since 7/7/2002
私の履歴書 齊藤勝夫(第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、現千葉県計量協会・計量士会会長)
03年、私が千葉県計量協会長として取り組んだ事業
懸案の関東甲信越計量協会・計量士会の協議会の合同開催に漕ぎつける第2編 歴史をつくる力
計量行政室長の出席が成否の鍵
来賓が決まったところで、私は2団体が46年振りに歴史的に意義のある門出になるも、ならぬも、来賓の出席があるのか、揃うのか、一部の片寄りかの現実の姿如何(いかん)にかかっていると当番を受けて、早くから心に決めており秘策を練っていた。
何よりも出席されているだけでも違う。 臨場感を持って生の、直に、映像でなく、録音の声でなく、ましてや活字でなく、肌に触れて、手の届くところで、目の前で口を開いてもの申す人を眼を凝らして見つめるとき、人には伝わるものがあるものだと、私は数々の経験からそれを実感している。
そのようなことで、いの一番に経済産業省計量行政室長ご本人の出席をしてもらうことが成否の鍵だ。平成14年11月1日計量記念日の経済産業大臣表彰式を大臣に代わり、あいさつと表彰状を授与していたのは、当時櫻田義孝政務官であり、休憩時間に声を交わし、傍らの局長さんや計量行政室長さんに「千葉県の計量協会長の齊藤さんには選挙で世話になっているんだ」と申され恐縮した。
公務員が約束したことです
そのことをふまえ、計量行政室の当時の鈴木洋吉課長補佐に政務官室で櫻田義孝議員に会いたいので、その機会をつくってくれるように頼んでいたところ、鈴木課長補佐さんから12月11日(金)経済産業省政務官室で櫻田義孝政務官が午後4時から4時30分まで会えるとの連絡が入り、待っていましたとあたふたと計量行政室へ当日参上、佐々木正室長と鈴木洋吉補佐と3人して面会する。
私は開口一番「先生、来年10月2日、3日鴨川グランドホテルで関東甲信越ブロックの計量協会と計量士会合同で歴史上初めて連絡会議を開くのです。計量行政室長に必ず出席するように頼んでください」「そうか。佐々木さん行ってやってくれ。会長の齊藤さんからの頼みだ。齊藤さんには何かと世話になっているのだ」
私は声をさしはさみ「先生、世話になっているのはこちらの方です。沼田知事の選挙では一緒に駅立ちもした仲です」話は早い展開、室長は「行きます」と答えられた。後日明けて翌年6月17日佐々木室長さんに当番県からの開催案内を持参したとき、7月に異動になったときの事を尋ねると「公務員が約束したことです。必ず後任に引き継ぎ行ってもらいます。心配ありません」毅然と言い切った。まずは我が意を得たり、安心する。
成功疑いなし
次に第2弾は、萩原まき子東京都計量検定所長さんに懇願することだ。それから2日後、12月13日所長室でお会いし必死にお願いをし、佐々木室長の出席確約を申し添えた。大変なお方で、「事情により、休暇を取ってでも行きます」。
余りにも有り難い親身のお言葉、一瞬声が詰まる。全国世話人ご出席の報は何よりも貴い重みのある朗報。新しい大きな歴史をずっしりと築かねばならない3日間だ。もう成功疑いなし。大いなる力の手を差し伸べてくれた御2人である。その一面、公務員倫理関係法令の文言を室長さんに見せられ、職務上の会議、打ち合わせ以外自費を払っても禁止の厳しいリスクを負いながらの決断に言葉もなし、唯々深謝あるのみ。
この御2人に伍し、いわんや自分の県の齊藤博之所長さんは早くから行事総てにご出席を表明されている。歴史を綴る最大の実力者であることに正義感と責任感と男の誇りが映されていて「動く山」の道標の方である。感謝感激に浸る
ここまでの当番としての行事計画を無から有を生ずる先例として多くの先輩、同僚、親友知人、組織の責任者の厚き理解によりつくりあげることができ、いよいよ当番本番の平成15年4月に入ることができた。
4月24日開催されたブロック連絡協議会理事会に向かう1年間の当番県としての行動計画を責任を持って策定した「平成15年度ブロック計量協会・計量士会合同連絡協議会事前準備・通知案内及び事後処理予定表(案)」を席上提出し、了承され、寸分相違なく時系列にその後進行することができた。
なかでも合同連絡協議会(10月2日)の次第づくりを何回ともなく練り直しつつ、つくりあげ、当日、中央・地方の来賓の方々の賑々しくそろい、招聘団体の会長の方々が席を埋め、滞りなく終わったとき、群馬県計量協会長松倉重昭さんの限りない愛の思いやりと厚き指導の数々に感謝感激に浸った。この方こそ手作りで歴史をつくり仕上げの総帥者として、証人として、歴史の山の頂の初冠雪として清らかに光り輝く君臨された方である。
ただみれば なんの苦もない
平成15年10月2日(木)念願の合同連絡協議会の講演も無事終わり1階に降りてきた。午後5時55分。千葉県計量協会事務局の下林典子さんが、駆け寄ってきた。
「会長、終わりましたね、よかった」。目に涙、泣いている。
「よかったね。ありがとう。まだ、懇親会も、明日もある。頼む」。彼女はハンカチで顔を覆って泣いている。もう声もなし。「一将功成りて万骨枯る」であってはならない。この姿が歴史の裏で陰でつつしまやかに2団体統合の歴史を一つひとつ積み上げ、つくった真の人だ。よく今日まで耐えて耐えてよくやってくれた。 最後に合同協議会開催までの私の心境を次の歌に託したい。
「ただみれば なんの苦もなき 水鳥の 足に暇なき 我が思いかな」必ず実行すると決めた2つのこと
泣き続く彼女の姿、歴史を支えた姿、万骨枯れても一将功成らんとする会長の姿、どう見ているか。若き時代詠んだ句が今日の姿を映し出していると思い浮かべた。
二団体統合の歴史が現実に、無事に、しかもよくぞ、こんなに活発に、脈々と続き、議論し合い意見を交換し、自らの主張を願望を含めて言いたいことを申してくれたものだ。
若き現役所長時代、来賓として臨んでいた時代には経験していない光景だ。議長の采配は申し訳ないが時間との闘いが一方で脳裏にあり、瞬間、瞬間が勝負であったが、丁々発止と繰り広げられた協議会のこの姿こそ、12を数える議題を全て当日としては、残念ながら時間の制約で決着つかず、事後処理に回す苦悩の選択をせざるを得なかったが。しかし、このときこそ、必ず提案者に、会場の参加者に、歴史は新しく扉が開いた事を実感として受け止めてもらいたいと、強く協議会に臨んだならば議長としての特権として2つのことは、是非とも実行すると心に決めていたことがあった。しかも、我ながら志どおり、言い、やり遂げられたと信じ、必ず、後に続いてくれるものと自負している。
事後処理を必ず実行する(1)
それは、一つとして、このような協議会は、得てしてその場限りで幕を閉じ、なんのため議論したのか、提案した意図は霧散して消えていき、しかも誰も責任を取らない。このような結末はあってはならないし、してはならない。そのため、議長の壇上から声を大にして呼びかけた。「二団体の運営委員会を設けて、事後処理を必ず実行し、一歩でも二歩でも前進するようにする。それをやらないならば、議長の怠慢だ。11月12日に代表者会議を開催し処理する」。声は確かに会場にわたり届いた。
自らの職を賭しての公約であった。協議会が10月2日、3日と終了し、直ちに日本計量新報社に赴き、用意した原稿1410字を差し出し、出来るだけ早く広告としてこのとおり登載して欲しいとお願いしたところ、好意的な即答をいただいた。
即時性、広域性に優れることは新聞以外にないとの頼みは実を結び、10月12日<CODE NUM=0203>の紙面に、見易く見出しを付けて原稿通り8面を飾ることが出来た。
そこには「お知らせ」として会議の日時、場所。会議のポイント、さらに事後処理案件の扱いを
1、文書による方法
2、運営委員会に付議する方法
3、調査の実施に区分し、列挙し分かり易く記述し、周知することができ、まずは、事後処理の一歩をいち早く進めることができ、以後の取り組みに役立ったことは幸いであった。
自由提案を必ず活かす
二つとしては、予め用意して提案される議題の範疇から別に、ホットな、時事的なものと扱えることのできる当日、会場から自らの組織団体をとおさず、われと思う者が自由に発言と提案できる、「当日提案意見・議題」の時間を用意し、活用してもらう仕組みである。
事前に20分程度目論んでおり、議事を進めて、そのタイミングになったとき、手元に5分しか残っていなかった。そのとき、現役時代「全国中小企業行政大会」を熊本市で開催し議長に推挙された3時間に及ぶ大熱演の会議の経験が脳裏に浮かんだ。
咄嗟に、「今日は時間が5分しかないが、今日から向こう14日間、この時間を延長しますから、この場で発言出来ない方は、議長として私宛にどんな形でも結構ですから寄せて下さい」と全員に向けて叫んだ。時間は十分与えることができ、いつでも、誰でも活用できると自らにも言いきかせた。
案の定、東京計量士会の方から含蓄のある提案がなされ、立派に事後処理に回って処理することができ、対策として浮上することができた。ものは考えようによっては知恵と経験が役立つものである。
協議会の提案議題の協議の内容は、日本計量新報社において、程なくして特集号で取りあげてくれたのでそちらを見ていただくこととする。