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日本計量新報 2012年8月5日 (2928号)

琵琶湖周航の歌に「古い伝えの」と詠まれた宝厳寺


 「琵琶湖周航の歌」の歌詞をつくったのは1897年(明治30年)8月30日生まれの小口太郎である。小口は長野県岡谷市生まれで、第三高等学校のボート部員の時代に作詞した。岡谷市は諏訪湖が天竜川として流れ出すところにあり、小口は諏訪市の諏訪中学校(現・諏訪清陵高校)に通っていたから湖とは抜き差しならぬ縁をもつ。「琵琶湖周航の歌」には故郷の湖への思いを重ねていると思われ、これによって特別に豊かな旅情がもりこまれたのであろう。小口は東京帝国大学理学部物理学科に進み、卒業後、同大学航空研究所に入所していたが、1923年(大正12年) 徴兵検査で甲種合格、同研究所退職、1924年(大正13年)5月16日、東京府豊多摩郡淀橋町の山田病院で26歳で死去。
歌詞に登場する地名は、志賀の都、今津、長浜、珊瑚(さんご)の宮、竹生島(ちくぶじま)、 比良(ひら)、伊吹(これは伊吹山のことか)、長命寺である。長命寺は「西国十番」という語があたまにつけられている。竹生島には「古い伝えの」と枕を添えており、ここには滋賀六番札所の「宝厳寺(ほうごんじ)」がある。長浜には滋賀五番札所の長濱八幡宮がある。小口太郎の歌をたよりにこの3つの札所を1度に巡ることになった。
 湖に小さな船をこぎ出すと風によっておこるさざ波の抵抗で苦労することになる。何人もで細長いボートを漕ぐばあいにはこれが幾らかおさえられるとはいっても、琵琶湖を周航しての練習には単純なロマンなどないはずである。
 滋賀を知るには湖を知れ、そして近江商人の発祥の町をみることも欠かせないことだ。そして滋賀には都がおかれていたこともあった。滋賀の神仏霊場を巡ることもまた滋賀を知るための大事な縁(よすが)となる。
 長命寺は岬の高いところにあり琵琶湖と近江商人の街を眺めるのにちょうどよい。竹生島「宝厳寺(ほうごんじ)」も同じだ。長濱八幡宮は平地にあり、兵火で焼け落ちたのを長浜城を築いた豊臣秀吉が復興させたため、秀吉との縁が深まり、同時に曳山祭りがさかんになった。宝厳寺は小谷城主の浅井長政が庇護し、後に秀吉もそのようにした。NHK大河ドラマ「お江」の人気によって、竹生島への客足が飛躍的に伸びている。写真は観光でにぎわう竹生島の波止場から見た宝厳寺(ほうごんじ)。
(文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)

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