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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

計量研究所第4部長時代のこと

 

 

 

第4部長就任への打診が

 計量研の第4部長は豊沢陽二さん、和田功さんから小泉袈裟勝さんになり、1971年から増井敏郎さんになっていましたが、1973年になって筑波移転がいよいよ具体化の段階に入ってきたころ、所長からではなく川田第3部長から相談の形で第4部長に、という打診がありました。

 この話が出る大分前から、第4部長室と同じ3階にあった密度研究室に増井さんが囲碁の誘いに来ては部長室で碁をうち、その時よく4部内の話をしてくれていましたのは、その前提だったのでしょう。薄々は感じていましたが、増井さんが静岡大学に出向することになって、正式に話がでたときは、何故私なのか、私に勤まるのかどうか、また4部内は筑波移転問題で紛糾中、他の部長は東大出の研究者、また部長になることは私の先行きが限定されるようでもあり、居心地の良い計量研を早く辞めなければ等々ということを考えながら大分迷いました。

当時の計量研究所の体制

 この頃には2人の子供も親の責任がなくなる年になりつつあり、あとは計量研内のことだけで、移転問題の後始末も大変と思いましたが、色々の事情をも考え引き受けることにしました。特に何かの処理を命じられたこともなく、4月から4部長の職に就きました。2流、3流の研究者で、研究や実験が好きではなく、手先の不器用な私としてはそろそろ身の処し方も頭に有ったのかも知れません。

 あとで聞かされた話ですが、私が4部長になることを承諾して、何故か所長が喜んでいたとの事でした。この頃の計量研は山本健太郎所長、桜井好正第1部長、高田誠二第2部長、川田裕郎第3部長、入江義矩総務部長、奈良治郎企画官でした。第4部は大越正夫さんと穂坂光司さんとが課長で研究室長には角田和一郎さん、高橋照二さん、古関武雄さん、木村雄一さん、黒部明さん、村田守さん、検査係長には中保治彦さん、宮川安正さん、沢吹忠雄さん、菊池正明さん等でした。

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