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日本計量新報座談会 2020/10/3(土) リモート開催
テーマ 「感覚量による計測の新展開」

〈出席者


応用計測研究所(株)                       鴨下隆志
元東亞合成(株)                              中島建夫
クオリティー・ディープ・マーツ(責)    吉澤正孝
ヱスケー石鹸(株)                           安藤欣隆
日精樹脂工業(株)                          常田 聡
コニカミノルタ(株)                           田村希志臣
コニカミノルタ(株)                           近藤芳昭
上杉技研                                        上杉一夫
(株)小松製作所                             細井光夫
日本能率協会                                見原文雄
東芝エレベータ(株)                        小川 豊
トヨタ自動車(株)                            田中公明
キヤノン(株)                               吉原均(司会)


〈目次〉


◎感覚量について
◎二通りの感覚量
◎乗り心地という感覚量から
◎人は総合的に判断する
◎感覚量を測る目的とは
◎物理量の大きさで決まらない感覚量
◎製品開発と感覚量
◎感覚量で人の評価をすることとは
◎感覚量をうまく活用して評価するには
◎計測器が追いつかないとき
◎好みの問題を研究するには
◎使い手にあわせたチューニング
◎感覚という総合計測が価値創造に結びつく



◎感覚量について

吉原均(司会):みなさん、こんにちは。ただいまから第270回のNMS研究会を開催します。今回は毎年恒例行事になった日本計量新報座談会です。

吉原(司会)

座談会04

 新型コロナが世界中にまん延しています。NMS研究会も6月からずっとリモート開催で運営しています。今回も座談会ではありますがリモートでみなさんと議論を深めていきたいと思います。


 テーマは「感覚量による計測の新展開」です。このテーマに対して品質工学はどのように関わっていけば良いかというのが、今日のお話の主な内容になるかと考えています。


 このテーマを決めるにあたっては、先月のNMS研究会でみなさんと議論しました。このテーマに至るまでにその時に出た話題を簡単に振り返ってみます。


 測れないものをどうやって測るのかとか、感覚量の計測の効用ってどんなものがあるのとか、人は計測器になり得るのかなどに触れました。感覚量、知覚・思考による計測とはどんなものがあるかというと、たとえば具体的には、風合い、味、着心地ですね。あるいは、ユーザーインターフェースのような使い安、ユーザビリティー、乗り物でいえば運転のしやすさがあります。さらには、システムの良し悪し、システム選択のときに測定手段がない場合、フロントローディングでの場面では対象が先端過ぎて計測手段がないとか、意思決定の場面でも感覚しか頼るものがないとかがあったりします。総合評価に適用する場合、感覚量の質の問題があったりします。


 そのようにいろいろな場面で感覚に頼っています。診断モデル、バーチャルパラメータデザインやMTシステムにも関わってくるような領域だと考えられます。


 以上のような事に触れながら今回のテーマを「感覚量による計測の新展開」としました。みなさんでこのテーマについて議論を深めていきましょう。


 はじめにコニカミノルタの田村希志臣さんに感覚量に関するお話をしていただいて、それを議論のきっかけにして話を展開したいと思います。田村さん、お願いします。


田村希志臣:感覚量を計測するというテーマを考える時に、まずみなさんがはじめに思いつくのが官能評価だと思います。実際、官能評価には様々な分野で昔から取り組まれています。品質工学でも田口玄一先生を中心にいろいろなケースで実践されていました。

小川・田村


 今日のお題である「感覚量による計測」は概念として官能評価とどういう違いがあるのか。さらには、「感覚量による計測」は新しい概念だと思うのですが、こうした視点を持った時に、計測評価にどういった可能性と広がりを期待できるのか。このあたりが、今日の論点になると思います。


 計測計量、特に官能評価についてはこれまで鴨下さんがかなり関わってこられていますので、座談会の皮切りに、ちょっと昔のお話もしていただけないでしょうか。


鴨下隆志:だいぶ古い話なのですが、先ほど吉原さんが整理してくれた中に、着心地とか風合いというのがありました。昔、着心地について関わっていました。

鴨下隆志氏


 官能量と絡めて考えてみますと着心地というのはただ単に刺激の大きさを評価するという単純な話ではなく、もう少し高度な判断が入ってくるような気がします。たとえば服を着た時にきついとかゆるいとかという話になると、比較的簡単に判断でできる内容です。


 どこまで感覚量の中に含めたらよいのかというのは難しいと思いますが、今日は人が判断するものは全て感覚量でよいのではないかと思っています。


田村希志臣:昔から、感覚量というと評価特性としては精度がないのではないか、怪しいのではないかという見方が強かったと思うのですが、そのあたりはいかがでしょう。


鴨下隆志:そのあたりは昔、着心地について池田先生(当時:文化女子大、現:文化学園大学)と行ったことがあります。その時に、着心地を人が判断するのですが、人がどの程度、着心地の判断ができるかというのが分からないので、あらかじめ検査員(学生)の検査能力として、測定機でいえば測定精度になるようなものを測ってみました。


 どのようにして測ったかというと、人の体の寸法まず測っておいて、それから、それにゆとり量として1cm,2cm,…,5cmという服を用意します。それをランダムに着せて、ゆとり量と着た時のゆるさの差をちゃんと識別できるかどうかというのをSN比で求めました。


 そうすると、ゆとりに応じてきちんと動きやすさを判断できる人と、できない人が出てきます。最初にそういうことを実施して、SN比の高い人だけを使って着心地をテストしました。


田村希志臣:感覚量の計測の場合は一人一人が計測器であって、それぞれに精度や信頼度に差があるということをまず前提に置く必要があるということですね。


鴨下隆志:そうですね。それともう一つ個人差というのがあって、きつさみたいなものは個人差があまりないのですが、着心地みたいな好みのようなものが入ってくると、たとえばゆるい方が好きとか、きつい方が好きとかということになります。


 こうなると計測精度とはまた別に、個人差も考慮しなくちゃいけないという問題が出てきますね。


田村希志臣:個人の嗜好というか好みですね。


鴨下隆志:好みは一人一人が違います。


田村希志臣:そうしますと、人が感覚量として測るということは、何か単一の物理量ではなくて複数の物理量から総合値のようなものを測っていると考えればいいのでしょうか。


鴨下隆志:人は大体一つの特性値に着目するというよりも、いくつかの複数の感覚量を総合して、最終的に風合いとか着心地などの判断しているようです。それが機械的電気的測定とは異なる特徴だと思います。


田村希志臣:私はプリンターメーカーにいますが、プリンターの使いやすさを感覚量で評価する場合があります。これもなかなか評価が難しくて、好みを含めて個人差の影響や、慣れという経験値の影響を受けて結果の解析に苦労することが多いですね。

 

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◎二通りの感覚量

座談会リモート

中島建夫:テーマが感覚量ですが、二通りあると思うのですね。


 一つは官能ですから人間の感覚でいうおいしいとまずいとかの味覚、いい匂いとか臭いとかの嗅覚のように五感で感じる部分でその一つの感覚で評価する場合。


 もう一つは今話題になった、着心地みたいな総合的な評価軸。品質工学では矢野先生が研究を行われた疲れという感覚があるのですね。疲れという感覚量はまさに客観的に定義されていないのですよ。矢野先生の研究では疲れという尺度を感覚量ではなくて数量化して定量化することを追求したのですよね。そこから、ツムラの望月茂利氏らによる疲れを回復させるための処方をパラメータ設計する研究にまでつなげていたのですよ。


 だから、人間は着心地がいいとかの単一の物理量ではうまく説明できないものを認識する。それから人間が感じる匂いみたいなものは、匂いの想定成分量などはガスクロマティーなどで測ることができますが、人間の臭覚の方がシャープなのですね。ただ嗅ぐ人の疲れとかいろいろな誤差因子があると思う。


田村希志臣:感覚量をできるだけ物理計測値に置き換えたいという要求は常にありますよね。


中島建夫:それは人によって測定結果が違うということは扱いにくく、客観的な数字にしたいということで物理量に置き換えたいわけです。料理などのうまみなどでは、新しい尺度が出てきましたよね。そういうふうに何とか数値に置き換えたいという方向がありますよね。

中島健夫氏


田村希志臣:そうした総合値を完全に単一もしくは複数の物理量として表現できるかというと、実際にはなかなか難しいと思います。


 たとえば、人の疲れを測りましょうといったときに、じゃあ血流量に置き換えましょうとかいうことなどを発想するわけですが、本当にそれで疲れを表現しきれているのか最後まではっきりしないところがありますね。


吉原均(司会):今の話で分かったというか明らかなことは、一つは感覚量というのは明確に定義できないものですね。もう一つは、そのせいもあって数値化もそのままストレートにはできない、測定手段がないというものですね。


 こういったものをうまく扱って何とかしたいよねというのがあって、疲れなどの検討対象が実際にあるねという話なのですね。

 

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◎乗り心地という感覚量から

見原文雄:話の方向と合っているかどうか分からないのですが、鴨下さんの話を聞いて、総合的な感覚と単一の感覚という話から思ったんですけれど、人間が感じる何かを探索しようとか測定しようとして積極的に感覚を取りに行こうとした時と、ぼーっとした時に外側から受ける感覚の時では、ちょっと違うのかって気がしました。

見原文雄氏


 着心地がいいかなと積極的に着心地を試しに行こうとした時と、普段そんなことを考えず何となくぼーっとしていて、何か気づいたら気持ちいいなと感じた時は少し違うのかなっていう気がしました。裏付けとかは何もないのですが、そう感じました。


中島建夫:まあ違うんじゃないですか。


見原文雄:だから、それはパッシブな状態なのか、アクティブな状態なのかでも違うのかもしれないし、普段は総合的にぼーっと感覚の網を張っていて、それで感じていることなんか測りに行こうとした時に、そこに意識がいきますよね。どうしても。だから、もうちょっというと、それとこれは同じものなのかなという疑問が少ししました。


中島建夫:風景を見るときに、ある意識を持って見るときと、全く意識しないときに見る景色では当然違いますよ。何かに集中すると周りが見なくなり、ぼーっと見ているときには全体が見られますよ。


 やっぱり目的があるのではないですか。車を運転しているときに、危険を予知しようとするケースはまさに、相手の車との位置関係を注視しますよね。車の色とかメーカーなどは意識にないのです。何かを見ようとするときに人間の感覚は必要な情報をより分けて認識しています。


見原文雄:車の話がでたので思い出したのですが、2年位前に車を買い換えるときに初めて国産じゃない車を買ったのですが、何か感覚が違うのですよ。それで、何が違うのかずっと考えていたのですがよく分からないのですよ。スバルからフォルクスワーゲンにしたのですが、何か違うのですよ。すごく。何が違うのか結局分からないのですが、でも違うのです。


鴨下隆志:運転のしやすさとか、乗り心地などですか。


見原文雄:今の話からだと、そういうのを全てひっくるめて総合的に感じる感じ方が違うのだと思います。そのとき、何人かとどこが違うのだろうと話をしたのですが、結局分からなかったのですね。


 たとえていうなら、手触りがいいというか、行き届いているというか。欲しいところに手を伸ばすとそこにあるという感覚です。今の話に通じるかどうか分かりませんが、思い出しました。


中島建夫:何か違いがあるけど、その違いがよく分からないという話なら、まさに分析の対象ですよね。


見原文雄:そうですね。違いがあるけど、個別の違い方がうまく認識できない。そんな感覚があるのだなということです。


中島建夫:でも違いがある。


見原文雄:はい。そんな感覚が、自分の中にあるということですかね。


中島建夫:けっこう誰にでもあると思いますよ。


鴨下隆志:そういうものを積極的に取り出そうというときには、心理学などではSD法がよく利用されます。いろいろな形容詞(語)をたくさん用意しておいて、それに得点与えていくやり方です。最終的に人は、何を基準にして対象の相違いを判断しているのかということ明らかにできます。まあ多変量解析法ですけれど、そういった方法もよく使われていると思います。


見原文雄:今の話は、人間の感触とか感覚とかいう、人間の測定機としての部分も対象にしているのでしょうか。


鴨下隆志:それもあります。それからもっと抽象的に、たとえば、強い―弱い、早い―遅い、地味な―派手な、明るい―暗い、都会的―田舎風、近代的―古典的など、形容語(詞)を対にして20くらい用意します。それぞれの対象物ごとに、たとえば、ある車に対して、それぞれの尺度に点数付けをします。また、別の車にも同様にそれぞれの尺度に点数をつけます。そうすると最終的に多次元の空間に車の相違が布置されます。


 もともと意識していなかったのだけれど、乗り心地の良さそうな車、スポーティーな車、ファミリーな車などといった具合に分類されてきます。結果だけから判断する方法ですね。ひとつひとつの尺度の違いは大きくないが、たくさんの尺度で総合してみるとかなり鮮明に車の層別ができてくる。


見原文雄:逆にいうと、そういった道具立てでやると人間の計測機としての可能性が少し広がると捉えていいのですかね。

 

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◎人は総合的に判断する

鴨下隆志:人は総合的に判断しているので、個々に分解していちいち考えたりしていないのですね。そこで改めて個々の尺度で判断を求めると全体の姿が見えてくるのではないですかね。

リモート座談会


 だから、分解して評点付けなどをさせてあげると、総合評価と結果が結びついてくるようなそんな感じだと思います。


見原文雄:さっきも、言いましたけれども、積極的に測定機になろうとしてある感覚に集中しようとするとそこの部分だけ強調されると思うのです。だから、ぼやっとしているときと違う答えが出るのかなと思うのです。


鴨下隆志:そうかもしれませんね。強く意識したのと、ただ受動的に判断しているのとは違うと思います。


見原文雄:認識を間違っているかもしれませんけれど、これまで議論で人間が測定機になろうとすると、どちらかというと、単一の感覚に集中しようとする使われ方が多かったのかなという気がします。


鴨下隆志:それは、多いと思います。たとえば、外観検査をするときに傷を見ようとすると、傷だけに着目するので、ほかのことに対してはもしかしたら見逃しているかもしれないですね。


見原文雄:ちょっと荒っぽく極端に言うと、先ほど出た着心地のことも、着心地を判断するぞーと強く意識すると普段と違うのかなという気がします。


鴨下隆志:それはかなり違いますね。普段はある程度時間をかけて判断していたのだと思います。毎日毎日着ていて結局、この服は着心地がいいねとか、これは着心地がいいと思って買ったのだけれども、結果としてあまり良くなかったとかいう判断をしていますね。そんなこともやってみました。


見原文雄:個人的にすっと腹に落ちました。鴨下さんありがとうございました。


吉澤正孝:今のやりとりを聞いていると、いくつか議論するポイントがあると思います。

吉澤正孝氏


 一つは、今の感覚量というのは中島さんが言うように、外部からの刺激は、脳のどこかに信号として入り、基本的にはみんな電気信号になると思います。その時、一つの感覚量を一つの一つの信号になれば、感覚量は簡単に測れるということになると考えます。しかし、実際には、そのような単純系の処理はならないのが、感覚量の問題になると感じます。


 たとえば、時間ですが、時間っていうのは物理量と決まっています。でも、精神的な時間になるとちょっと違いますよね。異常に長く感じる時間と短く感じる時間があります。同じ時間でも、上司に怒られていると非常に長く感じ、好きな彼女と会っている時の時間はあっという間に過ぎてしまうという問題があると思います。では、どっちの時間をわれわれは測るのですかというと、同じ時間でも、取りようによって全然違うことになってしまう。


 もう一つは多次元で測るということになってくると思います。先ほど、SD法という話がありました。それは、多次元のデータをもとに心理量を測ったときに、物理量に置き換えられるのかという問題があります。鴨下さんがいうように、感覚量だからSD法みたいな、言葉でグレード分けしてそれで、多次元尺度で測る。多次元では何も判断できないことになるから、結局それを総合するか、次元空間での位置座標に置き換えて理解をするか、次元を落として一つの尺度にするか、どちらかになります。


 SD法の場合、それを観察する人の分類なのか、それとも観察される対象の評価なのかで、測度は全く異なります。観察される対象を評価するなら、一つの尺度にしなければなりません。結局次元を落として理解する方法を選択するほかありません。


 その場合、従来の物理量や特性との相関の検証をするか、新しい測度を定義しなければならないことになります。


 結局、目的を明確にしないで方法論を選択するわけにはいきません。そういうところに対して品質工学はどのような考え方を示せるのかを明らかにしていくことが必要です。このような議論から品質工学の方向性が見えてきます。


近藤芳昭:今までのお話をうかがって、色の見え方のことが頭に浮かんだので、参考として紹介させてください。

近藤芳昭氏


 「このりんごはどんな色に見ますか?」という質問をした時に、たとえば、子供は単純に赤と言ったり、男性は鮮やかな赤とか言ったり、女性なら燃えるような赤と言ったりするかもしれません。つまり、人それぞれが固有の基準を持っていて、おのおので尺度が違うという話になります。そこには十人十色という言葉で表されるような多種多様さがあり、それを一つの尺度で表現することは簡単なことではありません。


 そこを「難しいです」で終わってしまうと、技術・工学が発展しなくなって残念なことになってしまいます。色の話の場合は、「どうして違いが起こるのだろう?何が違っているのだろう?」と考えた人たちがいて、観察条件の代表例としては、光源の強さ、周りの環境、見る角度によって色の見え方に違いのあることが分かります。


 もちろん観察者自身の個人差も重要な因子となります。先ほど話題に上がっていたように、脳の働きの関係もあるでしょうし、観察者がベテランか初心者かといった経験の違いなども関係するでしょう。観察する側でいろいろな要因が複合的に影響する一方で、観察対象となる色をなしている光(波長)を計測するときのお話もあります。


 人間の感覚に合わせて計測値を説明しようとすると、いろんな尺度の計測が必要になります。たとえば、明るいと暗いという尺度の計測もあれば、鮮やかとくすんだという尺度の計測もあるでしょう。結局のところ、好みの色が欲しいときは、目的の性質にあわせた尺度の計測方法と観察手段が求められます。


 普段、何気なく目に入っている色ですが、工学的に安定してコントロールするためには、結構大変な仕組みの理解が必要になります。そこを品質工学の考え方で扱いやすくすることができるのであれば、それはとても魅力のある話だと思います。

 

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◎感覚量を測る目的とは

中島建夫:目的は何ですかね。目的があると思うのですよ。たとえば、暑さ寒さというのがありますよね。人間は暑いとか寒いとか感じるじゃないですか。暑いとか寒いとか言っても測れるのは気温とか湿度とか風の強さとかですが、そういうのを人間が総合判断して今日は暑いねとか寒いねとか言って、今日着る服を考えているわけです。

リモート座談会


 暑さ寒さに対してストレートな測定量はなくて、測っているのは気温などですよ。客観的に測れる尺度でもって測ってそのときの状態を知るわけです。個人差はあります。最近では気象庁が熱中症係数とかいう新しい尺度を出してきたじゃないですか。気温とか湿度とか風速とかを熱中症になりやすさについて一つの尺度入れて示すようになってきた。あれだって面白いと思いますよ。


 近藤さんが言われているのも光の三原色分解して何とかするが、それでどうするのと。瞬間的に同じ色かどうかであるのを見たいというのであれば、とにかくいろいろな尺度で測っておいて全部一致すればこれは同じだと言えばよくて、そういう尺度が見つかればいいですね。


近藤芳昭:私の場合は印刷に関わっているので、きれいな絵を出したいというのが目的になります。では、きれいな絵とは何かを突き詰めようとすると、たとえば先ほどの色とは何かというお話になります。


上杉一夫:感じ方というのは、その人の状態によっても違うのではないですかね。燃えるような赤、鮮やかな赤とかいうのはその人の感じるその時の状況によっても違ってくる可能性があります。

上杉一夫氏


吉澤正孝:その通りだと思います。頭の中で感じている感覚量ですけれど、それを何かで評価・判断してその大きさを表現するかという時には、言葉で表現することになる。それは、中島さんが言ったように目的によって変わるのだと思うのですよ。


 たとえば、われわれがいろいろ判断しているものに、大小かと大きさに関わるものもあり、短い、長いという長さとかかかる話の問題もあります。診断のようにあるものを基準にして、比較検討して病気だ、あるいは重病だと判断する話もあります。また、これが違った種類に入るかという分類なんかの話もあります。


 たとえば、美しい色と美しくない色なのか、何かそういう分類に使うのか、その美しさを一つの次元尺度にしていこうというのかによって、多分同じ色を扱う上でも違ってくるでしょう。その中で、その自分が感じた感覚と色を測る物理量との間で相関をとっておかないと、実用上は客観性が生まれず、まずいですね。


 この場合、どっちを信号にするのかという問題があります。実際問題、たとえばディスプレーの最終評価で、まだらがあるなしなどを感覚で測っているとする。その場合、反射率や透過率などの物理量で測れば、感覚から客観的な判断ができます。しかし、同じまだらなどの判断は、同じ用語を使っているとしても、判断をする場合、個人個人の感覚が違い、結果的に物理量はばらつきます。


 個人個人が感覚表現を基準とするのか、物理量を決めて、個人個人の表現を物理量に合わせていくなどの校正問題がそこにはあります。


 さらに改善をするとなると、その感覚量と物理量が相関があり、なおかつ加法性が生じるかどうかという問題もあります。あるいは、多次元情報では分類だったらきちっと分類できるかどうかという問題があります。それがうまくできるまでは、計測する物理量というのはちょっと信用できません。


 しかし、一度、この量で測れるということになれば、それが判断の基準となります。この過程は、ものことの概念とそれを客観的に測るという問題となり、最初はやはり心理量としての測度がどうしても基準となるところにややこしさがあると思います。


 品質工学では、関係する人の感覚量について合意と物理的な量との相関を検討しますが、それだけでなく、決定した物理量に加法性があるかどうかを検証するという考え方であると思います。そういうところに計測技術の難しさが潜んでいると考えています。


田村希志臣:冒頭に、感覚量による計測には個人個人の差があることを認識する必要があると言いましたけれども、個人個人の計測結果にある差を計測のばらつきとして捉えるのか、それとも違いそのものを信号としてとらえるのかで論点が大別されるようですね。


 着心地の話は個人差を計測ばらつきとしてとらえたので、その人の判断能力を測ろうとしたり、具体的な水準値によって技術を整理したりする取り組みだったように思います。


鴨下隆志:測るといった時に、人は絶対値で測るのは不得手です。たとえば、対象物の重さを触覚で判断し、これは5kgとか10kgとかというふうな形で評価するのか、あるいは10kgの物があって、それと比較して対象物が重いか軽いかを判断する、いわゆる比較測定があります。


 絶対値で判断するのは精度がよくありませんし、個人差も大きいです。そこで多くの場合には、比較判断という形で行うことが多いと思います。


 あらかじめ基準となるものを用意しといて、それに対してたとえば、強い―弱いかとか、重い―軽いかとかそういう刺激の大きさを比較します。そうすると個人差というのはあまり出てきません。だから個人差が出てくる時は高度な判断が入ってくる場合が多いですね。うんと落とし込んでいて刺激の大きさにだけに着目するような時には比較的でにくいと思います。


上杉一夫:鴨下さんが「比較判断は個人差が少ない」と言われたことに関連して話したいことがあります。


 宇井友成氏(当時アルプス電気)が2013年の大会で発表した研究「直交表による視覚情報の最適化」は、文字情報をうまく伝えるために、文字のデザインとして字体、色、文字枠の違いを因子にしてイメージ画像を作成して、直交表を使って最適化を行ったものですが、当初、単に実験Noごとに点数付けで評価しようとしたらうまくいきませんでした。そこで一対一の比較ならうまく行くのではないかということで、一対比較法で評価したらうまくいったということです。


 感性による評価というのは、絶対値ではなくて比較じゃないと難しいと、宇井さんが言っていたことを覚えています。


田村希志臣:私も一つ事例を思い出しました。ある電機メーカーが電気掃除機を設計している時に、持ち運びが楽な電気掃除機を作りたいと考えたそうです。ここで重要なのは、持った時の重量感とか重さ感なのですが、はかりで重さを測れば分かるじゃないかと思ったら、掃除機を持った時の重量感と実際の重量は必ずしも一致しないそうです。


 人は、ハンドルの握り感や、掃除機の重心の位置などから感覚量を総合的に捉えて、重さ感を判断しているようです。

 

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◎物理量の大きさで決まらない感覚量

鴨下隆志:物理的な量の大きさだけでは決まらないということはあると思いますね。形状によって変わるそうです。対象物の色によっても違うことはあると思います。

リモート座談会


吉澤正孝:重さの事例では、対象物の重心の位置みたいなものが確かに影響しますね。同じ重さでも、人が持つ場所で重さは変わります。重さでなく、筋肉感覚に生じる、力の総和を結局はかることになる。感覚的な質量と実際の質量が一致するとは限らないときがあります。


田村希志臣:まさにそこが今日の重要なポイントですね。感覚量を物理量に単純に置き換えていくことができる領域は非常に限定的であって、実際には多くの領域で物理量に置き換えることが困難で、では計測をどうするかというのが問題になっています。


吉澤正孝:そうですね。多次元尺度で計測された量をどうやって感覚量に合わせるかという研究が新しい計測法の中心になると思うのです。この場合、測定の原資となる測度の真値を対象の方にきめるのか、人の感覚にするのかが先ほど申したことです。


 測度の開発となると、ことのはじめはどうしても感覚量が基準となります。その場合、個人個人で感覚量、つまり感度が違うとしたら、誰を基準にしなきゃいけないのか、そういうものにも関係してきます。


 オーダメイドの服装みたいに対象とする個人の体形を基準にして服を作るとしたら、特定の人が決まっているから、その人の言葉を聞けばいいのだけれど、不特定多数みたいな集団を考えた時の信号の取り方の工夫が必要となります。きつい、ゆるいなど表現が異なる場合などと部位の寸法との関係などです。


 そういう意味でもう一度感覚量というものを真値としてどのように作っていくのかというのは非常に重要だというのを逆に考えますね。


田村希志臣:そのあたりはマーケティングをやっている人たちの方が進んでいるのかもしれませんね。


吉原均(司会):安藤さん、そういう意味での歯磨き粉の練り具合みたいなのがお客さんに好まれるかとか、そういうような類いの検討になり、お悩みとかのお話を聞かせてください。


安藤欣隆:ハミガキの味の評価を行ったことがあります。製品が作られてから半年、1年もすると味が変わってくるとか、それを評価するかということで行ったのですけれども、『田口玄一論説集第4巻』に掲載されていたテトロンウールの風合いを評価する方法という文献を参考にしました。

安藤氏


 やっていることは、その評価する対象自体を直交表に割り付けて、複数の人間で味を評価しました。思いつく範囲で、爽やかさとか、甘さとか、複数の特性について、人間がなめてみて点数を付けました。


 これは、どちらかというと分析型というより嗜好型の方だと思うのですけれども、大勢のパネリストの答えた点数を信号にして、標準SN比で出すような感じです。そのときは累積法もいれていました。その人が鋭敏かそうでないかというよりも、多くの人の感じ方から、かけ離れているのかかけ離れていないのかというよう評価です。


 SN比が悪い人っていうのは、判断能力がないという意味ではなくて、他の人よりも鋭敏すぎるだけなのかもしれません。要は好みの問題で、多くの人がそういうふうに感じるというような評価に使えるのかなというような例です。


 目的については分析型と思考型を分けて考えないと、人間同士が誤差因子かどうかということで、全部それによって変わってくるのかと思いました。


田村希志臣:一番大きなマーケットにターゲットを置く場合のアプローチとしてはうまいやり方なのでしょうね。


安藤欣隆:最終的には分析するための、物差しも作ってかなければいけないので、最初の出発点は嗜好型から入って、そこから物差しを作っていくこともできるかなと思っています。


田村希志臣:大勢の感覚と少し違った感性を持っている人をノイズとしてネガティブに捉えるのではなくて、そこにまた新しい価値創造の可能性が認められるということなのですね。


安藤欣隆:おそらく評価に直交表を使って意見を聞いて考えを点数付けして評価する方法も、その価値の可能性を探る行為だと思っています。みんな一緒である必要はないというか、異なる価値観に何かヒントがあるのではないか、ということを見出す使い方というのも当然あるのかなと思います。


吉澤正孝:バーチャル評価の話になると思いますが、大事な視点になると思います。個人個人がノイズではなくて、先ほど鴨下さんが言っていたように信号だとしたら、一つの次元で判断するという分類問題なのか、ベクトル空間の位置としての分類なのかなどに関連します。そういう感覚を持つ人たちにとってもっと適切なものは何かという、発想は、実際の研究していく上で大事な視点になると思います。


 結局、個人個人の価値観が反映してきます。今までのように、個人差をノイズと考え、それらの影響を低減するといい誤差因子として取り扱うのでなく、価値観が違うという所は、一種の信号として捉える考え方は、今後、バーチャル評価をする場合に利用できます。安定性というより新しいコンセプトや価値観の発見としての評価法としてバーチャル評価を使うという研究が今後望まれます。

 

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◎製品開発と感覚量

田村希志臣:田中さんにも伺ってみたいことがあります。自動車は人が乗ることで価値が定まる典型的な製品だと思います。そういう意味では人の感覚量を非常に意識して設計されると思うのですけれども、どのように測定されているのかお話しいただける範囲で何かヒントをいただけませんか。


田中公明:人の判断で5段階評価にするというのが通常です。

田中公明氏


 それらは、どうも国によっても違うという話も聞いています。足回りの好みも、国によって違うというのは車雑誌にも書かれています。それらから一般論として、会社や仕向け地によって異なると推定します。


田村希志臣:私も、トヨタの車に乗るとどの車種も同じような感覚で運転できると感じています。また、他のメーカーの場合も、そのメーカーの車種であれば同じような運転感覚が得られるなと感じています。


田中公明:多分メーカーごとに違うのですよね。これもユーザーとしての感覚でいうと同じブランドでもOEMは違うと感じることがあります。


安藤欣隆:逆に2019年に品質工学会が開催したマツダの企業交流会で、機能展開していく説明の中で座り心地でも何でも機能で説明できるようになるはずだっていう話を聞いた記憶があります。


 物理量に相当するものでY=βMに持ち込むに工夫は、決して諦めずに徹底的にやっているような口ぶりに聞こえて、それはそれですごいなと思って聞いていました。それがその感覚に合っているか、どのように確かめるかというのが、今日の議論になるかとは思います。


吉澤正孝:感覚量を信号Mにできれば、そういう議論になるのでしょう。けれども、そのMが、多次元の測度となります。問題は結果として扱うにしても信号にして扱うにしても、エネルギー変換になるのか、その可能性があるかどうかも問題となります。


 シャノンなどの情報理論でも情報量をエネルギーと考えています。分散もエネルギーですから、それを基盤とした品質工学は大いに役立つと考えます。そもそも、そのような新しい感覚量に対しての計測特性をどうやって作っていくかという、もっともプリミティブなところに品質工学の考え方は参考になると思っています。


田村希志臣:私はエレベーターの乗り心地にも関心があるのですけれど、小川さん何かご経験はありませんか。先ほど車の加速感の話が出た時に、エレベーターも加速感の設計をやっているだろうと思ったのです。


小川豊:先ほどの、トヨタの田中さんの話にもありましたが、私どものエレベーターも以前は、加速感、減速感というのが分かるように作っていました。最近の傾向はどちらかというと加減速をあまり感じさせない方向になっています。

小川豊氏


 どちらかというと好みというのか、世の中のニーズというか前はきびきびとした動きでフライトタイムを短くするという方向に入っていたのですけれども、最近はどちらかというと滑らかな方向を好むような状況です。世の中のニーズが変わったという感じですね。好みの問題だと思いますが、日本と海外ではちょっと違いますね。


田村希志臣:ユーザーの声を聞いて見直してきたという流れなのでしょうか。


小川豊:エレベーターの場合はユーザーさんの声を直接聞くというのは難しくてね、どちらかというと、建築会社とか、ゼネコンの仕様の方が優先するという感じです。


田村希志臣:なるほど。好まれる加速感とか減速感というのは時代とともに変わるものなのですね。


小川豊:まあ、ちょっとそこまでは私もあまり深く考えたことはありません。


吉澤正孝:そのあたりは、機能として考えるのか、好みとして考えるのか、考えなくてはいけないですよね。通常の機能の場合は、y=βMでいいでしょうけど、好みの場合は、決まってしまえば一つのパターンとなりますから、パターンに合わせるという考え方になります。パターンの問題は、この両方をあつかわなきゃいけません。


 安藤さんの会社の歯を磨くっていう機能の定義にも関係します。求められる機能になるのでしょうが、歯の汚れをとるということは、基本となる目的機能なのでしょうけれど、歯ブラシがその主要機能を負担するのか、歯磨き粉なのかなど、単純にはいきません。さらに、まずい味では、そもそも歯磨き粉を使わないことになってします。


 味は機能なのですかというと、機能でもなくて弊害項目でもないように思います。心地よい匂いとか、な味覚とかそういう感覚に関連します。さらに、これから恋人とデートをするから、甘い匂いが欲しいとか、シチュエーションごとに変わってくるような気がします。個人個人の使う状況の分類問題に近いのだと思うのです。全てが標示因子になるのかもしれません。


田村希志臣:細井さん。こうした感覚量の計測の議論というのはコマツの中でもありますか。


細井光夫:今となってはエンジンの排気はクリーンにするのが当たり前ですが、随分昔お客様から「エンジンを吹かした瞬間に黒い煙がモワッと出るとパワーが出る気分がするので、黒い煙が出た方が良い」と言われた話を聞きました。その他たくさんある好みの問題に対して、最終的に乗っているお客様が、自在にチューニングして自分の好みにアレンジできると面白いと思っています。

細井光夫氏


 品質工学には、お客様の好みにストレートにつなげてチューニングできる可能性があります。私が一番好きなのは、品質工学の最適化が「最適解を一つ出す」のではなくて、「まずばらつかなくしておいて、その上で、平均値を自在に上げたり下げたりチューニングできる」ことを目指すことです。


 今日のお話の「感覚の数値化」によって、感覚の空間におけるチューニングが、数値を上げたい、あるいは下げたいに置き換えられると、品質工学と感覚量の計測がつながってくるという気がしました。


田村希志臣:感覚量を物理量に置き換えるという活動は本当の真値は一つに決まるべきという指向に思えるのですけれども、それとは別の指向として、個人個人それぞれの感覚の違いを認めた上で、全ての人の都合に応えられるような計測とフィードバックの方法もあると良いですね。


細井光夫:その通りです。メーカーとしてはチューニングしやすい格好でお客様に提供したいのです。乗用車では、急激な加減速(スポーティー)あるいは滑らかな加減速(マイルド)の切り替えができるものがあります。シートだったら上下や角度を細かく調整できます。


 感覚も同じイメージでチューニングできると面白いけれど、感覚と物理量を結びつけないとそういうシステムが作れません。その際、感覚に結びついた物理量を上げる(下げる)ことができるとしても、近藤さんがおっしゃったように物理量はたくさんあります。全ての物理量をお客さんがひとつひとつチューニングするとなると、これまた大変な話になってしまうので、お客様としては、もっと簡単に設定したくなります。表に見える部分は簡単でも、その裏ではいろいろな物理量をバランス良く上手にチューニングしている必要があり、MTシステムにつながってきます。


 個人個人の感覚の違いは、良し悪しではなくて好みです。最終的なお客様の好みを「お客様によるチューニング」という形で実現するためのメーカー側の仕組みの中間にまさに品質工学が生かせる部分があるはすだと思います。


田村希志臣:常田さん、聞こえますか。


常田聡:はい、聞こえます。


田村希志臣:成形機とか工作機械といった製品は、人の感覚量とは少し離れた世界で設計を完結できているのでしょうか。


常田聡:おととい、お客さんの所でいろいろ話していたときに、成形をしているお客さんいわく、良い成形をしている時は、音がいいとか、リズムが良いと言っていました。非常に感覚的に違うのだということを言っていました。


 現場の担当者の人は、不良率だったり、いろいろな寸法だったり、見ているのですけれど、ベテランの人は1段階上の感覚の量的なもので測っているという感じがしました。職人の世界ってそういうことが多いと思うのですが、たとえば巨人の菅野投手は1km刻みでスピードを投げ分けられるという有名な話があります。


 ちょっと別の話をします。実はとても難しくて悩んでいることがあって、いわゆる管理職を何年もやっていると人事考課がちゃんとできているかということが気になります。人事考課の方法は、考課項目ごとにチェックシートに〇△×をつける方法で、この人は成績が良いとか悪いとかって全般的にやるようなものしかなくて、感覚量じゃないのかと思うわけです。


 客観的でなくてはみなさん納得できないのではないかと思うのですが、そんなことでいいのかということを十何年も悩んでいるのです。その他にも就職活動の面接がありますが、それも感覚量で1回しか会ってない人を判断しているのではないかと思います。あまり言われないけど具体的にはすごく大きな問題じゃないかと思います。


田村希志臣:人に対する評価問題ですね。


常田聡:そうですね。

 

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◎感覚量で人の評価をすることとは

田村希志臣:これは悩ましい問題です。評価者の総合判断を軸に客観指標を見いだしていくのか、何らかの客観的指標をもとに評価者の評価能力を高めていくのか、完全にループになっていて端緒がないです。


常田聡:なんかの手法をベースに客観的に評価するというと、どうしても平均的な人という実際存在しない人と比較して、それより上とか下とか評価することになります。いわゆる特殊な能力とか持っている人の評価とか、そういうこところには出てこないですね。

常田聰氏


 だけど、人には個性があってあの人は何を頑張ったとか、それをどうやって判断したらいいのか悩みます。それぞれ個性がある中で、あの人は伸びている、この人は伸びてないみたいな評価方法というのは、本当にあるのだろうかという話になってしまいます。


田村希志臣:本当に悩ましいですね。


常田聡:答えは出ないのですけれど、半期に1回ずつやらなければならない。で、その頃になると人事考課をして、最近では、その結果を3カ月後にはフィードバックしろと言われるわけです。3カ月後にフィードバックして何かの役に立つのかという話もあって、人の評価ほど難しいものはないなと、感覚寮から脱する方法はないのかなというふうに感じています。


上杉一夫:今の話なのですけど、私も全く同感です。で、結局その評価者の能力、好みになっているかもしれないと思いました。常田さんの言われるように、できるだけ客観的にできればと思います。


常田聡:そうですね。評価する。評点をつける方としても自分の好みになっていなかということが気になって……。


上杉一夫:そこが、一番気になります。


田村希志臣:人の能力評価の話は、そもそも何のために評価をしているのかという上位の概念にまで立ちかえって考えていかないと、実効解が得られないような気がします。いったい何を目的に評価しているのか、その目的に則した評価軸があってようやく判断ができると思うのです。


常田聡:はい。それで昔、田口先生のセミナーを受けている時に、大学に入学させる学生に4年後に卒業する時にすごく伸びる学生を取りたいっていうことで、どういうテストをすればいいかというお話をされてたのをすごくよく覚えています。


 やっぱり、何年か先にその人が伸びる事によって付加価値が上がって、会社全体があがってとか、企業全体付加価値が上がるとか、みなさんがどうやったら幸せになるようなことなのかもしれないですけど、そういうふうな物差しがあればいいなと思いますね。


上杉一夫:人事課から相談を受けたことがあります。人事課で採用した人が、どこまで伸びたかっていうのが結果として出るのですけど、それをどのように最初の採用にフィードバックするか品質工学を用いてできないかという相談を、宇井さんが受けたことがあるのを思い出しました。


田村希志臣:その時はどうされたのですか。


上杉一夫:その時は、結局実施できませんでした。相談された人が異動か何かの都合で話が立ち消えになってしまったのではないかと思います。


田村希志臣:人の評価をメインの仕事にしている人事課にしてもそういう悩みがあるということですね。
上杉一夫:あると思います。期待して採用した人が何年かたった後の結果を見ていると期待通りになっていないということが、時々あるのではないのですかね。


吉原均(司会):最近、人事に異動して人材育成にいそしんでいます。上杉さんの話を聞いてなるほどと思いました。


 職場に採用をずっとやってきた方がいるんですけれど、その方は採用した人が、後に会社に中でどのように活躍しているかということをすごく気にしているのを肌身で感じました。伸びる人のパターンというのを伸びる前に発見するという捉え方がうまくできたら、これまで伸びた人からパターンを学んで、そのパターンを持っているか持ってないかを調べられるといいのかなということを、うまくMTでできたらいいのかな。何か実現できる可能性があるのかなということを考えましたけどね。


 一昨年の品質工学研究発表大会で、タダノから「MT法を使用した交通事故要因抽出」というテーマで交通事故を起こしやすいか、そうでないかをMT法で検討して発表していましたけど、その方も人事の方でした。


 あれはすごいなと思いました。その時も、うまく予測するための物差しを作るということが重要なポイントになってくるなと思いました。


田村希志臣:今日のお題は感覚量による計測なのですけれども、人の能力評価はさすがに物理量に置き換えていくということは成り立ちそうもないので、物理量という客観尺度に置き換えて計測の信頼度を高めていくとは違う思考を求められることになりそうです。判断指標そのものをわれわれで作らなければならないという領域ですね。


吉原均(司会):まだまだ研究すべき領域だと思います。


田村希志臣:ちょっと話を整理しましょう。これまでの概念として、感覚量というのはどうしても怪しいから、なんとか物理量などの客観尺度に置き換えて感覚量の怪しさを解消して行こうというものがあります。


 みなさんの議論を聞いていて気づいたことは、物理量に置き換えること自体がそもそも不可能な領域が現に存在するということ、また物理計測が可能であっても、その物理量によって感覚量を100%置き換えるのが難しい領域があるということです。


 先ほど常田さんから、工作機械の状態の良し悪しをベテランの方が感覚的に判断しているというお話がありました。おそらく工作機械の温度や振動、圧力といった物理量とリンクしていると思うのですけれども、それだけではない何かがあるのではいかという話ですね。そのように受け取りました。


 これからは、人の判断を積極的に価値に結びつけていくといいますか、そういう感覚量の計測によって新しい価値を生み出すという、そういう思考が必要になると思うわけです。


吉澤正孝:今の議論は、より大事なところだと思います。基本的には物理量、多次元でもおのおの物理量に置き換えて尺度を作った方が客観性が得られます。それに、現性の保証もできるっていう意味では、そっちの方向に今は目指すべきであろうし、世の中の流れてそういうふうにして知識を育んできたんだと思います。


 しかし、一つ欠点があるとすれば、多次元である尺度をそれぞれ物理量の測定をすると時間がかかります。ところが感覚で測定するのだったらその場で、瞬間でやるので、圧倒的に時間が短くて済みますね。だから、それらに対して感性があり、基準となる人がいれば、全てが敏速に判断できる。利き酒師や調香師などがその代表と思います。


 しかし、必ずしも各領域でそのような人間測定の基準となる人の発見が必要ではありません。個人なのか集団の平均値でやるのかなどです。


 そういう所は、田村さんたちがすでに行っている研究です。つまり、感覚量での測定をSN比のレベルで知ったうえで、最適水準や新しい価値発見の因子と水準が見つかれば良いという考え方です。精度の問題でなく、選択が誤らなければ良いという考えです。あとで検証は物理量でやれば良い。


 そのような開発は発想の生産性の問題にからみます。特に新しい価値創造では誰もまだ行っているところでの、システム選択に効果が出るということです。この点、選択とかフィルタリングなどスクリーニング技術としてのバーチャル評価であると考えているわけです。

 

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◎感覚量をうまく活用して評価するには

田村希志臣:物理量に置き換えられるのであれば多くの人はその方が納得するでしょう。その一方で、これまでにない何か新しいものを作ろうとしている時に、どういう物理量を使ったらいいのかから研究が必要になったり、 この物理量を測りたいと思ってもその計測環境がまだない場合には、計測装置から作らなければいけなかったり そういう面倒くささというか経済的なロスの部分というのはどうしても発生しがちです。

リモート座談会


 ただただ物理量を測ればいいよねという単純な思考ではなく、われわれはエンジニアとして経済的な側面も加味して計測というものを考えていきたいと思います。


吉澤正孝:感覚量も物理量も目的に対して精度としての信じられるか信じられないかっていう考えをはずし、経済的な価値の相対値として感覚量の研究をやっていくことが多分大事だと思います。今日の議論全体に言えることになりますが、品質工学で取り組んでいく大きな理由になると考えています。


田村希志臣:これまでも何十年と経験値や実績のある対象物を計るというのがあれば、およそこういった物理量で間に合うだろうというあたりをつけることができますけれど、そういった経験値がまだ十分でない場合に物理量に置き換えるべきだと言われてもちょっと困ってしまいますね。


吉澤正孝:たとえば、昔からお医者さんは手で診断するじゃないですか。


田村希志臣:触診ですね。


吉澤正孝:昔は、民間人でもたくさんいたようです。診断と治療の両方を行い成果を出していた、もちろん、いかさまみたいなものもあったようですが。それは、手から気がでている、つまり一種の光がでているということ説を持っていた。しかし、それらは証明がされていない。仮説であったのが、昨今生体から光が出ているっていう事が測定できるようになってきた。感覚量を定量化できるようになってきた。


 しかし、その測定ができるからといって、先人たちが開発してきた有効は手法は、それが分かったからといって、効果が変わるわけでない。科学的観察は客観化はできるかもしれないが、手段は変わらないことになるのです。


 しかし、いったん客観化できれは、その生体の光と診断と治療の効果の精度が向上が可能となる。つまり、客観化できることによりSN比を高くする状況が見えてくることになります。つまり改善の生産性が向上するということにあるわけです。そのような技術研究が要求されているのではないでしょうか。


 したがって、ベテランとか、ちょっと変わっている人とか、あるいは、迷信に近いような旧来の感覚量などで行われたことなどを、迷信やおかしいということでなく、もう少し公平に扱うことが大切と考えます。


 品質工学では、さまざまことを、目的(結果)や手段や現象を、機能をする操作因子として分類する。感応値に関しては、信号と考えることが頭を柔軟にするヒントであると考えます。そのための測定法の開発がこれから重要なのだということなのでしょう。


中島建夫:工学でも理学の世界でも、感覚量というのはやっぱり主観ですからね。主観だから、主観的に正しければいいけれど、同じ感覚が他の人にもあるわけではないから、個人個人の主観はそれぞれに異なるでしょう。工学に用いる尺度にするには、そのままでは難しいのではないですかね。


吉澤正孝:確かにそうですね。そこに技術的な工夫が必要と思います。品質工学会では、すでに学会誌や大会での報告でもいろいろなことが指摘されています。


 感覚量は先ほど言ったようにグレード分けをするとか、表現を上手にすることによって、何人かの人たちがそれで伝達できて、合意できるようなことです。それらが良いかどうかを評価するのが、SN比であり、要因効果の再現性になるかと思います。SN比をある程度考えながら、要因効果の再現性があれば加法性が生じるわけですから、因子と水準の選択に間違いがなければ良しとするという、柔軟な考えが必要です。なんでもかんでも物理量ではないという視点です。


中島建夫:われわれも感覚量で受けるからね。物理量で受けるわけではないのですよね。


吉澤正孝:そうですね。だからそっちの方が基準であって物理量に測れればそうすればいいというわけです。むしろ物理量で測れないものの方が多いのではないでしょうか。


中島建夫:物理量と感覚量のギャップというか違いがありますね。

 

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◎計測器が追いつかないとき

田村希志臣:確かに、まだ計測技術が追いついてないということも含めて、人の感覚量による判断こそが有効な世界はたくさんありますよね。


吉澤正孝:結局、客観的な計測器ができるまでの間どうしたらいいかということになります。主観的な方法で、精度が良い、感覚量測度の研究となりますね。基本的には、加法性が成立しないと改善には使えません。


 先ほど、細井さんが言ったように、後でチューニングをしたいわけですから、信号としてある値を変えたら、今の感覚量がそれに比例して変化するということが測れるようにするということになります。事例を通して研究していくことでしか、検証はできないですね。


田村希志臣:物理計測の技術も年々進化していくという流れがあるわけです。不十分な面があるから進化が必要なわけで、逆に考えると登場したばかりの物理計測というのは客観的かもしれないが感覚量よりも怪しい場合もあり得ます。物理計測への置き換えが常に優位とはいえないと思うのです。


吉澤正孝:今まで名人とかあの人だったらできるとかと、時には物理的計測量というものでも見直すような、計測法の研究なども一つの研究課題になります。物理量の計測が必ずしも目的に沿っているかは別問題ですからね。


田村希志臣:人の感覚量による計測というのは、開発設計の初期、もしくは着手前の、まだ技術や構想が粗い段階と結びつけて考えてくべきかもしれないですね。


吉澤正孝:本当にそう思います。精度にこだわるのでなく、スクリーニングです。そこを少し声を大にしていっても良いということになります。そうすれば、事例がたくさん出てくるような気がします。


田村希志臣:感覚量による計測は技術なのか技能なのか、言葉の定義が微妙ですけれども、マツダでは、技能というものをきちんと評価した上で、技術や物理量へ変換する取り組みを進めていますよね。「技能の技術化」というキャッチコピーを掲げていたと思います。


吉澤正孝:そこはマツダ社は、そのような領域で先駆的ですね。工場の方の感覚量を物理量に直すという仕事を一生懸命やっています。その人が将来いなくなっちゃう時に技術の伝承ができなくなってしまう。そういうことは、過去にいっぱいあったのだと思います。知の伝承問題も解けることになります。


細井光夫:今の吉澤さんの話を聞いて思い出したことがあります。すでに事業ごと売却済みですが、コマツは昔シリコンウエハーの商売をしていました。


 当時、シリコンウエハー上のゴミは人間が目視で検査していました。ゴミは非常に小さくて普通に目で見えません。暗室の中で暗闇に目を慣らしてから強い光を斜めに当てて網膜の周辺視野でゴミの反射を見るのです。シリコンウエハーは大きいので、カメラなどのセンサーでは全体にピントを合わせられず短時間に検出できないのに対して、訓練を積んだ人だと一瞬で何となくゴミに気づきます。


 当時は機械化するより人間が検査した方がコスト的に有利だったのですが、技能の伝承も考えると将来的には機械に置き換わっていくべきところです。熟練オペレーターが音を聞くと異常に気づくけれど機械化が難しかった検査にMTシステムを適用して機械化したのは有名な話です。


 工学的な利用を考えた時に、機械にできないから人間に頼っているところを機械化できたらお客様にメリットがあるから商売になります。コマツで言えば、ダンプトラックを無人で走らすことに相当します。人間が一生懸命やっていることを機械化できれば、削減できる人件費を機械に投資してくれるわけです。


 異常音の診断もMTシステムで自動化することで官能評価を機械化していますが、それとは別に好みの話があります。そもそも着心地は好みの問題です。どれを着ても着心地が変わらない人は、何だっていいのです。一方で、着心地についてうるさい人もいて、ちょっとでも合わないと嫌だというような人には、その人に合わせたものを提供できれば良い商売になるわけです。


 好みの話はどこまで細かく対応するかで、B2Cの場合には一番ボリュームを取れそうなところに合わせたいという事情もありますが、個人個人に一対一で対応すれば一番優しいと思います。乗用車でも自分の乗りたい車が色から何から全部自在になって、1台しかない車が安くできれば素晴らしい。今は高いですから、安く提供できるようにするという方向もあると思います。


 官能といっても切り口がだいぶ違います。できないことがたくさんあるのはおっしゃる通りで、それを1個1個つぶしているのが技術の実情のような気がします。


吉澤正孝:観察から測定機をどう作っていくかということになるのでしょうけれど、最終的には、それらの「ものやこと」は人が使う事になりますから、はやり原点となる、人間の感覚量との相関が出てこないといかんということだと思うのです。そうでないと違ったものを測ることになってしまいます…。


細井光夫:見えないゴミを見つけたい、微妙な異常音を聞き分けたいという目的で官能値を測ることと、その人の好き嫌いに合わせるために官能値を測ることは別だと思います。

 

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◎好みの問題を研究するには

吉澤正孝:確かに、好みの問題は別ですね。好みの問題はチューニングばっかりかもしれません。最終的にはY=βMという理想関係が得られれば、好みに対してMを変えてYを得れば良いわけですから、チューニングだけの世界になってしまうのですよね。


 好き嫌いに関しては、機能のレベルにも関係しますが、代表的なものは、デザインや味などが関連します。信号というのは基本的には、お客さんが決める設計パラメータですから、最終的には、目的値ちょうどにチューニングできれば良いわけです。お客が調整できるようにしておくことも重要です。


 味などでは、塩を振りかけたり、胡椒を振りかけたりする量で調整しています。しかし、大量生産したものだとしたら、結果がばらつくということが品質工学の問題になります。しかも、あとで顧客がチューニングできれば良いのですが、分類のように多次元ベクトルのチューニングは簡単にはいかないと考えられます。その場合、βがいろいろ変えられることも重要なわけです。


 デザインの方は、もそういうMとβをそれぞれ見つけることは、一つのデザインを変えるという機能という見方になると思います。品質工学は、商品品質と技術品質に分け、商品品質には機能とでデザインが含まれますが、よく考えるとデザインもそれを達成するという意味で機能という考え方を採用していかなければなりません。その上でないと、機能のばらつきの議論ができないわけです。


 品質工学は、機能そのものを決めることには関係はしないといいますが、機能を扱わないということではなく、その機能をどう測定するかということが前提となり、機能を測定と評価の点から扱うことにしないと誤解してしまします。


 デザインも機能も両方ともばらつき問題があるので、田口先生はデザインは関係ないと言っているんですけど、デザインも決めたあと、それを達成する方法を考えると、結局機能のばらつきを扱うのです。
 決めた形や色が、生産するときにばらついたり、変化したりするのでは結局デザインを保証したことにはならないのです。この点、品質工学の品質の定義をバージョンアップする必要があると考えています。


中島建夫:デザインのばらつきとはどういうことなんだろう。もう少し教えて、もらえますか。


吉澤正孝:形や色がばらつくということです。


中島建夫:機能のばらつきはみなさん分かると思うのです。


吉澤正孝:具体的な例でいうと、マツダの事例があります。車のドア成型を考えたとき、ドアのフリンジのところを強度をえるために折り返し曲げ加工をします。その折り曲げ加工では、ドアの曲面が微妙にゆがむのです。そのフリンジ部がゆがむと、車の側面から見たときに、微妙にゆがみが生じる。ドアにつけた線状の帯がゆがみ、デザインが理想の線が得られないのです。部分的に曲がって見える。そういうのはデザインの乱れとなります。


 また塗装でも部分、部分で塗装むらがでれば、均一の色の再現性が悪いですね。これなどもデザインのばらつきになります。


 機能、デザインは結果としてのも目的機能となりますが、それを達成する手段を考えると基本機能の問題に帰結してくと考えるのです。機能性は、何も問題はないのだけど、それと同じように色も形も加工や時間で劣化してくれば、デザインの方のばらつきになるわけです。


 これなどは、好みに関係してきます。表面がゆがんでも、ドアは締まり防音や雨が入るわけでないのです。しかし、デザイン上やぼったくなるのです。マツダの品質工学はそこまでいっているのです。


中島建夫:機能ではカバーできないところですね。


吉澤正孝:やはり、品質工学は進化しているのです。田口玄一先生が言ったことは当時はあまりつっこんだ議論がなかったのですが、標準SN比などの機能性評価がでてきました。このように評価特性が進化してきたので、デザインのばらつきも好みのばらつきもやっぱり品質として捉えた方が良いと考えています。


 そうなってくると、先ほどの好みの問題というのは、多次元尺度で構成されるパターンになってくるので、そうするところを加えた多次元測度に対する情報量を計測するという新たな課題があるわけです。MTSなどの使い方の工夫も必要と思います。


田村希志臣:確かに好みとは総合的な感覚量なので、おそらく物理量に置き換えるにしても複数の物理量の組み合わせとして考えることになりそうですね。しかも複数の物理量を好みに応じてチューニングできるようにしなければいけない。


吉澤正孝:そうですね。そこが分類の問題とか、色をたくさん作るとかという問題が単純に物理特性に置き換える工夫はしなければ、結局感覚特性でチューニングしなければなりません。服装なんかは襟を広くしたり小さくしたりするような寸法で比較的簡単に変えられると思うのだけれど、そうじゃないようなものもたくさんあるような感じもしています。

 

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◎使い手にあわせたチューニング

細井光夫:フルのオーダーメードに対して、既存の型紙の組み合わせで体形にできるだけ合わせるイージーオーダーがあります。建機もそんなふうにできたらいいと思います。一人の人でも作業によったり、日によったりで感じが変わります。


 今は運転モードを切り替えて、パワーモードでガンガン掘りたいとか、燃費優先モードで優しく掘りたいというニーズに応えています。車もいろいろモードを設けていると思いますが、それをもっと細くして、お客様の好みにもっと合わせられるようにしたいのです。


 今一番悩んでいるのは疲労感です。どうやって疲労感を減らすかとなって、一生懸命、疲労を測っているけれど、私はちょっと違うことを考えています。1日作業した後に、今日は良かった、爽快になるという感じを測れたら面白いと思います。


田村希志臣:もっともっと作業したくなるような建機ですか。


細井光夫:そうです。爽快になって「やっぱりこの建機じゃなきゃ嫌」,「次もこれに乗りたい」って言ってくれるようにできるとリピートが増えるじゃないですか。


吉澤正孝:重要なことですよね。品質工学は最終的には、「自由の総和の拡大」への貢献をするということですから、そのような建機ができたら良いですね。楽しくてしょうがないみたいな。


田村希志臣:それは大切な企画項目ですね。


細井光夫:しかしながら、爽快感の測り方がなくて困っています。


吉澤正孝:爽快感という概念の目的定義をした上で、どういうふうに物量にしていくかっていうそういう流れがあるんでしょうね。


細井光夫:同じ操作系でも体格によって操作感が違うので、大きな人小さな人向きに合わせて操作系を変えてあげないといけないし、人によって感じるところ感じないところが違う、鋭い人鈍い人が居るわけですから、そういうところを上手に商品に織り込んで行けたらいいなと思います。


吉澤正孝:自動車の椅子なんか前後に移動できるとか、背もたれの角度を顧客が変えられるようになっているものもある。そういうチューニングができるような設計は今でもやってますよね。


細井光夫:高級乗用車では、自分に合わせて設定した調整位置を覚えていて、別の人が乗って調整が変わっても、もう一度自分が乗るときにすぐに調整済みの位置に戻すものがありますが、その辺を手動で設定するのではなくて機械ができるようになるといいと考えています。


 そのためには乗り心地とか疲労感とか、操作性の気持ち良さという官能的な評価を上手に数量化して取り込んでいく必要があると思っています。


吉澤正孝:感覚量の利用という新しい視点ですね。品質工学では、選択勘合の問題で処理をします。選択勘合という用語がピンとこないと思いますが、マッチング理論といえば今様なのではないでしょうか。選択勘合理論を用いた、類別とか、チューニング問題の解決も今後の課題であると思います。そういう問題との絡みで感覚量というのを使っていくのがいいのかなという気もしますけどね。

 

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◎感覚という総合計測が価値創造に結びつく

田村希志臣:従来の計測は、どちらかというと状態に変化がないかどうか、基準を外れていないかどうかという観点で物事を判断するために使う傾向が強かったと思います。そのため、測定者間差は精度悪化の原因であり、官能計測を積極的に物理計測に置き換えてきたのです。


 しかし、昨今の成熟社会においては、新しい市場や新しい価値を生み出していくことに計測がどう貢献するかを考えなければなりません。


吉澤正孝:先ほど細井さんが言ったように、新しい感覚を用いて顧客のニーズにヒットするような機能を生むというのは、新しい市場を生み出す可能性がありますね。その時どこにもないような新しい概念が生まれるかどうかというという価値の創造にもなると思います。


田村希志臣:感覚量こそが、新しい価値とか新しい商品企画とか、そうしたものに結びついていくわけです。感覚量という、人にしかできない総合計測を積極的に活用してこそ、新たな価値創出の可能性があることが見えてきました。


吉澤正孝:そうです。まだこの領域の研究は十分とは思いません。具体的な事例が出てくると良いと思います。


細井光夫:建機の操作性でいうと、熟練オペレーターと新米オペレーターがいます。熟練オペレーターのなかには、ものすごくピーキーなじゃじゃ馬を自在に動かせるところに喜び感じている人もいます。


 自動車の場合はF1カーもあれば乗りやすい乗用車もあって全く別の商品ですが、建機の場合は外見が一緒でもソフトの制御で味付けを変えられます。実際、いろいろなオペレーターが乗りますし、最近はレンタルも増えていて、レンタルで指名されるためにもお客様の好みにチューニングできることはすごく大事なことです。


田村希志臣:なるほど。建機などは、常に1台を複数のオペレーターが入れ替わり立ち代わりで使うわけで、一人一人の使い勝手へのチューニング対応がいっそう重要になる製品ですね。


細井光夫:いろいろなオペレーターのために並行していろいろ用意するのはもったいないし、オペレーターも熟練すると好みが変わるので、1台で実現したいわけです。


吉原均(司会):たまに、テレビでやっているんですけども、パワーショベルの先端につけた包丁で、まな板の刺し身を切っちゃうみたいな器用な操作する方がいたりするじゃないですか。


細井光夫:あれがいわゆる熟練オペレーターです。卵を割って中の黄身を崩さずに器に移すなんてことをやりますが、実用で難しいのは法面や平面を作る操作です。熟練オペレーターは普通の建機で法面を作ってしまいますが、センサーを組み込んで法面や平面作りを補助するICT建機が既にあります。


 事務員をしていた女性が3日ぐらいICT建機の練習をして法面を作れたという動画がありますので、よろしかったらYouTubeを探してみてください。


田村希志臣:そろそろまとめに入りたいところで、鴨下さんに質問です。感覚量をうまく活用するにはパターンで捉えるべきという考え方に基づいて品質工学ではMTシステムの活用を進めていると思うのですけれど、価値創造という視点も含めて取り組みのヒントをもらえませんか。


鴨下隆志:難しい質問ですね。チューニングという問題がでてきます。香水などは調香師が自分のイメージの香りを、さまざまな原臭などを何種類も少しずつ量を変えながら組み合わせて、イメージ通りの匂いに持っていくわけですけれども、それはエキスパートの世界というふうに呼ばれています。特性値に加法性がなく交互作用の塊みたいなものもあります。


 それを技術の世界に持ってくためには何とかして加法性のある特性値を探す必要があります。このような特殊な世界は、これからも残ると思います。しかし、加法性を考慮していけば、MTシステムで多変量を扱うような世界に落とし込むことができる可能性が出てきます。


 たとえば、先ほど話に出たように、大学の入試で4年後に成績が良くなる人を見込んで、そういう人を合格させるというようなことを田口先生が話したことありました。実際にそれについては、東京電機大学の斉藤先生が学生のデータを使って論文にしました。でも、結局、個人情報の問題などが出たため取り下げざるを得なくなりました。解説記事では紹介されています。


 4年後の成績の予測ってうまくいくようです。だから、大学の卒業時に非常に成績の良い人の、高校生の時の生活習慣、あるいは成績、趣味などを考慮することによって4年後に成績の良くなる人を予測することはできそうです。


 予測の問題はこれから極めて重要になってくるのではないかなって思っています。あと官能量と物理量の両方を取り込む必要があると思いますが、そうした特性値をたくさん取り入れることによって、最終的に総合判断としてのMTシステムでいいものを作り込んでいくとかなどです。


 実際に、オーケンに相談があった事例では、車などの完成したエンジンを実際に稼働させて、音で合・不合を決めることがありました。騒音の判断は物理量と人間の聴覚を利用します。このようなパターンの判定というのは感覚量も取り入れて、多くの分野で利用されるようになると思っています。


 ですから、後はどういう分野にまでそうしたものを拡張することができるかっていうことだと思いますね。


田村希志臣:好みという言葉に代表されるのかもしれませんけど、快適さとか取り扱いやすさとか、着心地もそうですね。その領域に個人個人へのチューニングにも対応できる新たな技術なり価値の総合指標を導入できれば、新しい市場、新しい産業を生み出す可能性が出てくるわけですね。


鴨下隆志:そうですね。品質工学では、好みは品種問題として扱うことが多かったと思います。感覚による評価は個人差が大きく、全ての人が同じ尺度で判断しているのではないわけです。


 しかし、好みを評価する要因は必ずあるはずです。単純にいうと属性、身体的特徴、趣味、環境、生活習慣、感覚器官の鋭さなどです。こうしたことで層別することによって、今まで対象全体を一つの母集団として捉えてしまうことによって、誤差の範囲を大きくしていたものを、小さな領域に分けることにより、全てを誤差として扱わなくてもよくなります。こうした層別の方法を見つけていくことも重要な事だと思っています。


 感覚の鋭い人鋭くない人とかという話も出ましたけれど、単純に五感に分けていうと、視力でも目の刺激域とか弁別閾が人によって異なります。同じ大きさの刺激を与えても、受け取り方が一人一人違うわけです。触角、嗅覚、味覚、聴覚など、全てに絡んでくるので、そうした違いによってもある程度の層別は可能になると思います。


 つまり、母集団をどのように層別していくかというようなことを考えながら、感覚量を扱ったパターン認識について、品質工学の中で取り扱いができるようになっていければいいのではないかなと思っています。


田村希志臣:品質工学としてきちんと取り扱うようにしていかなければいけないのでしょうね。


鴨下隆志:品質工学には優れた方法があるのですから、ぜひ使いこなしていきたいですね。田村さんたちがよく取り組んでいるようなバーチャル評価とかバーチャルパラメータ設計という方法は、名称の問題は別としても、広い意味での、人間の感覚量の利用ということになると思います。そうした量を取り入れることも重要なことですよね。


 機械的な計測だと時間もコストもかかるけれど、人が自由に発想して世の中にないものをイメージして、そうしたものを創造していくということにも使えるわけですから。品質工学の中にどんどん取り込んでいくべき課題だと思います。


田村希志臣:これまでは「品質工学では好みの問題は扱いません」という田口先生の論説の中の一部分だけを切り出して、品種や好みの問題は品質工学の対象外だという理解が主流だったような気がするのですけれども、今日の皆様の話を聞くと、そのような線引きは必要ないですね。実際、田口先生の論説の中では、個人個人の要望に応える商品企画や商品品質の設計に品質工学、特にMTシステムが貢献する可能性について言及されています。


 品種や好みの問題は感覚量による計測と絡めて積極的に品質工学で扱っていくべき領域だと思います。それが新しい価値、新しいビジネスを生み出すことにつながります。今日の議論を通して、そこに品質工学がますます貢献できる確信を得ることができました。


吉原均(司会):田村さん、まとめの言葉ありがとうございます。まだ、話し足りない人やもやもやしている方もいるかと思いますが、「感覚量による計測の新展開」というテーマは、これから本格的な議論を行っていく重要課題です。


 引き続きNMS研究会で議論を深めましょう。時間となりましたので、本日の座談会は以上としたいと思います。みなさんありがとうございました。

 

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