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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)
計量研究所第4部長時代のこと
JICAの集団研修受け入れ(2)
係長は岩崎晋さんでメートル条約、国際法定計量機関(OIML)に加え、1973年度からはじまる国際協力事業団(JICA)による集団研修コースとしての「計量標準コース」と工業技術院の国際研究協力事業(ITIT)に対応するものでした。JICAの研修はこの時は3ヶ月で約10ヶ国からの受け入れでした。
マレーシアへの技術移転の協力
またITITは岩崎晋さんと山本弘さんの努力で、マレーシア国と計量標準供給についての共同研究を始めることになり、プロジェクト研究が開始され、1974年3月共同研究調印のため岩崎さんと25日程マレーシア国に出張しましたが、このとき岩崎さんにすっかりお世話になりました。
私は初めての外国で、クアラルンプールに到着する時、飛行機が雷雲に突っ込み、物凄いゆれで歓迎されたのを思い出します。クアラルンプールでは毎日会議で、こちらからの説明と質問に答えることに終始していました。できかかっていた標準研究所を見学に行ったり、調印書類の催促をしたりしていましたが、なかなか思うようになりませんでした。休みの日を有効に使い、クアラルンプール附近を見学して廻りながら買い物をしたり、ペナン島まで車で送って貰い、静養の真似事などもしました。長い日数をかけても、結局は書類が回らず調印までこぎつけられませんでした。風土の違いを見せ付けられた思いでした。
この時の帰りは、バンコクと香港に寄りましたが、バンコクでは検定所を見学し、日本の計量法を誉められ、はかりの検定作業などを見学し、香港では店員に「あなたは日本語が上手だ」などと言われて、悦に入っていたのを思い出します。
姫野瑛一課長の計量法大改正構想(1)
4部長室には小泉さん命名のアルコールテーブルと称する丸テーブルがあり、小泉さん時代から退庁時間後毎日のようにお酒を飲みながら議論していました。私になって大分回数は減ってしまいましたが、それでも時々は同じようなことが行われていました。
私が4部長になると同時に計量課長も姫野瑛一さんになって青森で行われた東北・北海道計量大会に一緒に出席したことを思い出します。この姫野さんが計量法大改正を計画、計量行政審議会に諮問しました。今はもう記憶が定かではありませんが、多分計量法の中に環境計量が組み入れられたことなどから、全面的に見直すことを考えたものと思います。
この時の総括班長が鈴木孝男さんだったと思いますが、検定検査方法を合理化するため、技術的見地から、型式承認と抜取検査とを検討したことが思い出されます。当時計量課に在籍していた渡辺修一さんと業務課長の高橋政雄さんの3人で、検定制度の検討をする相談をし、型式承認を検定の前提として位置付け、試験をするもの、一部試験するもの、図面審査のみのもの、試用期間とするもの等々の議論をしました。