日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載私の履歴書 鍋島 綾雄 日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長 |
目次36 心臓手術 2771号私は幼年学校・士官学校で鍛えられたので体力には自信があった。 50才前後になって少し体力の衰えを感じたので、バットに金具をはめて素振りを毎日50回くらい繰り返し、縄跳び100回に挑戦することにした。 ところが、ある日縄跳びの最中に胸が苦しくなった。近所のかかりつけの医者に診て貰うと、心臓の雑音がひどくて危険だからといって大病院を紹介してくれた。 それから定期的に病院に通って検査を受け、ニトログリセリンの世話になりながら誤魔化してきたが、1983(昭和58)年になって病状が進み、運動中に時々起こっていた発作が寝ているときにも起きるようになった。 大学病院でカテーテル検査をした結果、手術が必要と診断され、大動脈弁をスウェーデン製のプラスチックの人工弁に取り替えることになった。病室の空きをまって8月の末に入院し、手術は9月7日と決まった。その10年前には私の知り合いが弁の交換の手術を受けて亡くなっていた。私がラッキーだったのはこの10年間に心臓外科の進歩が目覚しかったこと、そして東北大学病院では3000例以上の手術歴を積み重ね、全国でも4番目の実績を誇っていたことである。それでも一緒に入院していた40代の男性は手術室から戻って来なかった。 私はお陰で手術は無事成功し、9月7日が私の3回目の誕生日となった。思えば私は幸運というか恵まれた運命に感謝し、生かされている間に少しでも世の中のお役に立たねばならぬと心に誓った。 手術をしてから1年くらい経ったある日、食事中に右手に持っていたお箸がポロリと落ちた。やられた!≠ニ思ったが、数分後に指が元通り動くようになった。これは血が粘って弁に石灰分がくっつき、それが何かの拍子で取れて脳まで来て細い血管に詰まったことを意味する。幸い石灰分が小さかったせいか、一瞬詰まったが幸運にもすぐ外れて事なきを得たようだ。これに懲りてワーハリンという血をサラサラにする薬を25年間飲んでいる。 お陰で一病息災というか、それ以来自分でもびっくりする程予想外の健康を保っている。流石にゴルフは出来ないが、日常の行動には少しも差し支えはない。 1年365日、気分が悪くてビールを飲みたくないという日は一日もない。それだけ体調がよいということだが、風邪で寝込んだこともない。毎日の晩酌は350ミリリットルの缶ビールを1つ空けてから焼酎のお湯割りにスライスしたレモンを落としたのを一杯頂けば満足する。それ以上欲しいとは思わないが、それ以下では物足りない。
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