目次
連載第1回【日本計量新報2724号 2008年(H20)5月18日発行 7面掲載】
1 はじめに
私は今年83才になる。21才の時、ふとした縁で計量の世界に飛び込んで何時の間にか62年の歳月が経過した。
昭和21年以来ハカリ一筋に歩んで来たこの62年は、丁度戦後の62年間に重なる。この間の日本の政治や経済は想像を絶する発展と変化を遂げた。ハカリもハカリ業界もそれに負けないぐらいの物凄い変化と発展を遂げた。この変化と激動の時代に翻弄されながらも今日まで人生を精一杯切り開いて来られたのも、多くの人々との運命的な出会いがあり、折に触れて私の仕事を支えて頂いたからこそである。
ふと、気がついて(見廻して)みると戦後業界をリードしてきた偉大な先輩達は殆ど亡くなられた。終戦直後からのハカリの歩みを肌で感じて知っている一人としては寂しく感ずるこの頃である。
日本計量新報社から「私の履歴書」を書けと言われたとき、この業界にお世話になって何のご恩返しも出来なかった私如き者の出る幕ではないと思ったが、終戦直後からのハカリ業界のことを肌で感じて来て62年経った今日も現役で居る者の使命として、思い出すままに書き残すことも意義あることではなかろうかと思い直した。
計量行政の中心に居た立場でもなく、大手企業の立場からでもなく、地場のハカリ屋の目を通してみたハカリの進歩や業界の推移を書いてみることにした。
年寄りの昔話と笑われることは覚悟の上だが、多少でも関心を持って読んでくれる方があれば望外の喜びであります。
◇
私は大正14年7月22日、香川県高松市の郊外の貧しい農家の次男坊として生まれた。
後年母からよく聞かされたのは「お前は赤ん坊の時、肺炎で三度もおリンが鳴ったんだよ(即ち医者に見放されて臨終の意味)。」それにもかかわらずよく丈夫な体に育ったものだという感慨の籠もった言葉だった。
運がいいと言うか、運が強いというか、この赤ん坊の時の命拾いを一回と数えて、私は20才の時(終戦で特攻要員から開放された)と58才の時の心臓手術含めて生涯に3回も命拾いをしている。誠に有難いことである。
(つづく)
目次 |