マガモ |
野鳥を語るのは心美しき者と相場が決まっているようで、私が述べる野鳥の話に疑念をもつ人が身近にいます。素性を知られている関係で私は声がでなかったのですが、大事なのは日頃の行いであると思います。野鳥は心みにくき者にも、心やさしき者にも慰みを与えるものなのです。しかし、その指摘は別 の視点からのものなのでした。話しを一度別のことに飛ばします。
正月休みのあけた京都の宿で朝食をとっていましたら、向かいの席で一人でいる中年過ぎのご婦人が、「あの鳥は何という名でしょう」と、いきなり周囲に響き渡る大きな声を出しました。その声にみんなびっくりしたのですが、微笑ましいことでもありました。ジョウビタキのオスでした。それは橙色の腹部が見事な個体でした。その質問にウエイトレスが足を運んで応対したのですが、鳥はすでに庭から姿を消しておりました。ご婦人は、腹が赤くて頭が黒くて、と懸命に説明するのですが、周囲の誰も鳥の名を告げませんでした。
京都に一人旅に出たご婦人は気分が高ぶっていたのでしょう。そして見なれないジョウビタキのその美しい色合いは京都に似つかわしい野鳥であると思ったのかも知れません。ジョウビタキはオスもメスもそれぞれに縄張りをもっていて春になるまで決まった場所に姿を現すのです。 普段は野鳥に心を動かすことがないご婦人も、京都で気分が高揚すると庭に姿を見せたジョウビタキに感動の声を発するのです。
ですから、私のような心醜き者が野鳥に心を動されてもいいと思うのですが、あまりにも私の本質を知っている人は疑念をもつのです。それは疑念というより、野鳥のことを文章にすることによって私が心美しき人であるように演出していることの醜さを見抜いて、そのことを指摘します。私は多くの罪を犯しているのです。
冬の鳥に私は苦しんでいるのです。冬の野山で見たい幾種類かの野鳥を心に秘めてこの冬を過ごしているのですが、成果 があがりません。野外行動が鈍っているのかもしれません。12月初旬に柴犬が3頭生まれたのでそちらに心が行っていたのだと思います。人は一度に多くのことを愛せないのです。
山の方面で会いたい冬鳥に巡り合えないでいましたから、水鳥を見ることに切り替えたのです。住まいの近くの橋の上から観察できる水鳥は限られているので、大きな湖に場所を変えることにしました。富士五湖の一つの河口湖に出かけてみますと、ここには冬の水鳥が沢山いました。 代表的なのはマガモです。マガモは緑色の頭部に白い首輪をしています。これはオスで、メスは地味な茶色です。ここ数年の間に、福島市内を流れる阿武隈川の岸辺に二度ほど案内してもらいましたが、そこは水鳥の公園になっていました。管理事務所で餌を販売しているので、水鳥と遊べるのです。マガモ、コガモ、オナガガモ、ヒドリガモ、スズガモ、キンクロハジロといろんなカモの仲間がいます。これにマガンやヒシクイそれにハクチョウ(白鳥)も混じっています。いろんな水鳥がまぜこぜになっているのを見るとこちらの頭が大混乱してしまいます。賑やかですね、冬鳥の群れは。
カモの仲間ではマガモが目に付きやすく、また覚えやすい野鳥です。緑色の頭部に白い首輪で、大きさはアヒルと同じです。アヒルはマガモを飼いならして作り出した家禽(かきん)なのです。鴨南蛮はアイガモで作られておりますが、アイガモはなんでありましょうか。
コガモは9月になると日本に姿を見せます。マガモは少し遅れて渡来します。冬をまごまごしていますと冬鳥が北に帰ります。月日の経過が早いと思うようになりました。疎ましい冬も何時の間にか過ぎてしまうのです。2月の声を聞いたと思えばすぐ3月になります。天候不順の冬には気象庁前の桜が1月に狂い咲きします。どう見ても彼岸桜ではありません。
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