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日本計量新報 2017年9月17日 (3164号)

桐生祥秀の998の走りと記録公認の条件

201799日に福井県営陸上競技場でおこなわれた日本学生対校選手権男子100m競争決勝で桐生祥秀(東洋大4年、21歳)選手が998の日本記録をだして優勝した。

2位は多田修平選手で1007998は日本人初の9秒台。これで日本の男子100m競争は9秒台を騒ぐことから国際大会での決勝進出と決勝での結果が話題になる新しい段階に移った。

桐生祥秀選手のゴール時点での計測表示板は999であった。画像解析を含めた結果は998となって桐生祥秀選手は日本人初の9秒台突入となり日本記録も認められた。日本記録保持者だった伊東浩司選手が1998年に記録した1000の日本記録を19年ぶりに更新した。伊東浩司選手の日本記録のときの計測表示板は999であったが最終判定では1000となった。ゴールは胸がゴールラインに到達した時点での計時であり、写真によってこれを確認する。速報値と総合判定の違いはこのことに起因する。

総合判定には風の吹き方も考慮される。英語ではwind assistanceというが風の助けで出た記録は公認されずに追い風参考記録となる。追い風が秒速2.0mを超えると短距離競技では順位は記録されるが公認記録には成らない。スタート時点で吹き流しが3秒間垂れていることが条件になる。

桐生祥秀選手は2015328日、米テキサス州オースティンで987を計時したがこのときは追い風が秒速3.3mだったために追い風参考記録であった。この記録は電気時計における日本人初の9秒台であった。今回2位になった多田修平選手は以前に追い風参考記録の994を出している。追い風は4.5mであった。1964年の東京五輪の男子100m競争の準決勝では、ボブ・ヘイズ(アメリカ)が身体を上下にゆする走りで99でゴールを駈けぬけた。人類初の9秒台であったが追い風参考記録となった。計時の有効数字がこのころは10分の1秒単位であった。

計時にまつわる逸話の1つであるが桐生祥秀選手が高校3年時の2013年の織田記念100m予選で1001を記録、これは日本歴代2位・日本ジュニア新・日本高校新・日本国内の競技会での日本人最高の計時であり、当時の世界ジュニア記録に並ぶ記録でもあったが、使用された風向風速計が国際陸上競技連盟の競技規則で条件として定める超音波式ではなく、旧式のものであったために世界ジュニア記録としては公認されず、タイム自体は有効の扱いになった。

1988年のソウルオリンピック男子100m決勝、目をぐりぐりさせたベン・ジョンソン(カナダ)が右手を高々と掲げてゴールラインを駆け抜けた。後ろにはカール・ルイス(米国)がいた。決勝のあとの尿検査でベン・ジョンソンの尿からは禁止薬物の筋肉増強剤が検出された。検出したのは韓国の計測標準を含めて担う国立機関の職員であった。

陸上競技100m競争の計測記録と国際競技での勝ち負けは別物である。持ちタイムが優れているから勝てるということではない。計測の誤り、条件の加味ほかがある。桐生祥秀選手本人が言うとおりに998によって世界のスタートラインに立ったに過ぎない。しかし日本人初の夢の9秒台の達成は明るいニュースだ。桐生選手の異次元の速さを記録した小学校時代の徒競走のビデオを見るとこの人にしてなしえた偉業だと納得される。

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