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日本計量新報 2011年12月11日 (2897号)
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自分でつくった身勝手な目盛りでモノを見てはならない
芥川賞作家の開高健(かいこうたけし)氏は饒舌多弁の作家であった。生前、テレビのインタービュー番組に登場した際には、アルゼンチンで放牧されている牛の肉は日本のご飯のようで淡泊でほくほくとして美味いなど、途切れることなく旅や食を語っていた。視聴者とって面白い内容で、聞き手のベテランアナウンサーが言葉をいれる余地のない状態であった。
番組はそのまま終わっても何らさしつかえなく思われたが、アナウンサーは突如ガァーと意味のないことを話しだした。番組は、開高健氏の旅経験と食へのこだわりがよく出ていて成功であったのに、最後に有名アナウンサーが自己主張したために台無しになってしまった。
聞き手役の人間がずっと喋りつづけるテレビ番組を時々見かける。話し手の沈黙のような少しの間に耐えかねて、隙間を埋める言葉を聞き手が発すると、大概そのインタービューは聞き手の関心事だけの話の内容になってしまう。インタビューをする者は、相手が考えている事柄を引っ張りだすためには、自分の世俗な関心事で問うてはならない。聞く側が黙っていると、親切な話し手はいつしか自分の心にある物事を静かに表に出してくることが多い。
インタビューの目的によって様々な手法があるので、一概に決めつけてしまうことはできないが、「聞き手は喋りすぎるな」ということは、インタビューの心得であると思われる。
また紙誌などでのインタビューでは、たとえばアインシュタインなど大天才の話は一句一行にいたるまでなんら手を加えずにそのまま文章にして伝えるのがよい。人の話し言葉はそのままでは文章になりにくいので、録音を文章に起こす場合には言葉を置きかえたり主語述語などを整えるのが普通であり、一般にそのようにして紙誌面が構成される。しかし、アインシュタインがそのインタビューで新しい構想や新しい概念や何か新しい事柄を織り込んだ話をしているのを、普通の物理学の概念でこれまでの物理学の秩序にしたがって文章にしたならば、このインタビューの意味は消失する。天才の言葉は意味が不明でも手を加えずに書き残すことが正しい。
最近、中国製の感度の低い放射線測定器が世間に出回っていることが問題になった。
安価で手に入りやすいため、多くの人が購入して放射線測定に用いているが、国民生活センターが中国製の9機種に実施した性能テストでは、誤差が30%を超え、0.06μSv/h以下の低線量を正確に測定することができなかった。これらを使用する人々は、目盛りはあっても何も引っかからない性能の機械で測定し、事実とは異なるにも関わらず値を真実として信じているのである。
これらは、全く違う話であるが、どこか共通するところがあるように思える。
相手の本来の姿を捉えきれていないのに、自分が用意した質問に対する反応のみをもって「これで全て」と判断することは誤りである。
自分の勝手な目盛りでモノを見てはならないという意識を、あらゆる物事に対して持つべきである。
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