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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

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33 登録制存続の攻防 2768号

 メカ式のハカリの時代には金物屋でも薬局でもハカリが売れていたので、免許から登録制になっても一種の特権としての値打ちがあった。しかし、昭和50年代になってハカリが電子化され、コンピュータ化され、ハイテク化されると、登録という特権だけでは売れなくなり、その機能を熟知しメンテナンスも出来る専門業者でないと、流通経路の末端としての機能が果たせなくなってきた。金物屋・薬局ではハカリの売り上げは年々ゼロに近づき、協会員としての魅力が薄れつつあった。

 しかし、地計協は数百名から千数百名に及ぶ販売登録事業者の会員の会費が収入の大部分を占めており、登録規制の存続によって会員を繋ぎ留められるか否かが死活問題と考えられていた。色々な会議の中で日計協に規制の存続を図るよう努力することを執拗に求めた。新計量法で販売事業者の規正を存続させることが日計協の使命のような発言すらあった。

 宮城では早くに支部を解散し、販売事業者の退会は止むなしと考え会員の減少は覚悟していた。事務局員が3000円の会費を倍の旅費を掛けて集金に廻るという不合理な慣習も止めたので、昭和60年代には販売登録事業者の会員は半減していた。

 そこで会員は従来の登録業者に頼らず、ハカリのユーザーに加入を呼びかけて協会の会員になって貰った。日計協の理事会で、小野田会長が会員増強の例として宮城ではこうしていると披露したがあまり関心を引かなかった。当時は登録制に見切りを付ける等ということを言い出せる雰囲気ではなかった。

 地計協の願いもむなしく、1993(平成5)年、新計量法が施行され登録制が届出制に緩和された。予想通り多くの地計協では年々会員数が激減し財政的に大きな打撃を受けた。

 もう一つ地計協にとって不幸だったのは、新計量法で指定製造事業者制度が発足し多くのハカリメーカーがその指定を受けたことである。何故かというと地計協の殆どが県の証紙の売りさばき人の指定を受けており、3%の売りさばき手数料が収入源の一つになっていた。

 その県のメーカーが指定製造事業者になると証紙は使わなくなり売りさばき手数料は激減する。中には手数料だけで1000万円の減収になった地計協もあった。

 地計協の財政の逼迫は地計協の会費に頼る日計協の財政を直撃した。日計協は先人の築いたストック(土地建物)はあるがフローが少なく運営が年々難しくなり事務局は会長会社からの出向社員に頼らざるを得ないような団体になって行った。

 統合団体になった<CODE NUMTYPE=SG NUM=82B1>日本計量振興協会は2004(平成16)年郵政公社の計量管理の受託に成功し、会員である地計協や計量士会に喜ばれ感謝された。日計協時代にこのような活動があればと悔やまれる。

(つづく)

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