2007年8月5日 (2686号)
|
日本列島ぶらり旅
飛騨高山は東京からも日帰り圏になっている
夏期特集(4)・フォトエッセイ
高山市は人気の観光地になっている。京都の帰り、郡上への鮎釣りの旅の行き来に、名古屋からの帰りに、富山と北陸旅行の行き来にと良く立ちより、日が暮れると高山市のビジネスホテルに宿をとる。耐震偽造のビジネスホテルがこの地にもあって、私は京都の宿と高山の宿で危ない宿に泊まったことになる。
高山市への足の便は、北陸と東海からは東海北陸自動車道が通じたことで非常に良くなった。関東方面からも安房トンネルの開通で松本からひとっ飛びということで便利になった。
平成の市町村合併で高山市の面積は面積2,177.67平方キロメートルと大きく広がり、東京都とほぼ同じ面積になった。人口95,809人、世帯数34,309世帯である。となりの飛騨市も神岡町や古川町を組み入れて大きくなった。島崎藤村が木曽路は山のなかと表現したのと同じように飛騨への道も山のなかであったが、いまは鉄道はもとより自動車道路の整備によって、飛騨高山は東京からも無理すれば日帰り圏になっている。
江戸時代、この地には飛騨高山藩が設置されていたものの、元禄期には同藩に代わり高山代官所が置かれ、この建物が現存し人気の観光施設となっている。とはいっても高山市に出かけたら「宮川の朝市」ということでここに人が大勢集まって、飛騨牛の串焼きにかじりつくのだ。本当はそんなことをするよりも道の脇にある団子屋で乾いた串団子を食べるのがよい。この地を訪れての醍醐味は、品質の確かな飛騨牛の細切れが100グラム300円ほどで鍛冶橋の通りの肉屋で売られているから、それを注文してクール宅急便を手配することである。
飛騨の特産は家具であり、この地には有名な家具工場がある。そして精密金型の工場も。その昔から木工技術をいかして枡(マス)の産地でもあった。ポールなどの測量機器を製造する企業もある。しかし、精密工業の諏訪・岡谷や河口湖のようにはならなかったのが飛騨地方である。こうした工業が発達する時期には交通の便のことなどを含めて飛騨は遠かったのかも知れない。飛騨高山は日本酒の酒所である。(写真は鍛冶橋の下流側弥生橋から写した宮川の朝市)甲斐鐵太郎(旅行家)
|