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日本計量新報 2011年4月10日 (2865号)1面掲載

東日本大震災の爪跡

浮き上がったトラックスケール 散乱するハカリ

(写真1)女川港のトラックスケール。設置されてまだ日が浅い新鋭機のようだ。筐体下部にサビがでていない。フォークリフトが1台下にはまり、もう一台は先端部が潜り込んでいる。押し寄せた津波のエネルギーによってトラックスケール筐体が持ち上がったのである。(4月2日午前に撮影)

東日本大震災は、日本に未曾有の被害をもたらし、今なお多くの人々に苦難を強いている。2011年4月2日、震災の爪跡残る東北に本紙記者が入った。そこで目にしたのは、津波によって浮き上がったトラックスケールや散乱するハカリなど、痛ましい被害の状況であった。

三陸地方の産業の基礎は漁業である。リアス式の入り組んだ海岸線は荒波を防ぎ、その岩礁は魚介類を育んできた。

2011年3月11日14時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9の巨大地震が発生した。ユーラシアプレートが広域にそして大きく跳ね上がったことによって東日本各地で震度6強の地震が発生し、三陸地方には10メートルを超える津波がおこった。

宮城県の女川町、南三陸町、岩手県の陸前高田市、大槌町、山田町などの中心市街地は津波(大槌町、山田町は津波に伴う火事)によって壊滅的な被害を受けた。福島県、青森県、茨城県、千葉県なども多くの被害を受けている。

トラックスケールが浮きあがり、下にフォークリフトが潜り込む

牡鹿半島の付け根にある女川町(人口約1万人)は、岸辺から200メートルほどのところに住居などの施設が広がっていた。町役場は鉄筋コンクリート造のビルで、女川港の岸辺から300メートルほど、標高5メートル以下のところにあった。押し寄せた津波は町役場の3階を超え、その屋上にある別の施設にまで及んだ。

町役場より少し低いところにある、仙石線女川駅に隣接した鉄筋コンクリート造の施設は、4階まで水がきた。津波はこの二つの建物より高い位置にある民家を押し潰しており、町の中心地の施設は壊滅状態となった。

港に面した奥行きのない3階建てのホテルは、その3階部分まで津波で打ち砕かれ、右に傾いでいる。港の中央に建てられた大きな正方形型の3階建てビルは、外形はそのままの形で残っている。

女川港の魚市場に隣接して建設されたトラックスケールによる検量施設では、トラックスケールの筐体(きょうたい)の下にフォークリフト2台が潜り込んでいた(写真1)。筐体は、表示計と演算装置を設置していた建物に食い止められて、流されるのを免れた。

ハカリ屋付近にはハカリが散らばっていた

(写真2)湊町1丁目のハカリ販売店は津波に流され、跡地付近には新品のハカリが漂流物とからみあっていた。写真奥は石ノ森萬画館。(4月2日朝撮影)

仙台以北の三陸海岸沿いの都市としては八戸市(人口約24万2100人)に次ぐ規模である石巻市(人口約16万7000人)は、北上川の河口部に拓けている。

仙石線石巻駅周辺は海抜0.9メートルのゼロメートル地帯であったため、商店街が浸水した。

石巻駅から東南に1キロメートルほどのところに石ノ森萬画館がある。旧北上川の中州に建てられ、石巻市のシンボルになった銀色のドームは、そのままの姿で残されていた。同館も、1階部分が汚泥と瓦礫に覆われるなど甚大な被害を受けたが、現在、再開に向けて動き出している。

石ノ森萬画館の東側の岸辺にある湊町1丁目のハカリ販売店付近には、壊れた数台のハカリと分銅、おもりが泥にまみれて転がっていた(写真2)。バネを用いた上皿式の自動ハカリは波にもまれてひしゃげ、茶色にさびた文字盤に赤い指針が健気にへばり付いていた。電力量計がぽろりと落ちており、水道メーターを埋めた箱がめくれていた。

YouTubeで関連動画公開中!http://youtu.be/hicA-56hCy0 (「東日本大震災」)


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