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日本計量新報 2011年8月14日 (2882号)

自然博物誌
霧ヶ峰高原へ 

霧ヶ峰高原 
  写真は夏雲湧く霧ヶ峰高原、「ころぼっくるひゅって」のテラスから(7月9日撮影)。
 温泉地・諏訪湖から東南の方角に車で20分ほど走り、強清水のスキー宿辺りに出ると、急に空が抜けて緑の大地が広がる。ここが霧ヶ峰高原である。一帯は7月中旬になるとニッコウキスゲの黄色い花で彩られる。
 癌の終末医療を受けていた人が、最後に見たい景色として霧ヶ峰高原のニッコウキスゲを挙げ、この季節を迎えることで人生のけじめをつけたという話を聞いた。黄色一色のニッコウキスゲの大群落は見事であり、強い主張となって人の心に残る。6月のレンゲツツジの頃には、湿地帯では小梨の白い花が彩りを競い、レンゲツツジの赤とよく調和する。コバイケイソウの白い花も群落をなして咲く。霧ヶ峰高原ではこれらの花がその年々に盛衰を繰り返していて、同じようでありながら少しずつ違う景色となる。夏鳥もまた同じで、いつもならいるはずのノビタキの姿をみない年もある。カッコーは、5月の終わりから6月の上旬になるとその声を遠くまで響き渡らせる。カッコーの声を聞くと、夏が来たのだと思う。
 霧ヶ峰高原の西の端にあるのが鷲ケ峰(標高1798メートル)で、八島ケ原湿原から登りに1時間、下りに40分を要する。西の端には車山(標高1925メートル)があり、車山肩の駐車場から登りが45分、下りが30分の道のり。鷲ケ峰に比べて車山への登山者が圧倒的に多い。車山には夏でもスキー場からのリフトが運行している。車山登山者の3割ほどはこのリフトを使っている。
 1968(昭和43)年、霧ヶ峰高原にビーナスラインが引かれ、大勢の観光客が足を運ぶようになったことで、霧ヶ峰は趣を変えてしまった。気象庁に勤めていた作家の新田次郎は、有料道路建設に反対した地元有志の闘いを『霧の子孫たち』という長編にした。新田次郎は上諏訪町(現・諏訪市)の出身であり、霧ヶ峰への挽歌としてこの小説を残したのである。この本の原稿の一部は、下諏訪町観光協会が運営管理する八島ビジターセンターあざみ館に展示されている。
 ビーナスラインがつくられたことで霧ヶ峰高原に至る行程が著しく簡略化され、この地に立つ感動が薄らいだ反面、車山にわずか45分で登り、そのあとに高原の尾根道を思うままに散策することができるようになった。週末になると、霧ヶ峰高原を5時間ほどかけて周遊する元気な人がいる。高原の散策は歩くと足は強くなり、気持ちも大いに良くなる。時間の余裕をとって周囲の湖の畔の宿に泊まって地酒を飲んでくつろぐもよかろう。
(文章と写真は旅行家甲斐鐵太郎)

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