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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

目次

18 流通革命とハカリの革命 2747号、2748号

 昭和40年代になると流通革命が起こり肉屋・魚屋・八百屋等の専門店のほかにスーパーマーケットが興隆してきた。そしてこの時期はメカ式のハカリから電子ハカリへと革命的な変化を遂げた時期でもあった。

 昭和45年ごろ開発された電子ハカリは高さ30cm長さ40cmもある代物で重さは20kg近く、価格も40万円と高価だった。これを市内でも大手の肉屋さんに持ち込んで一号機を買ってもらって嬉しかったことは今でも記憶に残っている。

 メカ式ハカリの時代に何とかワンタッチで料金を表示できないかと苦心惨憺していたことが、重量を電流に変換増幅することで電子ハカリは料金の表示を嘘のように簡単にできるようになった。それも1円まで正確に表示する。

 ところがメカ式から電子ハカリへと革命的に変化したことによって、ハカリ業界は意外な黒船に襲われた。大手電気メーカーが相次いでハカリに参入して来たことだった。

 大手電機メーカーには到底太刀打ち出来ないから電子ハカリから撤退すべしという論もあり、事実メカ式ハカリに強いメーカーほど電子化に消極的であった。

 この時イシダは「鯨(大手電気メーカー)はハカリ業界のような小さな池には住めない、必ずこの業界から出てゆく。」と信じ社運を賭して敢然と参入した。石田驤齊ミ長の予言通り大手電気メーカーは逐次撤退した。

 昭和50年代になると電子ハカリは進化してロードセルの出現で本格的な電子化・コンピュータ化されハイテク商品の仲間入りすることになる。

 1975(昭和50)年頃、私のところに古い付き合いの後輩が手作りのロードセルを持ち込んで来た。

 勿論私のところでは実用化は出来なかったが、ロードセルには早くから興味を持つようになった。そんなことで電子化・コンピュータ化の必然性を感じるようになり、1982(昭和57)年にはカタカナ時代のオフィスコンピューターを逸早く導入して事務の合理化を図った。恐らく地方のハカリ屋では一番早かったのではなかろうか。その流れで現在は社内ネットワークを自社で構築し、百数十名の社員にパソコンを支給して総ての情報をデータベース化して共有している。これも地場のハカリ屋としては稀有なことだと自負している。皮肉なことに、メカ式ハカリの時代に高い技術力を持ち、自信を持っていた会社ほど、体質の変換が遅れ、電子化の対応が一歩遅れ、その出遅れが最後まで響き業界から消えていった例もあり、業界の変転を痛感させられた。

 1989(平成元)年消費税の施行で売買金額に端数がつくようになった。1円まで正確にラベルやレシートに打ち出すハカリやレジは急速に普及した。電子ハカリの出現でイシダの売り上げは一桁増え、続いて開発された包装値付け機は1300万円と売り上げを更に一桁増やすこととなった。それに伴って販売代理店の日東の売り上げも二桁増えることになった。

 そして相前後してPOSシステムが流通業界に普及していく過程で、ハカリは単なる重量センサーから大切な経営センサーに変貌していった状況は皆さんのご承知の通りなので、私からこれ以上詳しく申し上げることは差し控えたい。

(つづく)

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