天文年間(西暦1550年)甲州は名将武田信玄の治政のもと、その希有な政治的才能も相まって、大いなる繁栄をとげつつあった。
当時領国内に甲斐金山を有し、産出する黄金のために精密なる秤が必要とされていたこと、その反面、領国内に横行する種々雑多、粗悪な秤が、商取引の円滑な交流を妨げることを憂え、長男義信の長子(信義)を吉川守隨家へ養子に下し、秤の製造専売権を与え(秤座の誕生)、規格の統一と品質の均一、向上を図り、黄金掛引秤を製造せしめたことにはじまる。
天正十年(西暦1582年)勝頼亡びて、家康公甲府に入った折、吉川守隨家を呼び秤座の家職を特許した。
その翌年家康公、江戸に幕府を開くや直ちに江戸に出府し、家康公より御朱印を允可され、金座、銀座とならんで守隨秤座を創業した。
以来、はかりメーカーとして信頼と実跡を積み重ね、現在もはかりのトップメーカーの1つとして名を轟かせている。
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