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16 外販との出会い 2745号
旧度量衡法時代(昭和26年まで)は規制が厳しく製造・修理・販売と総て免許制であった。それは同時に法に保護された業界であり、競争が少なく既得権に安住して発展性の乏しい業界でもあった。
民主化された新法は免許制から登録制に変わったことで代表されるようにある程度規制が緩和された。
度量衡法では免許は地方の旧家・資産家に交付されていたから、「売って遣(つか)わす。」という気風が残っていて、ハカリは店舗へ買いにくるもので、売りに行くものではなかった。従業員が300名いるようなメーカーでも営業担当者は数名に過ぎず販路は問屋・商社で最終ユーザーに対する関心は比較的薄かった。
計量法になって店舗外販売が可能になった。所謂外販である、この外販にいち早く踏み切ったイシダと寺岡が業界の地図を塗り替える発展をすることになる。
イシダは京都で3代続く老舗のハカリ屋で先代が制温装置を発明し性能の優れたばね式ハカリを造っていたが当時は京都の一地方メーカーに過ぎなかった。
外販は肉屋・魚屋・八百屋・菓子屋(当時は量り売りだった)を一軒一軒訪問してばね式の両面のハカリ(業界では下皿と言った)を売るのである。
これによって店の目立たぬところに置かれていたハカリ〔上桿(うわかん)〕に替わって店の一番目立つ入り口の正面の商ケースの上にかっこいいデザインの下皿ハカリが置かれるようになった。両面だからお客さんの方にも目盛りが見える対面販売の普及で明るい笑顔の取引が可能になった。
即ち外販によって店舗におけるハカリの地位が著しく高まり面前計量による取引はお客さんの信頼を確保することに大きな貢献を果たした。
もう一つの功績はお店の主人に「ハカリは大は小を兼ねませんよ、単価の高い商品は1グラムの目盛りのはかりで正確に測って計り込みを防ぎましょう。」と正しいハカリで正しく計るという適正計量の推進に貢献したことであった。
仙台に移ってから2年経った頃、台秤の製造に行き詰まりを感じていた私は、その打開策として外販に魅力を感じ始めていた。業界の事情に比較的明るかった私は、イシダと取引出来ないものかと考えた。イシダに申し入れたところ、幸い営業部長と東北地区担当の二人が私の故郷鬼無の隣村の出身だったこともあって、話はとんとん拍子に進んで昭和36年にイシダの代理店契約をすることが出来た。イシダの販売代理店になったことが日東の体質を変え、大きく飛躍する転機となった。
(つづく)
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