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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

戦後復興と中検の再建

 

 

 

圧力計の検定に追われる

 普通出張検定は2人1組で行くことになっていましたが、何故か茅ヶ崎工場のみは谷川さんと私とで交替で出張していました。小諸工場には略毎月1回、1週間程度の出張検定が行われていましたが、製紙工場跡で圧力試験機は土間に置かれた状況でした。私の最初の小諸工場は、堀越さんと9日間の検定出張で、小諸工場の中島さん、牧野さんなどの名が浮かびます。度量衡器、計量器の生産は日増しに多くなり忙しい日々が続きました。

 圧力計なども作れば売れる時代、粗製乱造もいいところ、ブルドン管の材料は間に合わせの真鍮、これでは耐圧検査に合格する筈もなく、時には半数近くも不合格になることもありました。よその係も残業はあたりまえと言う状況が続いていましたが、予算上の残業手当では足りる筈もありません、流用にも限度があり、検定依頼者からの拠出に拠ったこともあったような気がします。

さつま芋の買出し

 公務員の給与はインフレに追いつかず月に二度払いになったりした時代、食糧確保に苦労した時代で、中検協和会(戦前からの親睦会で囲碁などの趣味の会への補助、旅費の貸し出しなどに利用されていた)がさつま芋の買出しを主催したこともありました。私などは千葉県への買出しですので、土地感はあるし、乗りなれた汽車で、真っ先に買出しに参加していました。一回にサツマ芋10kg以上も担いで汽車に乗ったこともありました。

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