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日本計量新報 2008年7月13日 (2732号)

計測機器を需要家に知らせる手伝いをする窓口

日本計量新報社がやろうとしていることの一つに、日本の国民・消費者や企業の計測需要への窓口になることがある。
 計測機器を使わなくても計ることと同じことができる分野に無理矢理に計測機器を持ち込む必要はない。経験則を用いて大まかでよい分野は、それで不都合がなければその経験則をより良い経験則にするとよい。高い山の雪渓にウサギや爺さんが現れたら田植えの時期であるということなどは、計ればわかる日の強さ、気温の循環、水の量などさまざまな要件を総合した結果であることが多い。
 自動車の運転でも、速度計といつでも睨めっこしていないと速度超過してしまうなどということでは気持ちを安らかにして運転できない。速度計はときどき運行速度を確認する程度に使っていることが多い。自動車にはオートクルーズといって定速運行する装置や先を行く車との車間距離を適切に保持する装置なども付いており、車任せの運転も不可能ではないが、何かの異常事態に対して運転者の適切な判断を省くことができものではない。
 計量の目的は物事を知ることである。知ってそれに対応することでもある。大まかに知ることが目的である場合もあるし、細密に知ることができなければ物事に対応することができない場合もある。
 居住空間の温度や湿度、そして通風や埃の量を知るという場合は、温度はせいぜい摂氏1度(1℃)の精密さで知ることができれば十分である。湿度にしてもさほどの細かさが求められることはない。物づくりの分野では温度の管理は0・1℃では不足することも少なくないし、湿度にしても同様の細密さを要求される。
 その場その場の計測の精密さの要求度合いに応じた計測方法と計測機器を選定することこそが大事であり、必要以上の精密さを求めることには意味がない。精密とか高精度であることは偉いと思いがちであるが、その技術を達成することそれ自体は偉いことであっても計測要求に対して過剰な精密さで対応することは、計る目的とは相容れない。
 家庭や事務所での居住空間の温度を摂氏0・1度の精密さで計測し、管理することになると、そのために要する費用は家計や事務所維持費としては負担が大きい。このような馬鹿馬鹿しいことは人の経験からくる常識によって否定されるところである。
 ところが計量計測の分野の専門家たちは、確かさと精密さを要求するあまり、計測の標準のための標準器や基準器といった機器・装置をつくっている現実の環境を度外視して、製造環境や計測環境の温度、湿度、振動、風量などにむやみな要求をしてかつそれを実行しようとする。細密な計測欲求があることは確かなことである一方、目安程度の計測欲求はそれ以上に沢山あるのである。体脂肪や身体の組成を求める計測機器が実現する内容は、計られる人の身体の内容が一様ではないこともあってそれほど細密なものではない。これらの計測機器の場合、そうした内容を知って使っている人が多いところをみると、国民の計測の正確さに対する理解は概ね正しいと思われる。
 精密とか高精度といったことだけを求める計測機器の開発方向とは別に、これまで計れなかった物事を計れるようにするという開発方向があって、事業としては新しい事象を計ることができるようにすることの方に発展の可能性がある。こんな計測機器があって、このようなことが計れて、このようなことに対応できるといった計量計測機器事業者の常識は一般国民の常識でないことが多い。企業は自社製品の中に「このようなことを計れる計量器がある」ということをもっともっと宣伝して、国民や産業社会に知らせるようにしたいものだ。日本計量新報社の重要な仕事の一つは、そのような計測機器を需要家である国民と産業社会に知らせる窓口になることである。知られなければ使用にいたらないことをよく知るべきである。


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