毎年11月、十干十二支を当てて定める日付け法で「酉」に当たる日には、「酉の市」がたちます。
この日、浅草の酉の寺や各地の鷲神社、大鳥神社は、おとりさまに御利益をお願いする人々や、おかめや大判小判などの縁起物で飾られた熊手を求める人々でにぎわいます。通りに響く、露天商の威勢のいい掛け声は、師走も間近な街の風物詩と言えるでしょう。
開運招福・商売繁盛を願うこの「酉の市」。
由来としては、日本武尊が東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社で行ったことにちなんで、彼の命日である11月の酉の日に大酉祭を行うとされています。
が、実際は鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端だとか。
鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ、当時、氏子は鶏肉を食べる事を忌み、社家は鶏卵さえ食べませんでした。祭りの日、氏子たちは生きた鶏を奉納し、終わると浅草寺の観音堂前に放してやったそうです。
ところで、酉の日は12日おきに巡ってくるため、酉の市には「一の酉」、「二の酉」、年によっては「三の酉」があります。今年の酉の日は、4日、16日、28日の3回なので、「三の酉」まであることになります。
この「三の酉」のある年は火事が多い、との俗説があるのをご存じでしょうか?
鶏のトサカが火を連想させることや、火事の多くなる季節に「火の用心」をアピールするためなど、その由来には諸説ありますが、江戸時代の女性の知恵(?)だとする面白い話もあります。
酉の市がたつ大鷲神社は、吉原遊廓のすぐ側。祭りの日は通常は開けない大門以外の門も開放して、昼見世から開き、遊廓にとっても特別な日でした。
当時の川柳に、こんな川柳があります。
「お多福に熊手の客がひっかかり」
「熊手見て女房かみつく戌の市」
つまり、酉の市に参詣した亭主が吉原に引っかかって翌日の戌の日に帰り、女房に「戌の市にでも行っていたのかえ?」と噛みつかれる、というわけです。
そこで、そう何度も吉原に遊びに行かれてはたまらない、と考えた女性たちは「三の酉のあるときは火事が多い」と言って男性たちを引き留めたのだと言われています。いつの時代も女性は男性の浮気心を封じるのに苦労するものなのですね。
ちなみに、現代でも「三の酉」のある年は、多くの熊手商が縁起熊手に「火の用心」のシールを貼って売りだすのだそう。
これからは暖房を使い、空気も乾燥して火事の増える季節です。「三の酉」のある今年の冬、くれぐれも火の始末にはお気を付けて。
もっと詳しく知りたい方はこちらへ
洒落て学ぶ(浅草酉の市)
消防雑学事典(東京消防庁)
酉の市(Wikipedia)
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