旅について − 仕事の旅、楽しみの旅−横田俊英(本紙論説員) |
登山という名の旅 旅の本流は自己の楽しみのために出かけるものであろう。私の旅の最初のものは登山と称して出かけるものであった。東京からの手軽な登山の対象となる地域は中央本線の山々で八ケ岳には夏冬通して良く出かけた。登山の名目で日本の各地を列車で移動した。登山という行為のなかに占める列車での移動というパートが私にはうれしかったのである。何だ、みんな登山といいながら旅行を楽しんでいるのではないか、というのが私の登山に関する強い印象である。登山をするための移動が私の旅の原点である。そして列車の窓からの風景が私の日本の国の記憶であり原風景である。 |
年間百日の旅人は
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この国のサイズを足が覚える登山とも山旅ともつかない遊びをしていて、面白いと思ったことの一つは日本列島の大きさを直に感じることが出来たことである。それは富山から松本に抜ける登山コースとなる北アルプスの「裏銀座縦走」の経験である。富山から松本まで山稜を何日か歩くと日本列島を横切ることになるのが不思議であった。「あれっ、日本という国の大きさはこの程度のものなんだ」という実感が妙なものであった。列車や車で移動すればこの国の大きさはそれなりに分かるのであるが、自分の肉体を動かしてつかんだこの国の大きさの実感は別物である。 |
飛行機から見る日本列島 視覚的に日本の大きさを分かることが出来るのは飛行機から日本列島を見ることである。東京から三十分飛ぶとどこまで行けて、一時間飛ぶとここまで来るんだということで、この国の大きさが分かる。 |
シベリアは大きい アメリカは大きい 大きな大地があるものだなあと感心するのはシベリア上空を飛ぶときである。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊したあとはシベリア上空で航空機の窓のシャッターを開けることが出来るようになった。ヨーロッパへの移動の途中眠れないことの代償はシベリアを上空から見物できることである。ときどき道路が見えて、雪の山が見えて、湖が見えるシベリアは大きな大地であると思うのだ。 |
駅の思い出 列車の旅ではその街の印象は駅舎の印象と直結する。 |
旅と食事 食事は旅に出ての楽しみの一つである。 |
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京都 大原 三千院
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一人食いの夕食
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旅と音楽 東北への夏の一人旅。早池峰山に出かけたときだった。列車のデッキでラジカセが鳴っておりチューリップの「心の旅」が流れてきた。若者のグループがにぎやかに夏休みの旅に出ていた。この曲に付けられている歌詞は「ああ 今夜だけは君を抱いていたい・・・・・ああ 明日の今頃は僕は汽車の中」。青春の歌である。この曲をこの時初めて聞いた。旅の情況にきわめて似つかわしい曲であった。作詩・作曲はグループリーダーの財津和夫。一九七三年に作られた曲で遅れてきたフォークソングである。「ああ だから今夜だけは君を抱いていたい・・・・・ああ 明日の今頃は僕は汽車の中」の歌詞の繰り返しに特徴がある。 |