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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)
佐原で造り酒屋の分家の長男として生まれる
軟式庭球部に入る
佐原中学校には剣道部、柔道部、野球部、籠球部、弓道部、庭球部(軟式)、陸上部、射撃部、そして端艇部などがありました。人気のあった端艇部はボートの老朽化からこの年に廃部になってしまいました。利根川で行うボートレースは夏の風物詩の一つで、見物人は堤防にあふれ、たくさんの出店が並びました。
小学校から野球はよくやっていましたので、同級生の中では上手だった筈で、野球部の上級生からは執拗に入部を勧誘され、脅されもしましたが何故か軟式庭球部に入っていました。部活動とは別に剣道と柔道が正課になっていて、そのどちらかに所属しなければならず私は剣道部でした。
1938年でしたか、7月に台風による大水があり、畳を上げて道具類をその上に上げ、弟妹達を母の実家に避難させたりしましたが、床下に水が入り乾くまで大変でした。このとき利根川近くの養鯉場も水をかぶり多くの鯉が逃げ、水が入った水田で鯉を釣る人で賑わったりしていました。
中学も3、4年生頃まで勉強もぼちぼち、祖父か父が読んだものか、漢文や古文の本やその解説書などがあり、十八史略や徒然草、土佐日記などを読み始めたのもこの頃で、物理、数学よりは興味を持っていました。