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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

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8 長尾虎太氏の思い出 2734号

  日本秤錘時代に得たもう一つの財産は常務取締役だった長尾虎太氏の薫陶を受けたことであった。戦前の検定所長は中央人事であった。長尾虎太氏は確か群馬の検定所長等を勤められたが戦争中郷里の高松に疎開され日本秤錘に請われて常務として経営指導をされていたが、私は直接の上司として指導を受けた。東京帰りの紳士らしい品のいい人格者で中央の業界に明るく人脈も広かった。

  囲碁は確かアマ2段くらいの腕前とお聞きしたが、我々のザル碁の指導を時々して頂いた。初心者の我々がびっくりしたのは最初の一手目から最後の一手まで正確に再現してくれることだった。プロだったら当たり前のことだが当時の私は本当に感嘆し尊敬したものだった。

  この長尾常務は日本度量衡協会の専務理事だった重台安蔵氏や日本計量新報の創始者久保田誠氏と仲のいい友達で囲碁仲間でもあった。日本度量衡会館その他でこの3人が和やかに対局されているのを側でよく拝見したものだった。

  日本度量衡会館といえば東京の一等地虎ノ門に小なりといえども自前の鉄筋3階建てビルを構えていた。戦前の諸先輩の力と先見性には敬服させられる。私は長尾常務の使いでよく虎ノ門にあった度量衡会館へ行った。そこには戦前から戦後にかけて業界の大御所であった会長の徳永学氏・専務理事の重台安蔵氏・若手のバリバリの本宮大介氏等がいた。私の用事は当時昭和通にあった中央度量衡検定所へ紹介して貰うことであった。戦後しばらくの度量衡法時代は検定・検査用の20kg分銅を中央度量衡検定所が毎年何百個も購入して各県の検定所に何年かに分けて配布していた。

  245才の若造が分銅の売り込みに中検に行っても相手にしてもらえないので、重台さんと本宮さんに紹介して貰って中検へ行った。中検の担当は小泉袈裟勝さんだった。後年小泉さんとは計工連のハカリ部会等でよくご一緒して親しくして頂いたが、バリバリの現役時代の小泉さんは一寸気難しい近寄りがたい感じだった。

(つづく)

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