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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

度量衡法改正から環境計測の取り込みまで

 

 

 

都府県への職員の移籍

 研究所指向からの体制の整備や基準器検査の仕事量を見越してのことでしょうか、1952 年から検定の委譲が始まったこともあって、計量研の本所、支所近くの都府県計量検定所への職員の移籍や、検定の技術研修が行われたのもその頃からだったように思いますが、担当は米田さんを部長とする第2部と岡田さんを部長とする第3部でしたので私などは直接のかかわりはありませんでした。米田さんは第2部長で第1部の第4研究室長を兼務していて、第4研究室は米田さんの下、中谷昇弘さん、高田誠二さん、渡部勉さん、永瀬好治さんなどの温度担当と、密度担当の私と河崎さんとが室員でした。思い出の一つにフランス語の勉強がありました。米田さんを先生に週1日ですが、午後の4時半頃から輪講形式で気体論1冊(文庫本位の薄いものですが)を読み上げました。このフランス語の勉強会には温度計係長の酒井五郎さん、企画係の多賀谷さんも参加していました。

教習所講師30年

 計量教習所における密度の講義は、中谷さんが担当していましたが、私にお鉢が廻ってきたのは確か、1954年かその翌年だったように思います。はじめは生徒の顔も見られませんでしたが、講義資料を作る作業は、良い勉強になり、1959年にコロナ社から発行した「密度及び濃度」はこの講義資料が元になっています。教習所の講師は以後30年程続けることになりました。この時の教習所長は岡田嘉信さんで、矢萩修一さんの他男女各1名の事務員でした。計量教習所は新宿区河田町の地質調査所分室の4階にあり、板張りの床が波打っている様な所でした。近くに女子医大、フジテレビ、税務大学校がありました。教習所と同じ階に寝泊りしていた地方計量検定所からの教習生は、夜はよく新宿に遊びに行っていたようでした。

NBSと浮ひょうの器差比較

 この頃でしたか、液体の比重測定方法、しばらくして固体の比重測定方法のJIS作成委員会が編成されましたが、何れも米田さんが委員長、私が幹事をすることになり、芝亀吉先生や筒井俊正先生等とJIS作成にかかわりました。また計量士の国家試験には米田さんの下で、密度、濃度の試験問題、採点そしてはじめの頃の口頭試問にも担当として出席していました。口頭試問は河田町の計量教習所で専門別に別れ、必要な器種について行っていました。密度、濃度は圧力と合同で専門科目として受験する人も少なく、質量などの必須科目に比べ楽でした。

 この年標準密度浮ひょうの器差測定も終わりに近づき米田さんに報告したところ、この測定が外国に通用するかどうか確かめようと言うことで、アメリカのNBSと比較することになりました。新たに器差を測定した5本の浮ひょうをNBSに送り、その校正を依頼しました。結果は非常によく一致し、私たちの測定が間違いないことがわかりました。結果がわかったその日に大変喜んでくださった米田さんに、銀座の居酒屋でご馳走になり、米田さんに市川の私の家まで送って頂いてしまいました。この確認が取れたことから、計量研の本、支所で使用する標準密度浮ひょうを校正する作業に移りました。この作業は河崎さん、浮ひょう係にいた内川恵三郎さんと1959 年初めに終えましたが、液体表面を流すという測定方法の違いがあり、検定所、製作者と使用者にも周知徹底して定着するまでには更に2年ほどが必要だったように思います。

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