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日本計量新報 2016年7月3日 (3110号)

メートル法の言葉の由来とその成立と内容

メートル法とは何か。それは国によって地域によって単位が異なっていると、商品を取引するとき、あるいは学術文化の方面で交流するときに不便を生じることから、世界に共通の計量単位とそのしくみとして整備された体系のことである。

計量単位が異なることの不便の解消に乗り出したのはフランスであった。「いかなる国でも採用できる新単位系」と銘打った案をタレーランがフランス議会に提案した。太陽王ルイ16世を処刑しルイ王朝を打倒したフランス市民革命はこれを世界普遍のものとして提唱していく意図を含んで革命政府が提出したメートル法単位系の案は議決され、パリ科学学士院がこれを実際に制定した。

フランス政府が提唱したメートル法単位系は、民族性を排除した単位であるようにしくんでみせた。長さから体積を決め、水の体積から質量を決めるということで長さがその元になっていた。長さの単位をメートルとしたことからメートル法という言葉が使われる。長さの単位1メートルは地球の子午線から割り出すことによって「科学的粉飾」をこらした。人の<RUBY CHAR="","ひじ">や足の寸法から長さの単位が決められることは自然な現象である。これを王様の肘や足の寸法からとることが実際になされていた。

フランス政府が提唱したメートル法はそのことによって西洋世界の科学文化の覇者としての立場を主張することでもあった。メートル法制定のための地球子午線の長さの計測にイギリスは協力しなかった。イギリスのフランスへの対立は民族意識や覇権意識の面があった。

日本の尺貫法からメートル法への移行にあたっては富国強兵そして工業立国という国家方針により単位の統一と標準化の重要性が科学者から強く提唱される。そのようにして度量衡はメートル法単位系に統一することで動き、1921(大正10)年411日に法律第71号によってメートル系単位で構成された改正度量衡法が公布された。これは大きな出来事であり、この改正度量衡法によって日本のメートル法単位系の産業方面での採用と国民生活への普及がなされた。

411日は度量衡記念日と呼ばれた。戦後になって計量法が公布され、公布の日である67日を計量記念日とした。このため度量衡記念日はメートル記念日と呼ばれるようになる。計量法を変えたときに計量記念日を111日に変えた。

日本では尺貫の単位がメートルの単位へと切り替わっていて、長さの単位もメートルで意識することが普通になった。面積における<RUBY CHAR="","たたみ">一畳の意識は強く残っているが、それでも畳の部屋が少なくなっていくと部屋の大きさは平方メートルとして意識されていくことだろう。

 

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