===夏季特集 第1集===
2001年7月29日(2408号)■日本川紀行 長良川に遊ぶ夏
2001年は暑い暑い夏が続いています。河童の頭のお皿の水も涸れそうです。芭蕉の時代から旅は夏に行われていますが、盆休みの行楽に帰省に、交通渋滞に巻き込まれますと難儀をします。栃木県の那須高原まで出かけるのに、サンフランシスコに行くよりも時間がかかってしまうことがあるのです。夏期休暇が分散化してはいますが、盆だけは別のようです。2000年夏には、岩手県の三陸の海岸に出かけるのに22時間かかってしまいました。東京都心から仙台平野まで渋滞が続いていたのです。大変な苦痛でした。その後しばらくは車で長距離を移動する気持ちにはなれませんでした。その後遺症が取れるのに半年かかりました。この夏、鮎釣りの季節を迎えて、少し遠出をするようになりました。7月初旬には岐阜県は郡上八幡町を流れる長良川に足を運びました。長良川流域は川魚を大切にする文化が残っているところです。春のアマゴに始まって夏の鮎と郡上の釣りは続きます。
長良川は岐阜県の山奥から流れ出して愛知県の太平洋に注ぐ長い川ですが、上流から河口まで活き活きとしております。流域には人が川に親しんで生活しており、とくに郡上などでは、世界でもまれな町と川との共生ともいえる独自の川文化あるいは川魚文化を今に伝えています。郡上八幡町では漁協が釣り人が捕った鮎を買い取りますし、漁協を通さないで料理屋や仲買に渡すこともできます。
私は郡上八幡の民宿の奥美濃荘に2泊しました。2食付きで6800円です。宿泊者は鮎釣りの人々と道路工事関係の人々でした。鮎釣りの泊まり客は東京都青梅市の青年2人と山梨県上野原町の自由業の熟年者でした。彼らは1週間以上も投宿するのですが、費用が大変だろうと尋ねますと、釣った鮎を売って宿代にあてるのだといいます。鮎は特大、大、中、小、ビリに区分けされますが、この夏は鮎の入荷量が少ないこともあって99グラムの大に分類される鮎は1尾で1800円でした。青梅市の一人の青年が釣り上げた鮎ですが、8尾釣ったうちの一番大きなものでした。もう一人の青年は4尾だったそうです。二人が売った鮎が全部で幾らになったか聞きませんでしたが、宿代の足しには十分になっているはずです。
宿の主人と友人の50歳過ぎの地元の釣り名人に話を聞く機会がありまして、長良川の魚文化の一端を覗くことができた気がします。その名人が高校を卒業して地元で勤めたときの初任給が1万3千円だったそうですが、夏になって休日等に鮎を釣って得たお金が3万円にはなっていたというです。名人は「俺にとって給料とは何なんだ、仕事とは何なんだ」と考えさせられたと話していました。この人はアマゴを釣りに出かけると60尾は釣り上げるのだそうです。名人はアマゴが自分のところに寄ってくると笑って話していましたが、話が嘘ではないことを奥美濃荘の主人が認めていました。アマゴを釣ってもお金になるのが郡上です。
そのような郡上の釣り人に有名な民宿に泊まって二日間鮎釣りを楽しみました。釣れた鮎はわずかなものです。話の種に郡上漁協に鮎を卸してみました。証拠の切符をもらい翌日に代金を手にしました。何年か前、初日に釣った鮎を家に持ち帰ったら鮮度が落ちていたからです。また釣れた鮎が掛かりどころが悪くて使い物になりませんでしたから、その場で食べてしまいました。翌日釣れなければ郡上の鮎が食えないと思ったからしたことです。醤油か塩か何かの調味料があればと思いました。卑しい行為ですが川に放ってしまうよりはましだと考えたのです。暑い、長い長い夏は続きますが、日暮れが少しずつ早くなっています。地球が運行しているまぎれもない結果なのですが、季節は確実に巡っているから夏をもっと楽しみたいと思うのです。*写真はオリンパスのデジタルカメラ「C−920 zoom」で撮ったものです。(よ)