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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)
中検は夜学通いを奨励
物理学校の2年生に進級
坂本さんが出征したのもこの頃で、壮行会をするため天野さんと、今のJRで吉祥寺の坂本さんの家までご一緒したことがありました。
翌1944年はじめ天野さんや竹内さんなどから勉強の便宜を与えられたお陰で、物理学校も運良く2年生になることが出来ましたが、2500人いた1年生が500人になっていたことには、聞いてはいたものの大きな驚きでした。比較検査係の皆さんからお祝いを言われました。
ご褒美とお仕置き
2年生になったということだけで比較検査係から渡辺所長直属の調査研究係に移されました。
物理学校出の小池清さんの下で、私と一緒に物理学校に通っていた「馬見塚勝」さんが出征した後任の様でしたが、後で聞いた話では、蓑輪君にはその仕事は向かないと、天野さんはこの移動には反対されたとの事でした。
小池さんは物理学校夜学で製図の講義を担当していて、私も生徒の1人でした。調査研究係の係長は近藤幸造さんで、ここでは当然のことながら定常的な仕事はなく、ブロックゲージをベンガラや酸化クロムで磨き平面を出すことや、ニッケル鍍金の実験などをさせられていましたが、3週間くらい経ったときのこと、昼の15分前頃にブンゼンバーナーで飯盒の飯を炊いていたとき、突然と渡辺所長が入ってこられ、途端に雷が落ちてきました。
中検の感化院に
直ぐ謝ればよかったのにと後で言われましたが、見つかってしまったことだし、今更言い訳もと頭を下げて黙っていましたところ、逆鱗に触れたのでしょう、翌日、中検の感化院と称されていた(後から聞かされた話)係長が谷川盈科さんの計圧器係に配置換えになりました。谷川さんから聞かされた話では、所長が玉野さんに、あいつは、馬鹿だか図々しいのかわからん奴だと、言ったとか。