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日本計量新報 2013年3月17日 (2957号)6面掲載

東日本大震災から2年後の現状を見る(3)


被災場所には家はない、人もいない、犬もいない、白鳥が飛来しているだけだ

東日本の海岸線に敷かれた国道6号線は復旧している。平行して走るJR常磐線は線路が途切れていて動いていない。石巻線の女川駅は駅舎を取り壊していて、線路も途切れたままだ。主要道路は被災から1カ月ほどで復旧させた。このための自衛隊の働きが大きい。

震災から2年になるのに石巻市の海岸部の運動場などには津波で被災した自動車が山積みになっている。これはリサイクルのためだろうか。石巻市と女川町の道路はほとんどすべて復旧した。岩手県の海岸部の道路は町裏の細い道までも復旧した。瓦礫処理も進んでいる。道路から見ていてるともうない。瓦礫処理は予想以上に進んでいる。 

 
瓦礫処理が済まなくては住居もその他の施設も建設できない。しかし住居の高台移転など新しい都市計画の構想とその決定の進行は遅い。被災地は壊れた家などの撤去処理が済んだところであり、焼け野原がきれいに片付けられた状態である。津波に耐えて残った学校の建物の多くは放棄されており学生徒の姿はない。商店もコンビニエンス・ストアもない。ダンプカーが列をなして走っているだけだ。どこか遠くかあるいは近くの仮設住宅などで避難生活をしているのだろう。子どもたちは仮説の学校に仮設住宅から通うか、どこかの学校に編入されている。いずれにしても被災場所には家はない、人もいない、犬もいない、水田たまりに飛来している白鳥の姿を見るのは冬だからだ。この地に人が暮らし、人が働く普通の状態に戻るのはいつのことだろう。 
 

海があり、山があり、谷があり、川があり、そこに月が昇る

企業の自由な選択と政府の一貫した強力な被災地支援と連動する産業政策によって、東日本大震災からの復興がなされることが望まれる。日本の自然やその風景が美しく、代え難いものであるかは、よくはわからない。

 松尾芭蕉が旅したこの国、日本はおそらく美しいのであろう。西行は日本の風景をめでて歌を残し、その歌枕を訪ねて芭蕉が旅した。強烈な景色は世界には多い。奇異なる風景を美しいというのであれば日本は美しくはない。海があり、山があり、谷があり、川があり、そこに月が昇り、花が咲き、鳥が鳴くことに安らぎを覚えるのであれば、その人にとって日本は美しい国である。

 安倍晋三氏は1度目に首相になったときに天皇を尊崇し、親を敬い、年長者をたてることなど心のあり方を含めて美しい日本と言った。この時の安倍氏は人に物事を説くのに言葉が足らずに思いだけが空回りした。歌を残し、その歌枕を訪ねて芭蕉が旅した。強烈な景色は世界には多い。奇異なる風景を美しいというのであれば日本は美しくはない。海があり、山があり、谷があり、川があり、そこに月が昇り、花が咲き、鳥が鳴くことに安らぎを覚えるのであれば、その人にとって日本は美しい国である。
 

希望と使命感をもって働くことができる地域社会をつくる

普通の状態でも町で商売をしてきた商店がやっていけない日本であるのに、被災をしてそこから復興しようとする市町村が少しは夢のある将来計画を建てられるのであろうか。夢がなければ復興はできない。夢だけでは復興は上手くいかない。希望と使命感をもって働くことができる地域社会をどのように設計するのか。
 

夢を夢で終わらせない実現性の濃厚な計画づくりをしなければならないが、簡単ではない。市町村自らが、住民自ら渾身の努力をすることと相まって国などの支援も大事である。

これまでの原子力発電所の建設や放射能汚染物質の処理施設などは、銭で頬を打つようにして地方の疲弊した自治体に押しつけてきた。類似の発想で震災から復興する市町村を見ることがあってはならない。

その地域に根付くような産業を斡旋して、工場などが進出する政策が推進され、良い結果が出ることが望まれる。東北地方は食品やその他の物価も安い。自分の土地があれば多くない収入でも暮らしがたつ。そのようなことから海外への工場建設よりも日本国内の適地に工場をつくる選択をする企業がある。日本と比べれば格段に低いアジアの労働市場を利用する動きが広がって、連動して日本の賃金水準が引き下げられる現象がつづいているなかでのことである。
 

原子力発電は嘘で固めて見せかけの平和を続けてきた

 東京電力福島第一発電所の事故によって放射性物質が大量に飛散、千葉県の松戸市や柏市などでは公園などで水が流れて貯まる場所が高濃度汚染されて、ホットスポットなどと騒がれる。

東日本の太平洋の沿岸には数多くの火力発電所がある。海辺の火力発電所は地震にあい、津波による波をかぶった。設備の浸水で運転が停止している火力発電所があり、運転再開した火力発電所もある。

地震に揺れ海水に浸された東京電力福島第一発電所は燃料棒が溶け、炉心溶融なのか、放射能を帯びた物質が大量にでた。原子力発電所の地震と津波への対応と、その安全性の説明には欺瞞がある。原子力発電所がらみでは嘘がたてつづけに明らかになっているので、運転再開の目処はたたない。運転再開に同意する国民感情はまだない。

 活断層があるのをごまかして、安全の備えをしていない設備を安全だと述べ、「原子力を正しく理解しよう」と書かれた看板を町の入り口の道路の上に掲げさせる。嘘で固めた「安全神話」のなかに身を隠す原子力村があり、関係する委員会によって原子力政策が運営されている。廃棄物処理その他を含めた総合的な運転費用が火力発電や水力発電より安いという理屈には疑問があり、恐らく嘘だ。国の委員会と政府の相互は嘘をつきあっていれば平穏でいられる。嘘で固めて見せかけの平和を続けてきたのだ。
 

以遠でも高濃度汚染で全村民避難の福島県飯舘村

福島県福島市から海岸に寄ったところにある飯舘村は原発事故の放射性物質が大量に落下して高濃度汚染した。汚染濃度が、人が住んではならない基準を超えているので、飯舘村は、全村民と役場とが丸ごと他県に避難している。事業者は営業をつづけることができる規定になっているので、ガソリン販売所が1カ所営業していて、ほかに会社の事務所に人がいた。

 飯舘村とは山を背にした福島市よりの川俣町は汚染濃度は既定値にたっしていないので、被災前の暮らしがつづいている。放射性物質の飛散は飯舘村と川俣町の境に連なる山稜によって遮られ、飯舘村にはそれが大量に降下して汚染した。海辺から福島に向かってまっすぐに走ると飯舘村があり、峠を越えると川俣町がある。汚染物質を含んだ塵埃は峠と山稜を越えずに飯舘村に落ちた。原発事故現場から
20灼以上離れた飯舘村を放射線物質で汚染した。飯舘村と背中合わせになる川俣町の商店街の多くはシャッターを閉めていて、通りに活気はない。目立った産業がない山間の町のさびれた風景が広がるのが川俣町である。用品店は店を閉め、文具店も同じであり、輝いている店はない。かつての宴会場の割烹の名をかかげたお店の売りの献立がラーメンであり、この地の名物であるらしいシャモ肉を使ったシャモラーメンを注文する老人夫婦が3組ほど昼食を摂っていた。

YouTubeで関連動画公開中!http://youtu.be/hicA-56hCy0 (「東日本大震災」)


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