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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)
佐原で造り酒屋の分家の長男として生まれる
祖父善吉と妻たち
善吉は中風を患い左足が悪く歩くのも不自由だったこともあってか、書を良くし、郡役所の書記や女学校の事務員などを勤めていました。菩提寺である日蓮宗浄国寺内にある七面大明神縁起の碑文は善吉の書によるものです。善吉には5人の弟がおりましたが東京に2人、北九州に1人いて、あとの2人は身寄りがなく我が家の墓に入っています。
善吉の先妻「くに」は佐原町の加瀬尚八の三女で、善吉には「くに」との子「みの」と「くに」死亡後の後妻「はつ」との子仲三がいますが、「はつ」が後妻にはいった時「みの」は「はつ」の実家、久住の医家沢田良安のもとに引き取られて育っています。詳しい話は聞いていませんが、「はつ」の性格が知れようと言うものです。「みの」の嫁ぎ先坂井家は今松戸市に続いています。母雪江は銀行員吉田忠蔵の長女で妹4人と弟1人がいます。雪江の母は直ぐに亡くなり、次に来た後妻も妹1人を残して他界、後の弟妹は三度目の後妻の子です。
母は女学校には入ったものの継母に大分虐められた様ですが、実家は私より10才程上の、母の弟義一が継ぎ、吉田家は佐原市浜宿に続いています。