> デュッセルドルフへ
先方の都合もあり、出張の日程は4月末から5月中旬と決まった。ゴールデンウィークのど真ん中である。ゼンジミア社がイタリアの田舎に来てもらうのは気の毒だから、パリのゼンジミア社で打ち合わせを行おうといってきた。また、形状検出機の発明者のDr.ピアソンとはロンドンで会うことになった。この話を率先して進めて下さった直属の部長は「高徳君、ヨーロッパはベストシーズンだよ、パリのシャンゼリゼ通りではマロニエの花が散って肩にかかってくるよ」と、まるで人が観光旅行に行くかのようにいわれたのには参った。
まずデュッセルドルフへ飛び、クルップとドイツ特殊鋼を訪問した。
ドイツの技術者
大きな部屋に秘書がいて、入って挨拶を交わすとソファーを勧められる。別の事務用テーブルの上には、私とのミーティングのためのファイルが既に用意されていた。
大部屋で2列、3列と机を並べ作業着で座っている我々日本の技術者とはこれほどまでに待遇が違うのかと、唖然とさせられた。着ているものは作業着ではなくスーツである。ファイルの中には色々な文献が揃って入っている。日本のこともよく調べている。これを見てまた感心、悠々と仕事をこなしている風情である。現場を見せてくれと頼めば、上着を作業着に着替えてスタスタと出かける。ドイツ特殊鋼もクルップと似たような対応であった。昼には、周りに野生の鹿を見かけるようなレストランで食事。ゆっくりコーヒーをいただけば、もう終わりの4時近い。
2社とも板形状検出には関心があったが、疵検出には興味を示さなかった。ドイツでは、日本みたいに細かい疵などは問題にしていない事も判った。残念ながら、彼らの方がずーと合理的なのである。鋼板の上にちょっとした疵があるなどの下らないことには、気を取られない国民性なのかも知れない。
スエーデンのアセア社訪問
アーランダ空港からのドライブがまた素晴らしい。車は青い森とたくさんの湖を縫って走る。所々にシェルターが見えるのもこの国の特色らしい。大きな森に囲まれた中に、立派なアセア社の建物群が見えてきた。会社紹介の映画館がまた大きい。日本人1人では申し訳ないと思った次第。
事務所はドイツとは異なりワンフロアータイプ。しかし大部屋に机ぎっしりの日本とは違って広いこと。皆さんが思い思いに机を置き、空きスペースもあり、植木も置かれ全体がゆったりとしている。事務所の設計方針に、ワンフロアーというのがあり、あちこちで意見交換をしながら仕事を進めていることも教えられた。
一般の工場見学の後、某社向け組立中の形状検出装置を見せてもらった。やはり北欧一の電気会社だけあって建物もその配置も素晴らしかった。白夜に近いストックホルムで市内観光では、落ち着いたたたずまいを楽しんだ。明くる朝、再びデュッセルドルフに帰り、週末をドイツで過ごしてパリとロンドンへ。
ドイツの週末
(出張中に)なぜ2回もデュッセルドルフを訪れたのか。実はここに商社の駐在員をしている兄貴一家がおり、週末はオランダの方にドライブに行こうと誘われていたからである。
兄一家と、ライン川に沿ってボンに行き、古城をはじめ、ケルンの大聖堂やベートーベンハウスの観光を楽しんだ。翌日はオランダに向かい、当地の庭園(キューケンホフ)を散策した。ここの美しさと広さは見事なもの、桜からチューリップまでありとあらゆる花が満開であり、とにかく日本では見られない光景に驚いた。欧州に来て気づいたことは山がないこと、従ってアウトバーンでもトンネルなし、これをベンツで走ったときの感触がまた凄かった。
ちょうど私の欧州出張の直前に、兄嫁の実家が京都伏見に酒蔵を新設した。ここで出来上がったばかりの新酒を土産に言いつかったものだから、兄貴の家ではすき焼きをご馳走になった。肉も美味で、材料も全く日本と変らないのには驚いた。
パリでの無念
残念であったのは、パリ。出発の際に工場長が、モンマルトルの丘で食事を取るようにと勧めてくださったので、そこに行きフランス料理を頂いた。 その後、ぶらぶらしていると、大きな教会があったので、入って礼拝に与った。フランス語は全く判らないが、聖歌隊のコーラスが素晴らしい。パンとワインの聖餐にも与り、献金も捧げた。気持ち良く会堂を出てくると、生憎の雨、タクシーでホテルに帰ろうと待っていると、後ろに老婆。順を譲ったつもりが、その老婆が「お前も乗れ」という感じで、「送っていってあげる」と言う。「お前はクリスチャンだろう」と話しかけて来るが詳細はさっぱり判らない、サクレ…、サクレ…、と言うが何の事やら、両手で大きな円を描く。このお婆さんは田舎からきた巡礼中の人で、日本から来た私のことを非常に喜んでくれているのは判る。お礼を言いたいのだが言葉が出てこない。別れ際にお婆さんは抱きついてほっぺにキスをしてくれた。運ちゃんにお代を払おうとすると、婆さんからだと手で示して取らなかった。
言葉が話せず、こんな残念なことはなかった。ホテルでガイドブックをめくってみると、そこは「サクレクール寺院」、そこで「聖餐」を一緒に受けたじゃないか…と婆さんは言っていたのだと気づいたのだが、時すでに遅し。
その夜はホテルの部屋で、スーパーで買った食料とワインを飲みながら憂さ晴らしをした。次の日は、英語ガイド付の観光バスでパリ見物、ルーブル美術館もゆっくりと見せて頂いた。
緑の大地、英国へ
明けて次の日は、ヒースローへ。広い広い緑の彼方に空港が見えた。フランスでは言葉で散々であったので、英語のアナウンスを聞いてやれやれ。ロンドンで2泊して市内観光。ハイドパークでは偶然にも退役軍人のパレードに出くわした。長めのコウモリ傘を鉄砲に見立てて持ち、整然と行進する。パンフレットを配っている人を見つけたので、私も欲しいと言うと部外者にはあげられないと言って後を向いて渡してくれた。このウイットに富んだ仕草を見て、真に英国に来た気分を満喫したものであった。
翌朝は、由緒ある英国鉄道でシェフィールド(英国のほぼ中央に位置する工業都市)へ。ここで形状検出機と初顔合わせをし、説明を聞いて、動作の確認テストをした。合わせて4日で一連の検収を済ませた。次に、呼んでくれていたBSC(英国鉄鋼公社)の技術者と形状制御のディスカッションをし、終わりの日には皆で飲んで騒いだ。
シェフィールドのD・ローイ社の人が週半ばの半日を空けて旧貴族の館を案内してくれた。豪華極まりない敷地と建物に「世界には金持ちはいるものだ」と驚いた。それに対して、その敷地の傍らに並ぶ使用人の住居が対象的であった。英国の階級制を目の当たりに見た気がして、マダム・チャタレイ(小説『チャタレイ夫人の恋人』)の背景がよく解かったような気がした。
実は内心、ロンドンで仕事を終えた後に業務の出張からは外れて、お忍びでローマに立ち寄りバチカンほかを見物して帰るつもりでいた。兄貴もデュッセルドルフで別れるとき「ヨーロッパに来た限りは、必ずローマには寄って帰れよ」と言ってくれた。しかし言葉が通じなかったパリを思い出し、南に行くほど治安は良くないことも心配し、ロンドンでゆっくりして帰ることにした。後から思えば、やはりあの時は疲れていたのだろうか?
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