれた常願寺川が決壊し、大洪水となって家屋を押し潰し、流域の平野を泥の海に変えた。これによる死者と損壊家屋は地震にまさり、「その被害は163カ村に及び田地草高2万5千石、流出家屋1600軒、死者1800人」(「活断層としての跡津有峰断層について」富山大学教授・理学博士深井三郎〔『越中安政大地震見聞録−立山大鳶崩れの記−』所載〕)という。現在も平野部に残る巨石は、この時の遺物である。山崩れの跡は富山市内の呉羽山から巨大な窪地として遠望される。
 土砂の崩壊はいまなおつづいている。常願寺川の上流の湯川谷まで砂防工事用の軌道が敷かれ、崩れる斜面と砂防ダム建設の攻防がつづく。日本三霊山である富士山、立山、白山のうち、立山の常願寺川、白山の水を受ける手取川の砂防費用は巨大である。山をおさめ、川をおさめるのはたやすいことではない。
(文章と写真は旅行家甲斐鐵太郎)

※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら


記事目次日本計量新報全紙面
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.