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日本計量新報 2012年9月2日 (2931号)

   

岩手県三陸沿岸の震災復興の現状
山田町、大槌町の消失市街地にローソンが一番に火を灯す

不便な「仮設住宅」での暮らしがつづく
消費税増税に命をかけても、被災者の命が見えない野田首相

2011年3月11日に発生した地震と大津波の被災地のその後のありさまを本紙取材班が直接見るために、2012年8月1日に釜石市から宮古市の漁港に足を運んだ。8月3日には八戸の市場と鮮魚などを取り扱うことで旅行者にも人気の「八食センター」を取材した。


狭く、暑い「仮設住宅」

水揚げしたブリをハカリにかける岩手県の三陸沿岸の中心部である釜石市から宮古市の沿岸部は大津波によって壊滅的な打撃を受けた。釜石市の魚市場の周囲から釜石駅の付近までは津波にのまれて多くの家は水をかぶり、海に近かった銀行などの鉄筋建ての施設も破壊された。2012年8月1日現在、これらの施設は放棄されている。宮古市では、宮古駅付近には津波が達しなかったので震災直後からこの付近から内陸部はいたって平穏で、津波被害がなかったようである。
 地震直後の宮古市の市民生活を本紙は上記のように報じているが、宮古市の住民も「同じ宮古でも海側ではない町中の住民は、震災前と同じように平穏な生活してる」と語り、また被災し命を失った者と何もなかったような状態の者とを「天国と地獄」と対比している。震災から1年半が経過していまなお、狭く、暑く、寒い、そして不便な「仮設住宅」での暮らしがつづき、職もない人々の暮らしが続いている。

自ら動き出す釜石の水産加工業者

釜石市魚市場周辺の事情はどうかというと、この時点で魚市場は単独では機能していない。津波による被害により魚市場と周辺の水産加工場などが壊滅的に破壊され、その復興ができていないからである。
 そうしたなか一夜干しなどの塩乾品を扱うある海産物店は、加工施設を旧来より1m嵩上げし、本格的に業務を再開、釜石市内を中心に、サンマみりん干し、塩こうじサンマ、イカ一夜干しを製造し、小売店に販売するようになった。元になる魚の仕入れは釜石漁港以外からもしているようだ。これにつづいて、冷凍水産魚の卸、フィレ加工などを扱うある水産会社は、9月下旬頃の完成を目指して浜町にある水産物冷蔵庫の工事を行っており、再建後は、サンマ、サバの保管庫として利用されてる。 市場と加工業者が一緒になって漁業再建に動くということではなく、できることからやっているという状態である。

災害復興公営住宅建設までに被災者の心と体が持つかどうか

旧宮古市魚市場は壊滅的な打撃を受けていたので、そのままでは使用できないと判断され、この夏に解体撤去された。施設がなくなったために陸側からは見えなかった海が見えるようになったことが不思議でならないというのが、周辺住民の気持ちであるようだ。魚市場の施設が再建され、活況を取り戻すことを期待することになる。
 しかし区画整理後、災害復興公営住宅や住宅建築・再建できるまでの道のりは長い。同じ宮古市の住民でも津波被害を受けた者と受けなかった者とを「天国と地獄」と述べた住民は、「被災者には高齢者が多い。災害復興公営住宅ができるまで避難生活が続いている被災者の心と体が持つかどうかを心配している」と、「仮設住宅」暮らしの状態を語っている。

活発に動いている宮古市魚市場と八戸市「八食センター」

宮古市の住民はもとより旅行者にも人気の宮古駅から歩いていける「宮古市の魚菜市場」は水につかることがなかった。鮮魚、野菜などの地元の産物が並ぶこの市場は震災前と同じように営業している。宮古市魚市場が十分に機能しなくても、小売りの商店は物をどこからから取り寄せて並べて売る、ことをしている。
 八戸市魚市場も津波で大きな被害を受けたが、市場の機能を何とか回復させている。八戸市の津波被害は海岸部の製紙会社、鉄工場などに出ており、被害の程度は大きいが建物が残っているために見た目にはわかりにくい。この八戸市の鮮魚と食の市場ともいえる「八食センター」(八戸市河原木字神才)は、震災前に変わらない賑わいである。建物構造鉄骨造り一部3階建て、駐車台数地上駐車場2階駐車場あわせて1500台をもつこの施設では500名ほどが働いており、地元産の魚介類と野菜、日用品を取り扱っていて、関東方面など遠くからの来客がある。八戸産スルメイカの傍らには北海道産のスルメイカの冷凍の刺身が置かれている。日本海の鮮魚も並ぶ。八戸市は高速道路で全国と結ばれているので物資の流通の利便性が高い。

消失被災地に住宅は建たず、破損物が撤去されたまま

釜石市から宮古市にかけての三陸沿岸で津波被害の大きかった地域は、釜石市の魚市場周辺、鵜住居地区、大槌町、山田町、宮古市の魚市場周辺津軽石地区、磯鶏地区などである。大槌町、山田町は街の中心部が津波で壊滅した。山田町は津波に伴う火災によって街が消失した。関東大震災や東京空襲の跡と変わらない惨状である。このような惨状のなかにあっても、津波と火災に襲われない陸の奥にある地域は平穏であるのが皮肉である。
 震災から1年半が経過した8月1日、被災地釜石市の魚市場周辺、鵜住居地区、大槌町、山田町、宮古市の魚市場周辺津軽石地区、磯鶏地区などは、建物の再建などなく、「焼け出されたまま」だ。
 釜石市役所、大槌町役場、山田町役場、宮古市役所もみな、庁舎が津波被害を受けた。大槌町は庁舎の全部が浸水した。少し高い位置にある釜石市役所と山田町役場は1階部分などが浸水した。宮古市役所は閉伊川河口部にあり、水に浸かった。

ローソンが破滅した街に灯をともす

プレハブ構造のローソン壊滅した街で最初に商店の明かりを灯したのがコンビニエンスストアのローソンである。大槌町の津波被害を受けたローソン大槌店は被災から2カ月後には店をつくりなおして開店した。ローソン大槌町吉里吉里店は4カ月後に、隣町の山田町でも同じ時期に山田町長崎店、山田町大沢店がプレハブつくりで再開した。ローソン山田町織笠店は織笠川河口部にあるために大きな被害を受けたが、本格的な店舗として再開しており、岩手銀行管理で運営されてるATMを使うことができる。

焼け野原の市街地でローソンATMが働く

大槌町、山田町を通る幹線道路の国道45号線沿いは、2012年8月1日現在、空襲により焼け野原と同じ状態にあるなか、ローソンが店を開いていた。コンビニエンスストアのATM、ファクシミリなどを利用することによって、日常生活の最低限の用を足すことができる。銀行はほとんど動いていない。郵便会社は仮店舗で運営されている。山田町では地元の最大手スーパーマーケットが再開している。山田町の国道沿いで店を開いていたのは、衣料品の「しまむら」とホームセンターの「ホーマック」などである。焼け出された街中で店を開いているのはこの程度である。
 隣の宮古市まで足を運ぶと無傷の超大型スーパーマーケットなどが、震災前と変わらない様子で営業している。ガソリンスタンドなども同じである。銀行業務の住民向けの一般サービス機能がATMに移されている現代社会を象徴するように、被災地でいの一番に復活したのがローソンである。東北地域、とりわけ三陸沿岸部にはセブンイレブンは少なく、ローソンなどが多く出店している。

山田漁港に定置網のブリが水揚げ
市場には10台ほどの電子ハカリがあった

2012年8月1日に釜石市から宮古市までの三陸沿岸の漁港を回っているうち、山田町の魚市場で漁船が水揚をしているのに出会った。この地は震災直後に取材に訪れ、市場前の海に津波に流されて屋根を見せて浮いている家を写真に撮ったところである。港には<RUBY CHAR="浚渫船","しゅんせつせん">が係留されていた。市場前に沈んでいる流出物は処理されたのだろうか。この市場に定置網漁船が一艘接岸して、ブリを陸揚げしていた。漁船が港にはいるのと同時に仲買の人々が集まってくるのは、魚市場のいつもの光景であり、漁船にはウミネコが寄り添って飛び、これだけを見ると港の平和な風景である。定置網漁船はブリだけを水揚げして、その他の魚ははいっていなかったといういう。ウミガメが迷い込んだということで、市場でこれを見せて海に戻してやった。市場には防水式の電子式ハカリが10台ほど置かれていて、プラスチックの駕籠に入れられて水揚げされたブリを計っていた。
 三陸やまだ漁業協同組合は、山田町の旧4漁協(大浦、織笠、山田湾および大沢)が、2009年(平成21年)10月1日に合併、2008年(平成20年)3月31日現在、組合員数(正・准)1156人(県内4位)、販売取扱高12億7千6百万円(県内8位)である。2011年3月11日に発生した津波被害による影響は甚大であり、漁業の復興はこれからのことになる。

将来の計画を担保にお金を投入する

釜石市から宮古市にかけての沿岸部の被災地における街中の破損物はすべて撤去されていている。震災直後にあった道路脇の破損物の山は消えた。
 破損物の置き場の瓦礫処理がテレビなどで報道されていて、そのことが被災地復興のための最大の問題であるように伝えられているが、復興のための最大の問題は、家もない、船もない、仕事もない、お金もない、病院も十分でない、といった状態をどうやって、人が暮らす状態と街に戻すかである。
 ない物をあるようにするためには、将来の計画を担保にして信用にしてお金を投入することである。日本の国家の財政危機を消費税増税によって切り抜けるという財務省の考えとそれにのった野田佳彦首相や政府と行政の関係者そして財界の関係者は、被災地の状態を理解できていないようだ。国会議員全員が被災地のようすを見ることがあったならば、復興の足取りは違うことになるだろう。

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