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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

中検は夜学通いを奨励

 

 

 

中検技師の面々

 中央度量衡検定所(中検)は1933年の庶務細則では、本所に1部、2部、3部と庶務係を置くとの規程がありましたが、私が入所した頃は、研究、検査、検定等を技師が分担処理していた模様で、一度も技師を呼ぶのに部長という言葉を聞いたこともありませんでした。

 長さ測定における光波干渉測定で世界的な研究成果をあげた渡辺襄氏が二代目所長で、その下に、本所には米田麟吉技師、今泉門助技師、玉野光男技師、岡田嘉信技師、天野清技師、佐藤朗技師と属兼技手の友森肇さん、大阪支所長に糸雅俊三技師、福岡支所長に的場鞆哉技師が居られ分担して総ての指揮をとっていたようでした。私などから見れば雲の上の方々ですが、先輩達は皆「さん」づけで畏まっているようなところはみえませんでした。

 私なども1年間教えて頂いたこともあって、親しみも感じられ中検時代から「さん」づけで呼ばせていただき、それが続いていました。この頃は食糧事情も厳しくなってきていましたが、まだ外食券なども比較的に余裕があり,銀座にも牡丹、若松などの喫茶店も開いていました。

教習修了祝いに箱根に

 一年間の教習が終わりに近づいた1943年3月、教習責任者の米田さんと神奈川県度量衡検定所長の岩崎栄さんとのお世話で神奈川県度量衡検定所小田原支所の見学と、教習生だけによる箱根湯本での一泊旅行を計画実行していただきました。

 確か吉池だったように思いますが、このときは大阪の西岡さんが引率者になっていました。

 計量教習の終了と同時に、支所の人たちは支所に帰り、本所でもそれぞれの部署に戻りましたが、私は量衡器係ではなく、新しく比較検査係に配属されました。

比較検査係に配属

 比較検査係は今で言えば基準器検査係で検定に使う当時で言う標準器の器差検査の実施部署で、幹部は玉野光男さん、天野清さん、佐藤朗さんの各技師の下に物理学校出の北村品市さん、竹内喜一郎さんの両技手と後に属となった技手で、教習が一緒だった斎藤勝雄さんがおられ、それに雇員の坂本熈さん、石沢邦治さん、大越正夫さん、宮坂主計さんなどと女子職員では井上みよ子さん、疋田ますさん、神田真砂子さん、松本多美子さんなどのベテラン先輩連がおられ、女子職員の方々は分銅、ます、化学用体積計の基準器の検査を、その他の器種を男性が担当していました。男子職員が毎日行っていた業務は湿式ガスメータの検査で、私も先輩達に教えられ早速と3灯、5灯の検査を手伝い始めました。

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