===夏季特集 第2集===
2001年8月5日(2409号)■日本川紀行
栃木県湯津上村の川に掛かる鳥居鉄道や自動車による交通がさかんになる前は、川は物資輸送に活躍しておりました。那須野が原や那須高原と太平洋の水戸をむすぶ水路となっている那珂川には物資輸送の船が往来していたのです。
ダムができる前、また那須高原等が開発される以前の那珂川の水位は今とは比べものにならないほどに高かったのです。大きな川船が海から物資を運んで、平野部や山間部の産物を太平洋の街々まで下ろしていたのです。
船の運航には引き綱を付けて、陸地を馬などの力で引いたのです。
馬を使いにくいところでは人力で引き上げました。
那須平野の那珂川沿いの物資の集積地の黒羽町に住む60歳位の人たちは、そうした船の運航を知っており、また水位が今よりはるかに高かったことを覚えているのです。
そう遠くない先頃まで、川は物流の重要な手段でありました。
川の大事さ、あるいは川への畏敬の念を思わせるものとして、那珂川の支流の川には鳥居が掛けられています。
黒羽町の下流部の栃木県那須郡湯津上村の役場近くの光丸山大日堂のそばを流れる那珂川の支流の川のことです。この鳥居は那珂川沿いを走る国道294号の横にありますから、この方面に出かけた折りにご覧になった方は多いと思います。
川に鳥居とは滅多に見ることができない景色です。光丸山大日堂は八溝七福神の一つとなっております。湯津上村を含めた那珂川流域は、前方後円墳の古墳が多いところです。
光丸山大日堂を上流に向かって走りますと、右手に上侍塚古墳があります。
大きな塚ではありませんが、平地のなかに土が盛られていますから目に付きます。
そしてこの塚は、この地に前方後円墳をつくるような人々が古くから住んでいたことを示しています。
松尾芭蕉は奥の細道の旅の途中で、黒羽町に長い期間逗留しています。物資の集積地で富を築いた人々に招かれたものでしょうが、伊賀上野の生家にも似たところがあって居心地がよかったのでしょうか。
この夏の始め、松尾芭蕉の生まれ屋を見てきました。よく白川以北といわれますが、黒羽町は白川以南なのです。
芭蕉は白川を越えるための心の踏ん切りをこの地で改めてつけようとしたのかも知れません。
那珂川は北側の那須高原が水源になりますが、東側には八溝山地が連なり、川と一緒に南に走ります。景色に荒々しさなどなく、人を和ませる長閑(のどか)さに満ちています。黒羽町の中心部には黒羽城址があり、その近くには芭蕉を偲ぶ「芭蕉の館」があります。
那須高原に宿をとったら是非とも黒羽町まで足を伸ばして、たおやかな那珂川の流れと町の風情を楽しんではいかがでしょうか。
町の中心部の那珂橋近くの立派な館の蕎麦屋さんの味は、安いにもかかわらず絶品です。(よ)