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カワウ

漁り火に  幽玄の影  鵜飼漁  虚心

カワウ

 上野の不忍池にたむろするのはカワウで、ここはカワウの集団繁殖地になっています。
 長良川の鵜飼いに用いられているのはウミウで、茨城県や千葉県で捕獲したものを訓練するのです。ウミウはカワウより身体が少し大きく、潜水能力にすぐれています。鵜飼漁にウミウが選ばれている訳は知りません。
 私の住む神奈川県の相模川では昭和30年代まで鵜飼漁が行われていました。使われたのはウミウで茨城県、千葉県、静岡県で捕獲されたものを買っていました。ウミウを捕獲するのにオトリを用いるのだといいます。
 ウミウは北海道の天売島や三陸海岸で繁殖します。この地に留鳥なる個体もありますが、天売島では厳冬期の個体数は繁殖期よりもうんと減ります。ウミウは冬には南に移動し、三浦半島の城ヶ島などにも多く渡ってきます。
 標識調査によりカワウの14歳の個体の記録があります。カワウは10年は生きるようですから、この間にさまざまな智恵をつけます。相模川では集団での狩りが実行されます。一部のカワウが上流から川魚を下流の浅瀬に追い込んだところを待機していた集団で一斉に襲うのです。浅瀬はまさに修羅場。バシャバシャと壮絶な戦闘が繰り広げられます。戦闘時間は10分ほど。突然の一幕は夢を見たかのようです。
 相模川のウミウのねぐらは津久井湖、宮が瀬湖、相模川の河口部などです。周辺の集団繁殖地ということになると不忍池、千葉の海浜、東京の第六台場、浜離宮などです。相模川にはねぐらから飛来するもののほか、集団繁殖地から通 ってくるものも多くいます。
 カワウの集団繁殖地としては琵琶湖北部の竹生島、愛知県の鵜の山などが有名ですが、相模川には滋賀県や愛知県で生まれたカワウがかなりの数移動してきます。竹生島からは950日、1320日、鵜の山からは219日という移動期間であったことが標識調査で確認されています。竹生島のカワウは、忍(しのぶ)と呼ばれたりして、各地の河川「倶楽部」を渡り歩いて、東京近くの相模川に流れてくるのです。日本列島のカワウは地域間交流をすることで繁殖力を維持しているのでしょうか。いまカワウは他の野鳥を押し退けて増えています。竹生島に共生していたサギは樹上の営巣地をカワウに追われて、地上で繁殖しています。竹生島ではカワウが増えた結果 サギは5分の1に減少しています。
 カワウの鮎など内水面漁業に及ぼす被害が問題になっております。群馬県ではカワウ被害を解消する策として、銃による駆除のお金を1200万円調達したのですが、これに大喜びした地元猟友会は稚鮎をまだ放流していない2月、3月に予定数のカワウを撃ってしまいました。群馬県の稚魚放流は4月にはいってからのことであり、カワウは東京からその後も流入するのです。カワウ一羽を撃ち落とすのに20万円のお金が使われたのですが、これが皆無駄 になってしまったと鮎釣りで有名な地元の名手野島玉造氏がたわいでいました。
 私の住まいは津久井湖とその上流にある相模湖をつなぐ相模川沿いにありますが、カワウは朝には上流に菱形の体型をつくって飛んでいきますし、夕には同じようにして戻ってきます。相模川では6月1日の鮎釣り解禁を前に、主要な吊り場にカワウ避けのスチール線を張りめぐらしています。

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