日本計量新報の記事より 社説9809-9812


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■社説・行政簡素化・規制緩和と計量制度を考える(98年12月20日号)

 この国の政治は混迷のなかにある。政権についている自民党は単独では国会運営ができない。かつて自民党にいた政治家が幾つかの政党に分かれながら今なお国会議員でいるということは、戦後の自民党政権の基本ポリシーでは国の運営ができないことを物語る。

 国を動かす戦後の政治と行政システムが機能を失いかけているなかで、経済規模の拡大のためなりふり構わない減税を伴う財政支出が続いている。堺屋太一経済企画庁長官と経済同友会の牛尾治朗代表幹事が景気の底打ち感を表明しているが、これには心情としては淡い期待を掛けたいというだけである。

 政治家も国民も新しいこの国の在り方に確信が持てないでいるなか、行政簡素化と規制緩和というレールだけは敷かれており、計量行政はこのレールの上を走らせられている。

 そうしたレールに乗っている計量行政の当事者達は自らの本務をどれだけ理解しているであろうか。国と自治体における計量事務として何がどのように機能すればこの国がうまくゆくのかを分かっている人が多いことを期待する。

 「文明は計ることから始まった」と日本計量史学会会長の岩田重雄氏が述べている。人間が造り出すもののすべては何等かのかたちで計られている。また学術と文化の分野でも数値化されている事項は計られた結果であり、どんな方法かですべての文化的な事項も計られている。

 計量行政と計量制度は必ずしも全てが同一ではないが、計量制度はものが正しく計られるための基礎的要素をなす。このために整備しなくてはならないことは多い。現状から後退させることの経済的マイナス効果は、減額した行政費用の幾百幾千倍にもなる。

 社会基盤をなす計量制度とはそうした性質を持つものであることの理解が大切である。土台をおろそかにして格好だけいい家を建てることが愚の骨頂であることは誰でも知っていることと同じように。

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■社説・都計協創立50周年を祝い計量文化の振興を願う(98年12月13日号)

 昭和二十三年七月十二日に東京都知事の設立許可を示す「東京都経総収第八〇三号」により社団法人東京都計量協会が発足した。以後五十年の歴史を刻んでここに創立五十周年を迎えた(社)東京都計量協会である。

 時代は小さな政府を理想とする行政簡素化と規制緩和の渦のなかにあり、新しい時代に適合する(社)東京都計量協会の船出が期待される。

 (社)東京都計量協会は各部会構成員を含めた会員企業ならびに関係会員の事業・活動等に資する情報・各種のサービスの提供のほか、計量管理事業部が計量器の検査等計量管理に関する業務を通じて都民ならびに都内事業場のトレーサビリティ活動および品質管理業務に大きく貢献している。

 以上のような社会活動を旺盛に実施している同会が発足した昭和二十三年当時はまだ戦後の混乱期が終息しておらず前身の団体であった日本度量衡協会東京支部の活動は実質上停止していた。別の形でわずかに命脈を保っていた組織のリーダー達、すなわち高橋勘次、赤堀五作、鴨下辰五郎、三田村美津氏らが会合を重ねるなか、当時の東京都権度係長岩崎栄係長の後押し等を受けて社団法人東京都計量協会の発足を見るに至ったものである。

 設立当時の役員は会長田中唯重(東京都経済局長)、副会長福富恒樹(東京都経済局総務課長)、中村竹次(仁丹体温計社長)、高橋勘次(東京都度量衡器計量器商業協同組合理事長)、理事長岩崎栄(東京都経済局総務課権度係長)、理事赤堀五作、島田次郎、鴨下辰五郎、三田村美津、納村三郎、加藤繁次郎、加藤勝衛、鈴木惣八、森木鶴次郎、木下寿人、四家裕信(以上常任理事)、川口俊司、今井竹次郎、小泉重蔵、岡原義二、福島信太郎、可児重一、富田荘次郎、大磯重助、大原和三郎、塩沢達三、大沢常太郎、幹事武井勇、岩瀬茂雄(以上常任幹事)、加藤敏郎、塩原禎三、広川弘禅の各氏。なお副会長の高橋勘次氏は本紙、(株)日本計量新報社の初代社長。

 同会の五十年は時代の動きを反映して様々な変遷をたどる。昭和三十六年頃には会員数が六千名に達していたことから総会開催に不都合をきたすようになり、同年団体会員制に移行して会運営するという一時もあった。この間の昭和二十七年には石川島重工業社長の土光敏夫氏を会長とする東京都計量管理研究会、昭和三十一年には東京都はかり工業会がそれぞれ発足している。

 また昭和三十六年にはそれまで会員の過半数を占めていた薬業関係会員の大部分が協会から分離して東京薬業計量協会を設立している。分離独立の主な原因が日本計量会館建設のための募金方法をめぐってのものであり、さらにその背景には薬業関係者の協会運営に対する消極姿勢があった。

 計量法の改正に伴う会員減少をもたらした事例として、昭和四十一年大改正がある。この改正で計量法の直接の規制対象の計量器が大幅に縮小されたが、そのうちの一つの長さ計に関係して、長さ計の販売登録事業者であった文具関係者二千名が会から離れている。

 以後も平成五年施行の新計量法で計量器販売事業の制度が登録制から届出制に変更されたことによる会員の離散傾向、さらには平成十年の体温計と血圧計の販売届出制の廃止による離散傾向の現出という事態が続いている。

 以上のように(社)東京都計量協会は時代時代の新しい波にもまれながらも産業社会と国民生活に連結した計量器の安定かつ円滑な供給のための支援的な業務、適正な計量の実施の確保に直接的に資する業務、適正な計量の実施の確保と計量器と計量計測技術の利用と活用の基礎となる国民・都民の計量観念(意識あるいは思想)の向上のための事業、その他を旺盛に実施して今日に至っている。

 協会事業のなかには計量管理事業部の業務として
一、計量管理業務@計量器の検査、(イ)定期検査に代わる計量士による検査、(ロ)自主検査(定期検査を要しない年の検査、定期検査を要しない取引証明用計量器の検査)、(ハ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量器の検査、(ニ)適正検査取引証明以外用計量器の検査、(ホ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量管理講習会、A特定商品の販売に係る計量に関する政令の量目検査。
二、行政の補完的業務(非自動はかりの届出済証の貼付等)
三、計量法令関係の説明と指導業務
四、計量器製造修理販売の会員企業の紹介および斡旋
五、都民に対する家庭用計量器の制度確認事業
六、その他
を実施しており、関係業務を今後とも一層強化して都内事業者の計量管理の強化ならびに都民の計量の安全の確保に務める計画である。

 (社)東京都計量協会の五十年は平たんな道のりではなかったことがわかる。地域産業社会の計量管理の発達への貢献ならびに国民の計量の安全確保、行政との連携ならびに補完的機能を通じての都民福祉への寄与を基本使命にしながら会員企業の事業振興との巧みな連結こそが地方計量協会が次世代を生き残る道であろう。

 協会が健全に運営されるための基本的要素として会員企業の協会事業への正しい理解、協会を運営する執行役員の献身的な努力、協会専任事務局員の奮闘があり、これに連動する収入の確保がある。

 計量が栄えてこそ日本の産業と文化の真の発達がもたらされる。物作り、物の流通、学術、文化など人間生活の全てに計量は関わっており、全てのものが何らかの形で計られている。計ることの文化の担い手である計量関係者の奮闘・努力に期待する。

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■社説・ISOの品質保証システムと計測企業(98年12月6日号)

 品質保証に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証を計量計測関係の小規模企業も取得するようになっている。関係事業所の従業員が二〇名程度の企業がISO九〇〇〇シリーズの認証を受けるためには実際には一人の従業員が何役もの役回りをしなければならず、慣れない業務内容に苦労をするようであるが、認証を取得してみると「これまで大まかに行っていた事業所内業務を的確に把握できかつ効率化のための青写真を描けるようになった」と成果の大きいことも報告されている。

 ISO九〇〇〇シリーズは当初は輸出のためのパスポートとしての意義が強調されていたが、最近では品質管理、品質保証の認定書としての意味を大きく持つようになっている。

 計量計測の製造業は特定計量器に関しての検定の自己認証制度ともいえる指定製造事業者制度が新計量法で新設され、この制度が本格的に稼働しており、ここでの計量器の性能、精度の管理に関する手法がISO九〇〇〇シリーズに準拠していることは周知の事実である。

 計量法は今後の新制度の可能性をさぐるために「指定修理事業者制度」の創設の検討をしている。指定修理事業者制度は、修理された特定計量器の再検定の業務を製造事業者あるいは修理事業者の修理行為について「自己認証」制度を適用するかどうかを検討しているものでもある。ここでの計量器の管理もやはりISO九〇〇〇シリーズに定められた手法が適用されることになるであろう。指定修理事業者制度は制度創設の可能性を白紙の状態で検討している。今後どのような結論がでるかは全く不明であるものの、ここにもISO九〇〇〇シリーズが関与していることだけは知っておいてよいであろう。

 日本に上陸した後は野火のように大きく燃え広がっているISO九〇〇〇シリーズにも手放しで肯定できない側面があることの指摘がないわけではない。この制度の全体を良く見ながらそれぞれの企業とのマッチングを検討すべきである。とはいっても品質保証システムとしてのISO九〇〇〇シリーズに準拠した管理は常識になっている。

 この品質保証システムがとなえる計量計測標準のトレーサビリティは、計測が適正・的確に実施されるための神髄にふれるものであることも間違いない。

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■社説・(社)静岡県計量協会の誕生と今後の活動への期待(98年11月22日号)

 静岡県計量団体連合会がこの十一月十日に社団法人静岡県計量協会に移行するための設立総会を開き、必要な議事を全て可決し、十二月中にも予定されている県の許可を得る準備を完了している。
 静岡県の五つの計量関係団体は大同団結して連合組織を形成していたが、今後の事業展開と団体としての社会的信用の確保、あるいは県との計量事業の分掌と連携を良い形で推進することを含めて公益法人としての資格を取得することになった。民法三十四条に規定されている社団法人となることによって、協会の公益的諸事業を積極的に推進してゆこうとするものである。

 地方の計量協会あるいは計量団体連合会等は計量関係諸団体の大同団結を実現し、あわせて法人格を取得することが目標の一つになっており静岡県の法人化は、北海道、宮城、福島、山形、群馬、埼玉、東京、神奈川、富山、愛知、滋賀、兵庫、広島、佐賀に加えて、十五番目となる。新潟、千葉がほぼ準備を完了している。

 地方の計量関係団体の社団法人格の取得は日本計量協会も推奨していることであり、都道府県と連携しての計量思想普及啓発事業推進上好ましい。このような一般的事情に加えて、新計量法が新しい制度として設立した指定定期検査機関の指定の条件として民法三十四条に規定された法人格を必要としていることから、地方計量協会が社団法人になることが望まれている。

 静岡県においても指定定期検査機関の指定を念頭に置いて法人格を取得したものであり、今後指定をめぐって指定権限を持つ県当局の動きが注目される。

 指定定期検査機関制度は、民間活力を計量行政に生かすことを狙いとして制度化されたものであるが、現在指定を受けているのは(社)愛知県計量連合会、(社)兵庫県計量協会、(社)佐賀県計量協会の三県にとどまり、この二〜三年は進展していない。その理由は様々であり、一つは法定の定期検査手数料では指定定期検査機関の経費が賄えないことにある。もう一つの大きな理由は、行政簡素化と規制緩和に連動する計量法の見直しにおいて、指定定期検査機関は株式会社組織であってもよい、ということが伝えられるようになったことである。現在の状態では行政の人的、財源的支援を必要とする定期検査機関であるにも関わらず、民間組織の株式会社であっても公平性、中立性、継続性が担保されれば指定定期検査機関の指定の対象にされることになる動きである。こうした情勢を受けて法律改正の結果待ち、あるいは様子見という傾向が一部に出ている。

 指定定期検査機関が実施する業務は計量士による代検査業務とも重なること等もあって、運営の難しさは否定しがたい。加えて定期検査の実施の様態は代検査の比率を含めて各都道府県ごとに事情が異なる。

 とはいっても定期検査の対象となる計量器は現在は実質上は質量計だけといってよく、こと質量計に限ってみれば社団法人格を備えた計量協会等が指定の条件を整えていれば、指定権限を持つ都道府県および市町村の長はこのような組織を指定定期検査機関に指定するのが至当であろう。

 一方、見方によっては社団法人格を持たない計量協会等でも指定の条件を満たせることになるかも知れないが、公益法人として認められるための努力を怠ってよいものではない。

 以上のような諸環境のもと、勇躍して社団法人化を実現した静岡県計量団体連合会の努力は賞賛されるし、そのほかの協会事業推進への意欲も大きいので、全国に範たる計量協会の一つになることは間違いない。

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■社説・中嶋悟とJAFの運転教本が対照的に示す教訓(98年11月8日号)

 必要があって道路交通の安全のことをいろいろと調べているうちにわかった一つの原理がある。調べものの方は交通安全と関連する警察の行政、自動車産業と自動車行政で、こちらの方の結論は日本では自動車が道路に過密状態に置かれていて、自動車本来の機能を全うするための道路網が決定的に未整備であるということだった。自動車産業は自動車をつくって売ることだけを考え、自動車が本来の機能を果たすためのインフラ整備は自分の責任だとは思っていない。道路建設は政治家とゼネコンと地元民の欲と利益が優先されている。自動車がこれだけ普及してみると、国民が車で移動することは新しい権利の一つに組み入れてよい。有料道路の存在も疑わしい。日本の経済が好調だったころには先進諸国にもこれを真似る動きが出ていたものの、その後日本ほどの比率で有料道路が存在することはなかった。日本の大蔵省などは国民の福祉増進よりも税金を徴収することを優先して考えるという本末転倒がこうした事態を招いているといってよい。

 交通事故を防ぐ手立ての一つにトラック等の過積載防止があり、過積載対策のため重量計が利用されている。過積載防止は運転手と荷主が自動車の最大積載量を絶対に超えないよう徹底した積載時の計量管理を実施することは当然の責務であり、また交通行政の現場の警察が過積載は絶対に見逃さないことは国民の交通の安全を護る立場にあるものとしてこれまた当然である。

 調べものは車を運転しなければならないなら、どうしたら安全に快適に運転することができるかということであった。自動車教習所で教わる知識だけでは現実の交通に対処するには不十分であるから、プラスアルファの運転知識を習得しなくてはならない。

 このために手にした本はJAFこと日本自動車連盟が編集・ 刊行したもの二冊、F1レーサーだった中嶋悟氏のもの一冊、徳大寺有恒氏のもの二冊、その他二冊であった。

 中嶋悟氏の本は「交通危機管理術」で、ここでは単純に法令準拠の運転だけではなく、日本の道路環境を欧米と比較して評論するなど、交通行政の課題にも踏み込んでいて、日ごろの交通環境に業を煮やしている者には溜飲の下がる内容であった。

 対してJAFの運転教本は、与えられた交通環境のなかで出来ることだけを述べているものであった。書かれていることはいちいちもっともなことではあっても食い足りなさが残った。  JAFの会員には路上サービスを受けたい者が加入しており、会員になると読みたいとも思わない月間の機関誌「JAF・MEITO」が届けられる。

 JAFはオーナードライバーのための受益者代表団体であるので、あくまでも運転者の立場に立った会運営をしているものと考えていたがこれは実際とは違っていた。行政に対して、社会に対して静か過ぎるJAFの存在を規定しているのは、組織の運営に深く関わる運輸省と警察の定年退職職員であった。JAFが実質的に公務員退職者の再就職先になっており、このような人々に牛耳られていることが、交通行政に対しても改善を求めるなどの必要な行動を放棄する結果となっていた。だからわが身を守り人に危害を与えないという安全運転のための読本でも、JAFは行政批判を一言一句も入れないのである。

 年間に一万人の死者を出す日本の交通社会を改善するのに運転者の知識と技術の向上だけに頼ることは間違いで、むしろ交通事故が起こらない交通社会環境をいかに築き上げるかが大事である。

 道路交通の安全をテーマに調べものをしていくうちに判明した教訓的なことはJAFのようなオーナードライバーの受益者代表団体も、組織の民主主義を放棄すると理事や専務理事等に運輸省や警察のOBが大量に入り込んで、このような人々に組織が牛耳られると組織本来の目的がどこかに飛んでいってしまうことである。このことが冒頭に述べた発見した古くて新しい「原理」である。

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■社説・過積載事故賠償命令判決と交通の安全の確保(98年11月1日号)

 最大積載量の四倍の山砂を積み込んだトラックがゆるい下り坂でブレーキが効かなくなり、JR成田線の踏切を通過する列車と衝突して六十八人の死傷者を出した事故の民事訴訟で、運転者らに列車の修理費など一億円余の支払いを命じる判決が十月二十六日千葉地裁であった。一九九二年に起きた列車とダンプカーの衝突事故の民事責任を問う裁判の判決で、西島幸夫裁判長は運転手、山砂の運搬を依頼した荷主、山砂を積み込んだ砕石会社、砕石会社の二人の作業員に対して一億円余の賠償を命じた。

 刑事裁判では、事故を起こした運転手に対してすでに業務上過失致死障などの罪で禁固二年の実刑判決を下し、運転手は服役中である。山砂の運搬を依頼した荷主などは、過積載をほう助した道路交通法違反で書類送検され起訴猶予になっている。

 今回の民事裁判では山砂を積み込んだ販売会社と二人の従業員に対しても「危険を認識していた」とし、また運搬を依頼した荷主に対しては「事実上の使用者に当たる」として、使用責任を問う判決を下した。

 改正された道路交通法は過積載に対して厳しい態度で望み、運転手、使用者の双方に重い罰則を科している。十月二十六日の千葉地裁の過積載事故民事判決は、道路交通法が改正される以前の事故に対して出されたものであるが、判決内容は当を得たものと評価されそうである。

 物流に占める自動車輸送の比率が異常に高まるなか、同じ道路を人、自転車等軽車両、小型等乗用車と大型トラックが共同利用するという実情を考えると、車重が大きいうえ荷物を積むとトラックは重量に比例して特別に危険な存在となる。したがってトラックの運転手ならびに運転手の使用人は過積載を絶対にしてはならず、警察も過積載を見逃すような怠慢があってはならない。

 日本では年間に一万人が交通事故で死亡している。一万人とは統計上のマジックで、交通事故が原因で二万人が死亡している。

 福田赳夫元総理大臣は「人命は地球よりも重い」と発言して、政治的な意味で点数を稼いだけれど、交通事故による一万人の死者をどのようにとらえたらよいのであろうか。交通事故を防ぎ犠牲者をなくすることは現代社会の大きな課題である。

 解決のためには交通インフラの整備、国民の交通安全に対する意識の向上、交通行政の実施者である警察の適切な道路交通法の運用などがあり、そのなかの一つとして過積載を防止するための計量器の積極的な利用がある。

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■社説・品質ラベルとして使われるISO9000(98年10月25日号)

 品質保証に関する国際規格ISO九〇〇〇シリーズの日本での普及が顕著である。最近では運送企業やコンビニエンスストアがテレビCMでISO九〇〇〇シリーズの認証を受けたことを企業の信頼性と連動させる内容で放映していることが注意を引く。

このCMは、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業は「確かな信頼を保証する企業であること」として、つまりその代名詞としてISO九〇〇〇シリーズを印象づけて放映している。同シリーズについては、このことが全てではないにしてもテレビCMを通じてISO九〇〇〇シリーズの社会的認識が向上することは計測管理などを手段として品質管理や品質保証の業務に連結する立場にある者にとっては都合のよいことであり、この後は各種流通業、証券や銀行等でも「確かな信頼を保証する企業であること」の証明としたISO九〇〇〇認証取得にこぞって動くことが予想される。

 世の中は一方で規制緩和をはやし立て、他方では強制力のない規格とはいえISO九〇〇〇シリーズを企業が「確かな信頼を保証する企業であること」の証明として利用するといった動きにはどこか釈然としないものがあるが仕方のないことであろう。

 ISO九〇〇〇シリーズは、国際標準化機構(ISO)が一九八七年に制定した経済のグローバリゼーション時代におけるソフトのインフラストラクチャとしての内容を持っているものであり、世界各国が商品を安心して使用できるようにするための「共通の品質保証」を内容としたものである。

 商品流通に関して国際的な障壁を取り除くことは極めて至難の技であるが、こと品質保証に関しては国際標準化機構が構想し制定したISO九〇〇〇シリーズのもとに、世界を同一の土俵に置こうというものである。

 ISO九〇〇〇シリーズの構想は見事に的中、制定直後の助走期間を経て今や大飛躍を遂げている。日本でのISO九〇〇〇シリーズの認証取得は当初製造業に集中していたのに続いてあらゆる業種にその動きが波及している。この品質保証システムが全ての事業に対して適用されるものだということがようやく浸透してきた結果、冒頭に取り上げたような運送業やコンビニエンスストアなどのテレビCMでのISO九〇〇〇シリーズの認証取得のアピールである。ここでは実質上この品質システムの認証取得を「信頼の」ラベルとして用いている。

 ISO九〇〇〇品質保証システムは、商品の製造過程やサービスシステムの各段階での品質を包括的に保証するシステムであることから、運送業などにおいてもISO九〇〇〇シリーズが生きてくるのである。

 補足しておきたいことは、この品質保証システムの説明のなかに品質方針、品質管理、トレーサビリティという用語があるからといって、この品質システムが全て高次元の品質を保証しているのではないということである。商品をつくり出す品質システムには、経済性と社会性を内に含んだそれぞれに相応しい水準があり、認証取得企業はそうしたそれぞれの水準の品質を保証をしているということである。

 従って、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業が提供する商品やサービスは他のものより品質が高いというのではない。自己が定めた品質のレベルを保証するというものであり、この面での透明性を確保していることがISO九〇〇〇シリーズの認証取得といえるのである。

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■社説・悪化する景況感と特効薬としての住宅建設(98年10月18日号)

 本紙の経営アンケート調査への回答はここ数年にない最悪の景況感であった。本紙の聞き取り調査でも景況感の悪化がはっきり出ている。計量機器産業は大衆消費財としての性質をもつものから産業機械としての性質をもつものもあるなど多様であるから、景況に関連して一概良いとか悪いとかの評価をしにくい側面がある。

 景況の悪い建設、自動車、鉄鋼、石油などに比べると一部計量計測器産業の属する精密機械は少しはましであり、質量計等一部計量計測機器と同じような景況で推移してきた工作機械産業は設備投資が減退しており当分は低迷が続く見通しなので、質量計のうち生産財部門の需要動向には厳しさが伴う。

 景気波及効果の大きい住宅産業は一戸建てに底打ち感が出ていると伝えられているもののマンション販売は不振が続いている。小子化で世帯数の伸びが頭打ちするので住宅産業は将来的に困難性を抱えているとの考えが支配的であるものの、これまで供給されてきた日本の住宅の質は低く、ゆとりや快適性を求める立て替え、住み替えを余儀なくされるのが実情なので、世帯数の増減だけから将来を予測して住宅産業の潜在需要を否定する論理には難がある。

 住宅が売れれば家電が売れ、雑貨が売れ、水道メーターが売れ、ガスメーターが売れ、電気メーターが売れるなど、景気の面では全てに上手く作用する。この効果に目を付けた人々が「所得倍増計画」にならって「住宅倍増計画」をうたっているのは頷ける。住宅の広さが倍になれば、テレビも冷蔵庫も倍の大きさのものが買える。パソコンの置き場もできる。蔵書の量も増やせる。家具だって新調できる。衣類だって置き場が増えるからもっと買うことができる。

 現在の日本の住居は国民がもつゆとりと快適性に対する欲求に対して、充足度は低い。このことが次の経済発展のための要素になることへの着眼点はなかなか大した卓見である。低廉になった土地には同じ価格でより利用性の大きな住宅が建築できるのである。小さな土地に小さな家を建てても一億円という住宅価格では買える人は少ないし、買っても利便性が悪い。

 計量計測機器の需要は生産設備という面から捉えると他との産業の結びつきは無縁ではない。内需拡大の特効薬の一つは住宅産業である。日本の木造建築は二十年程度で建て替えられる。マンションだって四十年以内で社会的に陳腐になってしまい建て替えられている。社会環境が変わり、生活が変わると、高度成長期に建てられたやっつけ仕事のような住宅では用をなさなくなった。

 日本の現代の住宅の貧しさを改善することが景気の向上につながるのだから放っておく手はないだろう。国への信頼、社会への信頼の増長こそが国民の財布のひもを緩めさせ、豊かな暮らし、快適な暮らしの実現に結びつく住宅建設につながり、ひいては景気回復をもたらすことと思う。

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■社説・経済の足踏みは新産業登場の前兆(98年10月11日号)

 経済指標の一つとして雇用があり、日本は戦後かつてない雇用不安を抱えるようになった。余剰人員は企業倒産と企業の事業再構築等によって発生、職種はホワイトカラー、ブルーカラーとの区別がない。ホワイトカラーの余剰人員はパソコン等による会計等事務処理の合理化によって発生している。簡単に代替できない知識や技能をもつ者であれば再雇用は易しいがロボットやパソコンなどの「スチールカラー」によって職を追われた者の立場は辛く厳しい。日本の二年続きの経済規模の縮小は景気循環の中の軌跡として記録される。国民の収入の低下と先行き不安感は消費停滞に結びついている。

 日本の経済の低迷、足踏みは産業の新たな段階への前兆として見ることができる。日用品、雑貨を街の商店街で調達する度合いが低下している。消費不況でスーパー、百貨店が閉鎖に追い込まれる遥か以前に街の商店街が店仕舞いしている。通販の勢いは著しい。

 ビル・ゲイツ氏率いるマイクロソフト社の株価の時価総額が世界一になった。鉄鋼、家電、自動車の時代からコンピュータソフトが産業の花形になっていることを物語る。国内の雇用もコンピュータを核にした情報処理がらみに集中している。人材派遣ビジネスの隆盛は情報処理能力者の需要のことであろう。

 米国における第三次産業就業人口は七十五%に達している。日本の産業構造もこれにならった動きで推移している。物づくりとはハードとしてのモノづくりではなく、価値あるモノをつくるというモノづくりであり、それは人間に、社会に役立つモノなら何でもよい。コンピュータのソフトウエアもそのようなモノなのである。

 雇用の問題を解消するために、これまでと同じ労働力が求める機会を創出することは歴史的意味では真の解決にはならない。未来に花開く産業の基盤を整備するのが政府の仕事であり、また労働力の供給者の側は新しい産業に受け入れられる労働力の研鑽に務めることが求められるのではないか。しかし産業と労働力の需給ギャップの調整に果たす政府の役割の大きいことは何時の世でも変わりはない。

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■二年続きのGDP規模縮小と信用の収縮(98年10月4日号)

 政府は夏までの国内の経済指標の悪さから九月二十五日、九八年度の実質国内総生産(GDP)政府見通しプラス一・九%をマイナス一・六%から一・八%程度に下方修正する方向で調整に入っている。九十七年度GDPはマイナス〇・七%であり、二年続きのGDPのマイナス成長となる。

 政府の経済見通しは地方自治体の政策決定などにも影響し、GDP規模の二%程度の拡張を前提に予算計画を立てたところの多くは歳入不足に悩む結果となっている。

 ケインズは二〇世紀初めの大不況の経験からマクロ経済理論を体系として確立した。消費と生産のギャップを政策的にカバーする日本を始めとする各国の経済運営の手法はケインズの経済理論体系のものである。このケインズの一般理論が成立する前提は幾つかあり、重要な前提の一つは「政策当局は常に賢明な政策判断を行える」ということである。「賢明な政策判断」は現実の政治過程では覆されることが少なくない。公共投資を中心とした政府支出が政党および政治家の集票活動の手段とされ、のべつまくなしに公共投資のような資金をばらまき続けてきた日本の政治経済社会風土は、経済の緊急時の政府の政策出動に免疫を持ってしまっていると理解される現象がある。

 今年度の政府経済見通しは夏の参議院選挙を考慮してのものだという指摘がある。今年度限りの作意ではなく、政府経済見通しの数値そのものが作意の結果なのである。

 「バブル経済」と表現されて一般にその現象が理解されている先の日本の株価と土地価格等の異常高騰、その後の投機資金に翻弄されてのアジアの金融危機という一連の経済現象のなかでの今日の日本の経済状態である。
 株価も土地価格も中長期的には下落しないものとの前提で日本の金融機関は金庫に山と積まれた他人のお金を、借り手の信用の度合いを無視して遮二無二貸し付けた。株価と土地価格が高騰し続けることが「返済能力」であったのだ。日本の銀行に山と積まれたお金がどこで生まれ、どこから来たのかは不問にすることにして、倫理性のない株と土地への大がかりな投機現象こそ「バブル経済」だったのではないか。株と土地の投機の片棒を担ぎ、相方にあっさりと逃げられて貸した資金が回収できないでいるのが今の日本の銀行である。また米国の株価が日本と同じ現象であるということを否定する材料があるだろうか。

 絶えず嘘を言い続けて身を滅ぼした「狼少年」にならないよう堺屋太一経済企画庁長官は誇張のない表現をするのに腐心している。集票活動の必要のない立場の強みでもある。

 二年続きの経済規模の縮小は不況ムードを国民に植え付け、財布のひもを必要以上に締めさせている。銀行は政府のかけ声に従って「貸し渋り」を止めるわけにゆかない事情があるのだから、政府はかけ声ではなく実態としての信用保証をしなくてはならない。

信用収縮とそれに連動する実需の下落こそ恐れるものである。

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■社説・計量制度の社会基盤性の理解(98年9月27日号)

 台風の大雨で鉄道と道路が被害を受けた。鉄道の被害は復旧が早いし、幹線道路も同じである。
 日本の国土は山間部を避けて平野部にだけ鉄道と道路を設ける訳にゆかないという条件がある。今時の大雨による道路の被害は山間部に集中している。山間部の道路は切り通し、崖の下等雨に弱い箇所の連続である。日本道路公団がサービスエリアで配布しているロードマップに記載された道路のうち山間部分の被害は予想以上に大きい。日本の農村部の道路は生活道路を含めて維持の困難性を初めから含み持っているものであるが、車道として維持されている。

 このような鉄道と道路は社会基盤として認識されている。実際、鉄道と道路が不通になると被害が目に見えて分かり管理者は放置しておけないので、予算をどんな形ででも確保して復旧する。社会基盤としての道路の建設と維持のための経費は異常に大きい。

 翻って計量制度も鉄道と道路と同じ社会基盤である。計量制度は鉄道や道路のように台風によって機能を失うということがないので、一般の人々には計量制度が持つ機能が意識されることがほとんどない。このような意識されにくい社会基盤は計量制度だけではないが、計量の世界に身を置く者の責務は社会基盤としての計量制度を社会が必要とする形で整備しておくことである。

 計量制度が社会的に果たすべき機能は大きく分けると二つに分類できる。

 一つは「計量の基準を定め(る)」(計量法第一条、目的の一部抜粋)ことであり、計量の基準を定めることは、国家計量標準を設定し社会に供給することと同義であり、さらには社会における計量標準のトレーサビリティを確保することと拡張して解釈される。

 二つは「適正な計量の実施を確保する(こと)」であり、この言葉はやはり計量法第一条の条文の一節である。「適正な計量の実施を確保する」ためには「計量の基準を定め」なくてはならず、定められた基準に従った計量標準が社会に供給されなくてはならない。

 計量法が述べる「適正な計量の実施を確保する(こと)」とは、法構成上は「取引と証明」に係る分野に限定されているものの、取引と証明に関わらない分野での適正な計量の実現には、基準となる計量標準が計測を実施する者にとってしかるべく状態で存在していなくてはならない。

 計量・計測を「取引と証明」に関する分野とそれ以外の分野に区分けすることは法令上の便宜によるものであるとはいえ、「目的に応じた適切な度合いの正確さの実現」こそテクノロジーとしての計量・計測が本来的に持っている姿である。

 さて台風の大雨による鉄道と道路の被害による機能停止が国民生活や経済活動を麻痺させることを露呈させたことを引き合いに、計量制度の社会基盤としての性質を強調したのは、社会がある限り必ず機能を確保しなくてはならない計量制度をより正しく理解したいためである。

■社説・行政簡素化・規制緩和と計量制度を考える(98年12月20日号)

 この国の政治は混迷のなかにある。政権についている自民党は単独では国会運営ができない。かつて自民党にいた政治家が幾つかの政党に分かれながら今なお国会議員でいるということは、戦後の自民党政権の基本ポリシーでは国の運営ができないことを物語る。

 国を動かす戦後の政治と行政システムが機能を失いかけているなかで、経済規模の拡大のためなりふり構わない減税を伴う財政支出が続いている。堺屋太一経済企画庁長官と経済同友会の牛尾治朗代表幹事が景気の底打ち感を表明しているが、これには心情としては淡い期待を掛けたいというだけである。

 政治家も国民も新しいこの国の在り方に確信が持てないでいるなか、行政簡素化と規制緩和というレールだけは敷かれており、計量行政はこのレールの上を走らせられている。

 そうしたレールに乗っている計量行政の当事者達は自らの本務をどれだけ理解しているであろうか。国と自治体における計量事務として何がどのように機能すればこの国がうまくゆくのかを分かっている人が多いことを期待する。

 「文明は計ることから始まった」と日本計量史学会会長の岩田重雄氏が述べている。人間が造り出すもののすべては何等かのかたちで計られている。また学術と文化の分野でも数値化されている事項は計られた結果であり、どんな方法かですべての文化的な事項も計られている。

 計量行政と計量制度は必ずしも全てが同一ではないが、計量制度はものが正しく計られるための基礎的要素をなす。このために整備しなくてはならないことは多い。現状から後退させることの経済的マイナス効果は、減額した行政費用の幾百幾千倍にもなる。

 社会基盤をなす計量制度とはそうした性質を持つものであることの理解が大切である。土台をおろそかにして格好だけいい家を建てることが愚の骨頂であることは誰でも知っていることと同じように。

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■社説・都計協創立50周年を祝い計量文化の振興を願う(98年12月13日号)

 昭和二十三年七月十二日に東京都知事の設立許可を示す「東京都経総収第八〇三号」により社団法人東京都計量協会が発足した。以後五十年の歴史を刻んでここに創立五十周年を迎えた(社)東京都計量協会である。

 時代は小さな政府を理想とする行政簡素化と規制緩和の渦のなかにあり、新しい時代に適合する(社)東京都計量協会の船出が期待される。

 (社)東京都計量協会は各部会構成員を含めた会員企業ならびに関係会員の事業・活動等に資する情報・各種のサービスの提供のほか、計量管理事業部が計量器の検査等計量管理に関する業務を通じて都民ならびに都内事業場のトレーサビリティ活動および品質管理業務に大きく貢献している。

 以上のような社会活動を旺盛に実施している同会が発足した昭和二十三年当時はまだ戦後の混乱期が終息しておらず前身の団体であった日本度量衡協会東京支部の活動は実質上停止していた。別の形でわずかに命脈を保っていた組織のリーダー達、すなわち高橋勘次、赤堀五作、鴨下辰五郎、三田村美津氏らが会合を重ねるなか、当時の東京都権度係長岩崎栄係長の後押し等を受けて社団法人東京都計量協会の発足を見るに至ったものである。

 設立当時の役員は会長田中唯重(東京都経済局長)、副会長福富恒樹(東京都経済局総務課長)、中村竹次(仁丹体温計社長)、高橋勘次(東京都度量衡器計量器商業協同組合理事長)、理事長岩崎栄(東京都経済局総務課権度係長)、理事赤堀五作、島田次郎、鴨下辰五郎、三田村美津、納村三郎、加藤繁次郎、加藤勝衛、鈴木惣八、森木鶴次郎、木下寿人、四家裕信(以上常任理事)、川口俊司、今井竹次郎、小泉重蔵、岡原義二、福島信太郎、可児重一、富田荘次郎、大磯重助、大原和三郎、塩沢達三、大沢常太郎、幹事武井勇、岩瀬茂雄(以上常任幹事)、加藤敏郎、塩原禎三、広川弘禅の各氏。なお副会長の高橋勘次氏は本紙、(株)日本計量新報社の初代社長。

 同会の五十年は時代の動きを反映して様々な変遷をたどる。昭和三十六年頃には会員数が六千名に達していたことから総会開催に不都合をきたすようになり、同年団体会員制に移行して会運営するという一時もあった。この間の昭和二十七年には石川島重工業社長の土光敏夫氏を会長とする東京都計量管理研究会、昭和三十一年には東京都はかり工業会がそれぞれ発足している。

 また昭和三十六年にはそれまで会員の過半数を占めていた薬業関係会員の大部分が協会から分離して東京薬業計量協会を設立している。分離独立の主な原因が日本計量会館建設のための募金方法をめぐってのものであり、さらにその背景には薬業関係者の協会運営に対する消極姿勢があった。

 計量法の改正に伴う会員減少をもたらした事例として、昭和四十一年大改正がある。この改正で計量法の直接の規制対象の計量器が大幅に縮小されたが、そのうちの一つの長さ計に関係して、長さ計の販売登録事業者であった文具関係者二千名が会から離れている。

 以後も平成五年施行の新計量法で計量器販売事業の制度が登録制から届出制に変更されたことによる会員の離散傾向、さらには平成十年の体温計と血圧計の販売届出制の廃止による離散傾向の現出という事態が続いている。

 以上のように(社)東京都計量協会は時代時代の新しい波にもまれながらも産業社会と国民生活に連結した計量器の安定かつ円滑な供給のための支援的な業務、適正な計量の実施の確保に直接的に資する業務、適正な計量の実施の確保と計量器と計量計測技術の利用と活用の基礎となる国民・都民の計量観念(意識あるいは思想)の向上のための事業、その他を旺盛に実施して今日に至っている。

 協会事業のなかには計量管理事業部の業務として
一、計量管理業務@計量器の検査、(イ)定期検査に代わる計量士による検査、(ロ)自主検査(定期検査を要しない年の検査、定期検査を要しない取引証明用計量器の検査)、(ハ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量器の検査、(ニ)適正検査取引証明以外用計量器の検査、(ホ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量管理講習会、A特定商品の販売に係る計量に関する政令の量目検査。
二、行政の補完的業務(非自動はかりの届出済証の貼付等)
三、計量法令関係の説明と指導業務
四、計量器製造修理販売の会員企業の紹介および斡旋
五、都民に対する家庭用計量器の制度確認事業
六、その他
を実施しており、関係業務を今後とも一層強化して都内事業者の計量管理の強化ならびに都民の計量の安全の確保に務める計画である。

 (社)東京都計量協会の五十年は平たんな道のりではなかったことがわかる。地域産業社会の計量管理の発達への貢献ならびに国民の計量の安全確保、行政との連携ならびに補完的機能を通じての都民福祉への寄与を基本使命にしながら会員企業の事業振興との巧みな連結こそが地方計量協会が次世代を生き残る道であろう。

 協会が健全に運営されるための基本的要素として会員企業の協会事業への正しい理解、協会を運営する執行役員の献身的な努力、協会専任事務局員の奮闘があり、これに連動する収入の確保がある。

 計量が栄えてこそ日本の産業と文化の真の発達がもたらされる。物作り、物の流通、学術、文化など人間生活の全てに計量は関わっており、全てのものが何らかの形で計られている。計ることの文化の担い手である計量関係者の奮闘・努力に期待する。

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■社説・ISOの品質保証システムと計測企業(98年12月6日号)

 品質保証に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証を計量計測関係の小規模企業も取得するようになっている。関係事業所の従業員が二〇名程度の企業がISO九〇〇〇シリーズの認証を受けるためには実際には一人の従業員が何役もの役回りをしなければならず、慣れない業務内容に苦労をするようであるが、認証を取得してみると「これまで大まかに行っていた事業所内業務を的確に把握できかつ効率化のための青写真を描けるようになった」と成果の大きいことも報告されている。

 ISO九〇〇〇シリーズは当初は輸出のためのパスポートとしての意義が強調されていたが、最近では品質管理、品質保証の認定書としての意味を大きく持つようになっている。

 計量計測の製造業は特定計量器に関しての検定の自己認証制度ともいえる指定製造事業者制度が新計量法で新設され、この制度が本格的に稼働しており、ここでの計量器の性能、精度の管理に関する手法がISO九〇〇〇シリーズに準拠していることは周知の事実である。

 計量法は今後の新制度の可能性をさぐるために「指定修理事業者制度」の創設の検討をしている。指定修理事業者制度は、修理された特定計量器の再検定の業務を製造事業者あるいは修理事業者の修理行為について「自己認証」制度を適用するかどうかを検討しているものでもある。ここでの計量器の管理もやはりISO九〇〇〇シリーズに定められた手法が適用されることになるであろう。指定修理事業者制度は制度創設の可能性を白紙の状態で検討している。今後どのような結論がでるかは全く不明であるものの、ここにもISO九〇〇〇シリーズが関与していることだけは知っておいてよいであろう。

 日本に上陸した後は野火のように大きく燃え広がっているISO九〇〇〇シリーズにも手放しで肯定できない側面があることの指摘がないわけではない。この制度の全体を良く見ながらそれぞれの企業とのマッチングを検討すべきである。とはいっても品質保証システムとしてのISO九〇〇〇シリーズに準拠した管理は常識になっている。

 この品質保証システムがとなえる計量計測標準のトレーサビリティは、計測が適正・的確に実施されるための神髄にふれるものであることも間違いない。

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■社説・(社)静岡県計量協会の誕生と今後の活動への期待(98年11月22日号)

 静岡県計量団体連合会がこの十一月十日に社団法人静岡県計量協会に移行するための設立総会を開き、必要な議事を全て可決し、十二月中にも予定されている県の許可を得る準備を完了している。
 静岡県の五つの計量関係団体は大同団結して連合組織を形成していたが、今後の事業展開と団体としての社会的信用の確保、あるいは県との計量事業の分掌と連携を良い形で推進することを含めて公益法人としての資格を取得することになった。民法三十四条に規定されている社団法人となることによって、協会の公益的諸事業を積極的に推進してゆこうとするものである。

 地方の計量協会あるいは計量団体連合会等は計量関係諸団体の大同団結を実現し、あわせて法人格を取得することが目標の一つになっており静岡県の法人化は、北海道、宮城、福島、山形、群馬、埼玉、東京、神奈川、富山、愛知、滋賀、兵庫、広島、佐賀に加えて、十五番目となる。新潟、千葉がほぼ準備を完了している。

 地方の計量関係団体の社団法人格の取得は日本計量協会も推奨していることであり、都道府県と連携しての計量思想普及啓発事業推進上好ましい。このような一般的事情に加えて、新計量法が新しい制度として設立した指定定期検査機関の指定の条件として民法三十四条に規定された法人格を必要としていることから、地方計量協会が社団法人になることが望まれている。

 静岡県においても指定定期検査機関の指定を念頭に置いて法人格を取得したものであり、今後指定をめぐって指定権限を持つ県当局の動きが注目される。

 指定定期検査機関制度は、民間活力を計量行政に生かすことを狙いとして制度化されたものであるが、現在指定を受けているのは(社)愛知県計量連合会、(社)兵庫県計量協会、(社)佐賀県計量協会の三県にとどまり、この二〜三年は進展していない。その理由は様々であり、一つは法定の定期検査手数料では指定定期検査機関の経費が賄えないことにある。もう一つの大きな理由は、行政簡素化と規制緩和に連動する計量法の見直しにおいて、指定定期検査機関は株式会社組織であってもよい、ということが伝えられるようになったことである。現在の状態では行政の人的、財源的支援を必要とする定期検査機関であるにも関わらず、民間組織の株式会社であっても公平性、中立性、継続性が担保されれば指定定期検査機関の指定の対象にされることになる動きである。こうした情勢を受けて法律改正の結果待ち、あるいは様子見という傾向が一部に出ている。

 指定定期検査機関が実施する業務は計量士による代検査業務とも重なること等もあって、運営の難しさは否定しがたい。加えて定期検査の実施の様態は代検査の比率を含めて各都道府県ごとに事情が異なる。

 とはいっても定期検査の対象となる計量器は現在は実質上は質量計だけといってよく、こと質量計に限ってみれば社団法人格を備えた計量協会等が指定の条件を整えていれば、指定権限を持つ都道府県および市町村の長はこのような組織を指定定期検査機関に指定するのが至当であろう。

 一方、見方によっては社団法人格を持たない計量協会等でも指定の条件を満たせることになるかも知れないが、公益法人として認められるための努力を怠ってよいものではない。

 以上のような諸環境のもと、勇躍して社団法人化を実現した静岡県計量団体連合会の努力は賞賛されるし、そのほかの協会事業推進への意欲も大きいので、全国に範たる計量協会の一つになることは間違いない。

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■社説・中嶋悟とJAFの運転教本が対照的に示す教訓(98年11月8日号)

 必要があって道路交通の安全のことをいろいろと調べているうちにわかった一つの原理がある。調べものの方は交通安全と関連する警察の行政、自動車産業と自動車行政で、こちらの方の結論は日本では自動車が道路に過密状態に置かれていて、自動車本来の機能を全うするための道路網が決定的に未整備であるということだった。自動車産業は自動車をつくって売ることだけを考え、自動車が本来の機能を果たすためのインフラ整備は自分の責任だとは思っていない。道路建設は政治家とゼネコンと地元民の欲と利益が優先されている。自動車がこれだけ普及してみると、国民が車で移動することは新しい権利の一つに組み入れてよい。有料道路の存在も疑わしい。日本の経済が好調だったころには先進諸国にもこれを真似る動きが出ていたものの、その後日本ほどの比率で有料道路が存在することはなかった。日本の大蔵省などは国民の福祉増進よりも税金を徴収することを優先して考えるという本末転倒がこうした事態を招いているといってよい。

 交通事故を防ぐ手立ての一つにトラック等の過積載防止があり、過積載対策のため重量計が利用されている。過積載防止は運転手と荷主が自動車の最大積載量を絶対に超えないよう徹底した積載時の計量管理を実施することは当然の責務であり、また交通行政の現場の警察が過積載は絶対に見逃さないことは国民の交通の安全を護る立場にあるものとしてこれまた当然である。

 調べものは車を運転しなければならないなら、どうしたら安全に快適に運転することができるかということであった。自動車教習所で教わる知識だけでは現実の交通に対処するには不十分であるから、プラスアルファの運転知識を習得しなくてはならない。

 このために手にした本はJAFこと日本自動車連盟が編集・ 刊行したもの二冊、F1レーサーだった中嶋悟氏のもの一冊、徳大寺有恒氏のもの二冊、その他二冊であった。

 中嶋悟氏の本は「交通危機管理術」で、ここでは単純に法令準拠の運転だけではなく、日本の道路環境を欧米と比較して評論するなど、交通行政の課題にも踏み込んでいて、日ごろの交通環境に業を煮やしている者には溜飲の下がる内容であった。

 対してJAFの運転教本は、与えられた交通環境のなかで出来ることだけを述べているものであった。書かれていることはいちいちもっともなことではあっても食い足りなさが残った。  JAFの会員には路上サービスを受けたい者が加入しており、会員になると読みたいとも思わない月間の機関誌「JAF・MEITO」が届けられる。

 JAFはオーナードライバーのための受益者代表団体であるので、あくまでも運転者の立場に立った会運営をしているものと考えていたがこれは実際とは違っていた。行政に対して、社会に対して静か過ぎるJAFの存在を規定しているのは、組織の運営に深く関わる運輸省と警察の定年退職職員であった。JAFが実質的に公務員退職者の再就職先になっており、このような人々に牛耳られていることが、交通行政に対しても改善を求めるなどの必要な行動を放棄する結果となっていた。だからわが身を守り人に危害を与えないという安全運転のための読本でも、JAFは行政批判を一言一句も入れないのである。

 年間に一万人の死者を出す日本の交通社会を改善するのに運転者の知識と技術の向上だけに頼ることは間違いで、むしろ交通事故が起こらない交通社会環境をいかに築き上げるかが大事である。

 道路交通の安全をテーマに調べものをしていくうちに判明した教訓的なことはJAFのようなオーナードライバーの受益者代表団体も、組織の民主主義を放棄すると理事や専務理事等に運輸省や警察のOBが大量に入り込んで、このような人々に組織が牛耳られると組織本来の目的がどこかに飛んでいってしまうことである。このことが冒頭に述べた発見した古くて新しい「原理」である。

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■社説・過積載事故賠償命令判決と交通の安全の確保(98年11月1日号)

 最大積載量の四倍の山砂を積み込んだトラックがゆるい下り坂でブレーキが効かなくなり、JR成田線の踏切を通過する列車と衝突して六十八人の死傷者を出した事故の民事訴訟で、運転者らに列車の修理費など一億円余の支払いを命じる判決が十月二十六日千葉地裁であった。一九九二年に起きた列車とダンプカーの衝突事故の民事責任を問う裁判の判決で、西島幸夫裁判長は運転手、山砂の運搬を依頼した荷主、山砂を積み込んだ砕石会社、砕石会社の二人の作業員に対して一億円余の賠償を命じた。

 刑事裁判では、事故を起こした運転手に対してすでに業務上過失致死障などの罪で禁固二年の実刑判決を下し、運転手は服役中である。山砂の運搬を依頼した荷主などは、過積載をほう助した道路交通法違反で書類送検され起訴猶予になっている。

 今回の民事裁判では山砂を積み込んだ販売会社と二人の従業員に対しても「危険を認識していた」とし、また運搬を依頼した荷主に対しては「事実上の使用者に当たる」として、使用責任を問う判決を下した。

 改正された道路交通法は過積載に対して厳しい態度で望み、運転手、使用者の双方に重い罰則を科している。十月二十六日の千葉地裁の過積載事故民事判決は、道路交通法が改正される以前の事故に対して出されたものであるが、判決内容は当を得たものと評価されそうである。

 物流に占める自動車輸送の比率が異常に高まるなか、同じ道路を人、自転車等軽車両、小型等乗用車と大型トラックが共同利用するという実情を考えると、車重が大きいうえ荷物を積むとトラックは重量に比例して特別に危険な存在となる。したがってトラックの運転手ならびに運転手の使用人は過積載を絶対にしてはならず、警察も過積載を見逃すような怠慢があってはならない。

 日本では年間に一万人が交通事故で死亡している。一万人とは統計上のマジックで、交通事故が原因で二万人が死亡している。

 福田赳夫元総理大臣は「人命は地球よりも重い」と発言して、政治的な意味で点数を稼いだけれど、交通事故による一万人の死者をどのようにとらえたらよいのであろうか。交通事故を防ぎ犠牲者をなくすることは現代社会の大きな課題である。

 解決のためには交通インフラの整備、国民の交通安全に対する意識の向上、交通行政の実施者である警察の適切な道路交通法の運用などがあり、そのなかの一つとして過積載を防止するための計量器の積極的な利用がある。

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■社説・品質ラベルとして使われるISO9000(98年10月25日号)

 品質保証に関する国際規格ISO九〇〇〇シリーズの日本での普及が顕著である。最近では運送企業やコンビニエンスストアがテレビCMでISO九〇〇〇シリーズの認証を受けたことを企業の信頼性と連動させる内容で放映していることが注意を引く。

このCMは、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業は「確かな信頼を保証する企業であること」として、つまりその代名詞としてISO九〇〇〇シリーズを印象づけて放映している。同シリーズについては、このことが全てではないにしてもテレビCMを通じてISO九〇〇〇シリーズの社会的認識が向上することは計測管理などを手段として品質管理や品質保証の業務に連結する立場にある者にとっては都合のよいことであり、この後は各種流通業、証券や銀行等でも「確かな信頼を保証する企業であること」の証明としたISO九〇〇〇認証取得にこぞって動くことが予想される。

 世の中は一方で規制緩和をはやし立て、他方では強制力のない規格とはいえISO九〇〇〇シリーズを企業が「確かな信頼を保証する企業であること」の証明として利用するといった動きにはどこか釈然としないものがあるが仕方のないことであろう。

 ISO九〇〇〇シリーズは、国際標準化機構(ISO)が一九八七年に制定した経済のグローバリゼーション時代におけるソフトのインフラストラクチャとしての内容を持っているものであり、世界各国が商品を安心して使用できるようにするための「共通の品質保証」を内容としたものである。

 商品流通に関して国際的な障壁を取り除くことは極めて至難の技であるが、こと品質保証に関しては国際標準化機構が構想し制定したISO九〇〇〇シリーズのもとに、世界を同一の土俵に置こうというものである。

 ISO九〇〇〇シリーズの構想は見事に的中、制定直後の助走期間を経て今や大飛躍を遂げている。日本でのISO九〇〇〇シリーズの認証取得は当初製造業に集中していたのに続いてあらゆる業種にその動きが波及している。この品質保証システムが全ての事業に対して適用されるものだということがようやく浸透してきた結果、冒頭に取り上げたような運送業やコンビニエンスストアなどのテレビCMでのISO九〇〇〇シリーズの認証取得のアピールである。ここでは実質上この品質システムの認証取得を「信頼の」ラベルとして用いている。

 ISO九〇〇〇品質保証システムは、商品の製造過程やサービスシステムの各段階での品質を包括的に保証するシステムであることから、運送業などにおいてもISO九〇〇〇シリーズが生きてくるのである。

 補足しておきたいことは、この品質保証システムの説明のなかに品質方針、品質管理、トレーサビリティという用語があるからといって、この品質システムが全て高次元の品質を保証しているのではないということである。商品をつくり出す品質システムには、経済性と社会性を内に含んだそれぞれに相応しい水準があり、認証取得企業はそうしたそれぞれの水準の品質を保証をしているということである。

 従って、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業が提供する商品やサービスは他のものより品質が高いというのではない。自己が定めた品質のレベルを保証するというものであり、この面での透明性を確保していることがISO九〇〇〇シリーズの認証取得といえるのである。

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■社説・悪化する景況感と特効薬としての住宅建設(98年10月18日号)

 本紙の経営アンケート調査への回答はここ数年にない最悪の景況感であった。本紙の聞き取り調査でも景況感の悪化がはっきり出ている。計量機器産業は大衆消費財としての性質をもつものから産業機械としての性質をもつものもあるなど多様であるから、景況に関連して一概良いとか悪いとかの評価をしにくい側面がある。

 景況の悪い建設、自動車、鉄鋼、石油などに比べると一部計量計測器産業の属する精密機械は少しはましであり、質量計等一部計量計測機器と同じような景況で推移してきた工作機械産業は設備投資が減退しており当分は低迷が続く見通しなので、質量計のうち生産財部門の需要動向には厳しさが伴う。

 景気波及効果の大きい住宅産業は一戸建てに底打ち感が出ていると伝えられているもののマンション販売は不振が続いている。小子化で世帯数の伸びが頭打ちするので住宅産業は将来的に困難性を抱えているとの考えが支配的であるものの、これまで供給されてきた日本の住宅の質は低く、ゆとりや快適性を求める立て替え、住み替えを余儀なくされるのが実情なので、世帯数の増減だけから将来を予測して住宅産業の潜在需要を否定する論理には難がある。

 住宅が売れれば家電が売れ、雑貨が売れ、水道メーターが売れ、ガスメーターが売れ、電気メーターが売れるなど、景気の面では全てに上手く作用する。この効果に目を付けた人々が「所得倍増計画」にならって「住宅倍増計画」をうたっているのは頷ける。住宅の広さが倍になれば、テレビも冷蔵庫も倍の大きさのものが買える。パソコンの置き場もできる。蔵書の量も増やせる。家具だって新調できる。衣類だって置き場が増えるからもっと買うことができる。

 現在の日本の住居は国民がもつゆとりと快適性に対する欲求に対して、充足度は低い。このことが次の経済発展のための要素になることへの着眼点はなかなか大した卓見である。低廉になった土地には同じ価格でより利用性の大きな住宅が建築できるのである。小さな土地に小さな家を建てても一億円という住宅価格では買える人は少ないし、買っても利便性が悪い。

 計量計測機器の需要は生産設備という面から捉えると他との産業の結びつきは無縁ではない。内需拡大の特効薬の一つは住宅産業である。日本の木造建築は二十年程度で建て替えられる。マンションだって四十年以内で社会的に陳腐になってしまい建て替えられている。社会環境が変わり、生活が変わると、高度成長期に建てられたやっつけ仕事のような住宅では用をなさなくなった。

 日本の現代の住宅の貧しさを改善することが景気の向上につながるのだから放っておく手はないだろう。国への信頼、社会への信頼の増長こそが国民の財布のひもを緩めさせ、豊かな暮らし、快適な暮らしの実現に結びつく住宅建設につながり、ひいては景気回復をもたらすことと思う。

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■社説・経済の足踏みは新産業登場の前兆(98年10月11日号)

 経済指標の一つとして雇用があり、日本は戦後かつてない雇用不安を抱えるようになった。余剰人員は企業倒産と企業の事業再構築等によって発生、職種はホワイトカラー、ブルーカラーとの区別がない。ホワイトカラーの余剰人員はパソコン等による会計等事務処理の合理化によって発生している。簡単に代替できない知識や技能をもつ者であれば再雇用は易しいがロボットやパソコンなどの「スチールカラー」によって職を追われた者の立場は辛く厳しい。日本の二年続きの経済規模の縮小は景気循環の中の軌跡として記録される。国民の収入の低下と先行き不安感は消費停滞に結びついている。

 日本の経済の低迷、足踏みは産業の新たな段階への前兆として見ることができる。日用品、雑貨を街の商店街で調達する度合いが低下している。消費不況でスーパー、百貨店が閉鎖に追い込まれる遥か以前に街の商店街が店仕舞いしている。通販の勢いは著しい。

 ビル・ゲイツ氏率いるマイクロソフト社の株価の時価総額が世界一になった。鉄鋼、家電、自動車の時代からコンピュータソフトが産業の花形になっていることを物語る。国内の雇用もコンピュータを核にした情報処理がらみに集中している。人材派遣ビジネスの隆盛は情報処理能力者の需要のことであろう。

 米国における第三次産業就業人口は七十五%に達している。日本の産業構造もこれにならった動きで推移している。物づくりとはハードとしてのモノづくりではなく、価値あるモノをつくるというモノづくりであり、それは人間に、社会に役立つモノなら何でもよい。コンピュータのソフトウエアもそのようなモノなのである。

 雇用の問題を解消するために、これまでと同じ労働力が求める機会を創出することは歴史的意味では真の解決にはならない。未来に花開く産業の基盤を整備するのが政府の仕事であり、また労働力の供給者の側は新しい産業に受け入れられる労働力の研鑽に務めることが求められるのではないか。しかし産業と労働力の需給ギャップの調整に果たす政府の役割の大きいことは何時の世でも変わりはない。

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■二年続きのGDP規模縮小と信用の収縮(98年10月4日号)

 政府は夏までの国内の経済指標の悪さから九月二十五日、九八年度の実質国内総生産(GDP)政府見通しプラス一・九%をマイナス一・六%から一・八%程度に下方修正する方向で調整に入っている。九十七年度GDPはマイナス〇・七%であり、二年続きのGDPのマイナス成長となる。

 政府の経済見通しは地方自治体の政策決定などにも影響し、GDP規模の二%程度の拡張を前提に予算計画を立てたところの多くは歳入不足に悩む結果となっている。

 ケインズは二〇世紀初めの大不況の経験からマクロ経済理論を体系として確立した。消費と生産のギャップを政策的にカバーする日本を始めとする各国の経済運営の手法はケインズの経済理論体系のものである。このケインズの一般理論が成立する前提は幾つかあり、重要な前提の一つは「政策当局は常に賢明な政策判断を行える」ということである。「賢明な政策判断」は現実の政治過程では覆されることが少なくない。公共投資を中心とした政府支出が政党および政治家の集票活動の手段とされ、のべつまくなしに公共投資のような資金をばらまき続けてきた日本の政治経済社会風土は、経済の緊急時の政府の政策出動に免疫を持ってしまっていると理解される現象がある。

 今年度の政府経済見通しは夏の参議院選挙を考慮してのものだという指摘がある。今年度限りの作意ではなく、政府経済見通しの数値そのものが作意の結果なのである。

 「バブル経済」と表現されて一般にその現象が理解されている先の日本の株価と土地価格等の異常高騰、その後の投機資金に翻弄されてのアジアの金融危機という一連の経済現象のなかでの今日の日本の経済状態である。
 株価も土地価格も中長期的には下落しないものとの前提で日本の金融機関は金庫に山と積まれた他人のお金を、借り手の信用の度合いを無視して遮二無二貸し付けた。株価と土地価格が高騰し続けることが「返済能力」であったのだ。日本の銀行に山と積まれたお金がどこで生まれ、どこから来たのかは不問にすることにして、倫理性のない株と土地への大がかりな投機現象こそ「バブル経済」だったのではないか。株と土地の投機の片棒を担ぎ、相方にあっさりと逃げられて貸した資金が回収できないでいるのが今の日本の銀行である。また米国の株価が日本と同じ現象であるということを否定する材料があるだろうか。

 絶えず嘘を言い続けて身を滅ぼした「狼少年」にならないよう堺屋太一経済企画庁長官は誇張のない表現をするのに腐心している。集票活動の必要のない立場の強みでもある。

 二年続きの経済規模の縮小は不況ムードを国民に植え付け、財布のひもを必要以上に締めさせている。銀行は政府のかけ声に従って「貸し渋り」を止めるわけにゆかない事情があるのだから、政府はかけ声ではなく実態としての信用保証をしなくてはならない。

信用収縮とそれに連動する実需の下落こそ恐れるものである。

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■社説・地方分権対応の計量法見直し(98年9月20日号)

 地方分権の制度化の作業が忙しい。計量制度も地方分権の動きの渦中にあり、計量行政の主体的部分の検定・検査、指導・取締の「主権」が文字どおり地方公共団体に移管される。

 現在でも前記の業務の主体は地方公共団体にあるものの「機関委任事務」という体裁を取っていて、地方公共団体が自発的意志で実施している形態にはない。地方分権の基本計画では機関委任事務が廃止され、先に挙げた計量事務は地方公共団体の自治事務となる。主体あるいは主権の移管という内容であり、新しい体勢の骨格となる計量法が新たに創り出される。

 計量法の骨格を作り直すということは、計量制度の内容を大きく変更するということであり、国の事業としては一大事である。

 こうした計量法の骨格を作り直す作業の起点として九月二十八日に通産省の諮問機関である計量行政審議会が開かれる。議題は@地方分権に対応した計量行政の在り方、A基準・認証制度の見直し(審議内容の実態は定期検査機関、指定検定機関等の民法法人規定の見直し)、の二つ。

 地方分権を推進するための検討の時間的猶予はほとんどなく、明けての三月、つまり平成十一年三月には地方分権の基本構想に対応した「地方分権計量法」が通常国会に提出される。「地方分権対応計量法」は他の法律案と一括上程され、「地方分権法案国会」で審議される。

 通常国会で法案が成立するのは六月ごろと考えられている。国会への法案提出という日程から、計量行政審議会の「地方分権対応計量法」の最終とりまとめはこの十二月には行われる。行政審議会の審議の持ち方に工夫が求められる。

 「地方分権対応計量法」の基本骨子は現在の機関委任事務を自治事務に移管することにあり、計量制度は日本という国ではその基本的な内容が自治体ごとに違うのでは不具合なので、現在の制度を大体はそのまま自治事務に移し変えることになりそうである。

 計量法は国の計量制度の骨格を形成するものであり、実質は商取引にからむ消費生活に深く関わり、また産業経済の元をなしているのであることを十分に理解したい。

■社説・行政簡素化・規制緩和と計量制度を考える(98年12月20日号)

 この国の政治は混迷のなかにある。政権についている自民党は単独では国会運営ができない。かつて自民党にいた政治家が幾つかの政党に分かれながら今なお国会議員でいるということは、戦後の自民党政権の基本ポリシーでは国の運営ができないことを物語る。

 国を動かす戦後の政治と行政システムが機能を失いかけているなかで、経済規模の拡大のためなりふり構わない減税を伴う財政支出が続いている。堺屋太一経済企画庁長官と経済同友会の牛尾治朗代表幹事が景気の底打ち感を表明しているが、これには心情としては淡い期待を掛けたいというだけである。

 政治家も国民も新しいこの国の在り方に確信が持てないでいるなか、行政簡素化と規制緩和というレールだけは敷かれており、計量行政はこのレールの上を走らせられている。

 そうしたレールに乗っている計量行政の当事者達は自らの本務をどれだけ理解しているであろうか。国と自治体における計量事務として何がどのように機能すればこの国がうまくゆくのかを分かっている人が多いことを期待する。

 「文明は計ることから始まった」と日本計量史学会会長の岩田重雄氏が述べている。人間が造り出すもののすべては何等かのかたちで計られている。また学術と文化の分野でも数値化されている事項は計られた結果であり、どんな方法かですべての文化的な事項も計られている。

 計量行政と計量制度は必ずしも全てが同一ではないが、計量制度はものが正しく計られるための基礎的要素をなす。このために整備しなくてはならないことは多い。現状から後退させることの経済的マイナス効果は、減額した行政費用の幾百幾千倍にもなる。

 社会基盤をなす計量制度とはそうした性質を持つものであることの理解が大切である。土台をおろそかにして格好だけいい家を建てることが愚の骨頂であることは誰でも知っていることと同じように。

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■社説・都計協創立50周年を祝い計量文化の振興を願う(98年12月13日号)

 昭和二十三年七月十二日に東京都知事の設立許可を示す「東京都経総収第八〇三号」により社団法人東京都計量協会が発足した。以後五十年の歴史を刻んでここに創立五十周年を迎えた(社)東京都計量協会である。

 時代は小さな政府を理想とする行政簡素化と規制緩和の渦のなかにあり、新しい時代に適合する(社)東京都計量協会の船出が期待される。

 (社)東京都計量協会は各部会構成員を含めた会員企業ならびに関係会員の事業・活動等に資する情報・各種のサービスの提供のほか、計量管理事業部が計量器の検査等計量管理に関する業務を通じて都民ならびに都内事業場のトレーサビリティ活動および品質管理業務に大きく貢献している。

 以上のような社会活動を旺盛に実施している同会が発足した昭和二十三年当時はまだ戦後の混乱期が終息しておらず前身の団体であった日本度量衡協会東京支部の活動は実質上停止していた。別の形でわずかに命脈を保っていた組織のリーダー達、すなわち高橋勘次、赤堀五作、鴨下辰五郎、三田村美津氏らが会合を重ねるなか、当時の東京都権度係長岩崎栄係長の後押し等を受けて社団法人東京都計量協会の発足を見るに至ったものである。

 設立当時の役員は会長田中唯重(東京都経済局長)、副会長福富恒樹(東京都経済局総務課長)、中村竹次(仁丹体温計社長)、高橋勘次(東京都度量衡器計量器商業協同組合理事長)、理事長岩崎栄(東京都経済局総務課権度係長)、理事赤堀五作、島田次郎、鴨下辰五郎、三田村美津、納村三郎、加藤繁次郎、加藤勝衛、鈴木惣八、森木鶴次郎、木下寿人、四家裕信(以上常任理事)、川口俊司、今井竹次郎、小泉重蔵、岡原義二、福島信太郎、可児重一、富田荘次郎、大磯重助、大原和三郎、塩沢達三、大沢常太郎、幹事武井勇、岩瀬茂雄(以上常任幹事)、加藤敏郎、塩原禎三、広川弘禅の各氏。なお副会長の高橋勘次氏は本紙、(株)日本計量新報社の初代社長。

 同会の五十年は時代の動きを反映して様々な変遷をたどる。昭和三十六年頃には会員数が六千名に達していたことから総会開催に不都合をきたすようになり、同年団体会員制に移行して会運営するという一時もあった。この間の昭和二十七年には石川島重工業社長の土光敏夫氏を会長とする東京都計量管理研究会、昭和三十一年には東京都はかり工業会がそれぞれ発足している。

 また昭和三十六年にはそれまで会員の過半数を占めていた薬業関係会員の大部分が協会から分離して東京薬業計量協会を設立している。分離独立の主な原因が日本計量会館建設のための募金方法をめぐってのものであり、さらにその背景には薬業関係者の協会運営に対する消極姿勢があった。

 計量法の改正に伴う会員減少をもたらした事例として、昭和四十一年大改正がある。この改正で計量法の直接の規制対象の計量器が大幅に縮小されたが、そのうちの一つの長さ計に関係して、長さ計の販売登録事業者であった文具関係者二千名が会から離れている。

 以後も平成五年施行の新計量法で計量器販売事業の制度が登録制から届出制に変更されたことによる会員の離散傾向、さらには平成十年の体温計と血圧計の販売届出制の廃止による離散傾向の現出という事態が続いている。

 以上のように(社)東京都計量協会は時代時代の新しい波にもまれながらも産業社会と国民生活に連結した計量器の安定かつ円滑な供給のための支援的な業務、適正な計量の実施の確保に直接的に資する業務、適正な計量の実施の確保と計量器と計量計測技術の利用と活用の基礎となる国民・都民の計量観念(意識あるいは思想)の向上のための事業、その他を旺盛に実施して今日に至っている。

 協会事業のなかには計量管理事業部の業務として
一、計量管理業務@計量器の検査、(イ)定期検査に代わる計量士による検査、(ロ)自主検査(定期検査を要しない年の検査、定期検査を要しない取引証明用計量器の検査)、(ハ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量器の検査、(ニ)適正検査取引証明以外用計量器の検査、(ホ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量管理講習会、A特定商品の販売に係る計量に関する政令の量目検査。
二、行政の補完的業務(非自動はかりの届出済証の貼付等)
三、計量法令関係の説明と指導業務
四、計量器製造修理販売の会員企業の紹介および斡旋
五、都民に対する家庭用計量器の制度確認事業
六、その他
を実施しており、関係業務を今後とも一層強化して都内事業者の計量管理の強化ならびに都民の計量の安全の確保に務める計画である。

 (社)東京都計量協会の五十年は平たんな道のりではなかったことがわかる。地域産業社会の計量管理の発達への貢献ならびに国民の計量の安全確保、行政との連携ならびに補完的機能を通じての都民福祉への寄与を基本使命にしながら会員企業の事業振興との巧みな連結こそが地方計量協会が次世代を生き残る道であろう。

 協会が健全に運営されるための基本的要素として会員企業の協会事業への正しい理解、協会を運営する執行役員の献身的な努力、協会専任事務局員の奮闘があり、これに連動する収入の確保がある。

 計量が栄えてこそ日本の産業と文化の真の発達がもたらされる。物作り、物の流通、学術、文化など人間生活の全てに計量は関わっており、全てのものが何らかの形で計られている。計ることの文化の担い手である計量関係者の奮闘・努力に期待する。

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■社説・ISOの品質保証システムと計測企業(98年12月6日号)

 品質保証に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証を計量計測関係の小規模企業も取得するようになっている。関係事業所の従業員が二〇名程度の企業がISO九〇〇〇シリーズの認証を受けるためには実際には一人の従業員が何役もの役回りをしなければならず、慣れない業務内容に苦労をするようであるが、認証を取得してみると「これまで大まかに行っていた事業所内業務を的確に把握できかつ効率化のための青写真を描けるようになった」と成果の大きいことも報告されている。

 ISO九〇〇〇シリーズは当初は輸出のためのパスポートとしての意義が強調されていたが、最近では品質管理、品質保証の認定書としての意味を大きく持つようになっている。

 計量計測の製造業は特定計量器に関しての検定の自己認証制度ともいえる指定製造事業者制度が新計量法で新設され、この制度が本格的に稼働しており、ここでの計量器の性能、精度の管理に関する手法がISO九〇〇〇シリーズに準拠していることは周知の事実である。

 計量法は今後の新制度の可能性をさぐるために「指定修理事業者制度」の創設の検討をしている。指定修理事業者制度は、修理された特定計量器の再検定の業務を製造事業者あるいは修理事業者の修理行為について「自己認証」制度を適用するかどうかを検討しているものでもある。ここでの計量器の管理もやはりISO九〇〇〇シリーズに定められた手法が適用されることになるであろう。指定修理事業者制度は制度創設の可能性を白紙の状態で検討している。今後どのような結論がでるかは全く不明であるものの、ここにもISO九〇〇〇シリーズが関与していることだけは知っておいてよいであろう。

 日本に上陸した後は野火のように大きく燃え広がっているISO九〇〇〇シリーズにも手放しで肯定できない側面があることの指摘がないわけではない。この制度の全体を良く見ながらそれぞれの企業とのマッチングを検討すべきである。とはいっても品質保証システムとしてのISO九〇〇〇シリーズに準拠した管理は常識になっている。

 この品質保証システムがとなえる計量計測標準のトレーサビリティは、計測が適正・的確に実施されるための神髄にふれるものであることも間違いない。

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■社説・(社)静岡県計量協会の誕生と今後の活動への期待(98年11月22日号)

 静岡県計量団体連合会がこの十一月十日に社団法人静岡県計量協会に移行するための設立総会を開き、必要な議事を全て可決し、十二月中にも予定されている県の許可を得る準備を完了している。
 静岡県の五つの計量関係団体は大同団結して連合組織を形成していたが、今後の事業展開と団体としての社会的信用の確保、あるいは県との計量事業の分掌と連携を良い形で推進することを含めて公益法人としての資格を取得することになった。民法三十四条に規定されている社団法人となることによって、協会の公益的諸事業を積極的に推進してゆこうとするものである。

 地方の計量協会あるいは計量団体連合会等は計量関係諸団体の大同団結を実現し、あわせて法人格を取得することが目標の一つになっており静岡県の法人化は、北海道、宮城、福島、山形、群馬、埼玉、東京、神奈川、富山、愛知、滋賀、兵庫、広島、佐賀に加えて、十五番目となる。新潟、千葉がほぼ準備を完了している。

 地方の計量関係団体の社団法人格の取得は日本計量協会も推奨していることであり、都道府県と連携しての計量思想普及啓発事業推進上好ましい。このような一般的事情に加えて、新計量法が新しい制度として設立した指定定期検査機関の指定の条件として民法三十四条に規定された法人格を必要としていることから、地方計量協会が社団法人になることが望まれている。

 静岡県においても指定定期検査機関の指定を念頭に置いて法人格を取得したものであり、今後指定をめぐって指定権限を持つ県当局の動きが注目される。

 指定定期検査機関制度は、民間活力を計量行政に生かすことを狙いとして制度化されたものであるが、現在指定を受けているのは(社)愛知県計量連合会、(社)兵庫県計量協会、(社)佐賀県計量協会の三県にとどまり、この二〜三年は進展していない。その理由は様々であり、一つは法定の定期検査手数料では指定定期検査機関の経費が賄えないことにある。もう一つの大きな理由は、行政簡素化と規制緩和に連動する計量法の見直しにおいて、指定定期検査機関は株式会社組織であってもよい、ということが伝えられるようになったことである。現在の状態では行政の人的、財源的支援を必要とする定期検査機関であるにも関わらず、民間組織の株式会社であっても公平性、中立性、継続性が担保されれば指定定期検査機関の指定の対象にされることになる動きである。こうした情勢を受けて法律改正の結果待ち、あるいは様子見という傾向が一部に出ている。

 指定定期検査機関が実施する業務は計量士による代検査業務とも重なること等もあって、運営の難しさは否定しがたい。加えて定期検査の実施の様態は代検査の比率を含めて各都道府県ごとに事情が異なる。

 とはいっても定期検査の対象となる計量器は現在は実質上は質量計だけといってよく、こと質量計に限ってみれば社団法人格を備えた計量協会等が指定の条件を整えていれば、指定権限を持つ都道府県および市町村の長はこのような組織を指定定期検査機関に指定するのが至当であろう。

 一方、見方によっては社団法人格を持たない計量協会等でも指定の条件を満たせることになるかも知れないが、公益法人として認められるための努力を怠ってよいものではない。

 以上のような諸環境のもと、勇躍して社団法人化を実現した静岡県計量団体連合会の努力は賞賛されるし、そのほかの協会事業推進への意欲も大きいので、全国に範たる計量協会の一つになることは間違いない。

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■社説・中嶋悟とJAFの運転教本が対照的に示す教訓(98年11月8日号)

 必要があって道路交通の安全のことをいろいろと調べているうちにわかった一つの原理がある。調べものの方は交通安全と関連する警察の行政、自動車産業と自動車行政で、こちらの方の結論は日本では自動車が道路に過密状態に置かれていて、自動車本来の機能を全うするための道路網が決定的に未整備であるということだった。自動車産業は自動車をつくって売ることだけを考え、自動車が本来の機能を果たすためのインフラ整備は自分の責任だとは思っていない。道路建設は政治家とゼネコンと地元民の欲と利益が優先されている。自動車がこれだけ普及してみると、国民が車で移動することは新しい権利の一つに組み入れてよい。有料道路の存在も疑わしい。日本の経済が好調だったころには先進諸国にもこれを真似る動きが出ていたものの、その後日本ほどの比率で有料道路が存在することはなかった。日本の大蔵省などは国民の福祉増進よりも税金を徴収することを優先して考えるという本末転倒がこうした事態を招いているといってよい。

 交通事故を防ぐ手立ての一つにトラック等の過積載防止があり、過積載対策のため重量計が利用されている。過積載防止は運転手と荷主が自動車の最大積載量を絶対に超えないよう徹底した積載時の計量管理を実施することは当然の責務であり、また交通行政の現場の警察が過積載は絶対に見逃さないことは国民の交通の安全を護る立場にあるものとしてこれまた当然である。

 調べものは車を運転しなければならないなら、どうしたら安全に快適に運転することができるかということであった。自動車教習所で教わる知識だけでは現実の交通に対処するには不十分であるから、プラスアルファの運転知識を習得しなくてはならない。

 このために手にした本はJAFこと日本自動車連盟が編集・ 刊行したもの二冊、F1レーサーだった中嶋悟氏のもの一冊、徳大寺有恒氏のもの二冊、その他二冊であった。

 中嶋悟氏の本は「交通危機管理術」で、ここでは単純に法令準拠の運転だけではなく、日本の道路環境を欧米と比較して評論するなど、交通行政の課題にも踏み込んでいて、日ごろの交通環境に業を煮やしている者には溜飲の下がる内容であった。

 対してJAFの運転教本は、与えられた交通環境のなかで出来ることだけを述べているものであった。書かれていることはいちいちもっともなことではあっても食い足りなさが残った。  JAFの会員には路上サービスを受けたい者が加入しており、会員になると読みたいとも思わない月間の機関誌「JAF・MEITO」が届けられる。

 JAFはオーナードライバーのための受益者代表団体であるので、あくまでも運転者の立場に立った会運営をしているものと考えていたがこれは実際とは違っていた。行政に対して、社会に対して静か過ぎるJAFの存在を規定しているのは、組織の運営に深く関わる運輸省と警察の定年退職職員であった。JAFが実質的に公務員退職者の再就職先になっており、このような人々に牛耳られていることが、交通行政に対しても改善を求めるなどの必要な行動を放棄する結果となっていた。だからわが身を守り人に危害を与えないという安全運転のための読本でも、JAFは行政批判を一言一句も入れないのである。

 年間に一万人の死者を出す日本の交通社会を改善するのに運転者の知識と技術の向上だけに頼ることは間違いで、むしろ交通事故が起こらない交通社会環境をいかに築き上げるかが大事である。

 道路交通の安全をテーマに調べものをしていくうちに判明した教訓的なことはJAFのようなオーナードライバーの受益者代表団体も、組織の民主主義を放棄すると理事や専務理事等に運輸省や警察のOBが大量に入り込んで、このような人々に組織が牛耳られると組織本来の目的がどこかに飛んでいってしまうことである。このことが冒頭に述べた発見した古くて新しい「原理」である。

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■社説・過積載事故賠償命令判決と交通の安全の確保(98年11月1日号)

 最大積載量の四倍の山砂を積み込んだトラックがゆるい下り坂でブレーキが効かなくなり、JR成田線の踏切を通過する列車と衝突して六十八人の死傷者を出した事故の民事訴訟で、運転者らに列車の修理費など一億円余の支払いを命じる判決が十月二十六日千葉地裁であった。一九九二年に起きた列車とダンプカーの衝突事故の民事責任を問う裁判の判決で、西島幸夫裁判長は運転手、山砂の運搬を依頼した荷主、山砂を積み込んだ砕石会社、砕石会社の二人の作業員に対して一億円余の賠償を命じた。

 刑事裁判では、事故を起こした運転手に対してすでに業務上過失致死障などの罪で禁固二年の実刑判決を下し、運転手は服役中である。山砂の運搬を依頼した荷主などは、過積載をほう助した道路交通法違反で書類送検され起訴猶予になっている。

 今回の民事裁判では山砂を積み込んだ販売会社と二人の従業員に対しても「危険を認識していた」とし、また運搬を依頼した荷主に対しては「事実上の使用者に当たる」として、使用責任を問う判決を下した。

 改正された道路交通法は過積載に対して厳しい態度で望み、運転手、使用者の双方に重い罰則を科している。十月二十六日の千葉地裁の過積載事故民事判決は、道路交通法が改正される以前の事故に対して出されたものであるが、判決内容は当を得たものと評価されそうである。

 物流に占める自動車輸送の比率が異常に高まるなか、同じ道路を人、自転車等軽車両、小型等乗用車と大型トラックが共同利用するという実情を考えると、車重が大きいうえ荷物を積むとトラックは重量に比例して特別に危険な存在となる。したがってトラックの運転手ならびに運転手の使用人は過積載を絶対にしてはならず、警察も過積載を見逃すような怠慢があってはならない。

 日本では年間に一万人が交通事故で死亡している。一万人とは統計上のマジックで、交通事故が原因で二万人が死亡している。

 福田赳夫元総理大臣は「人命は地球よりも重い」と発言して、政治的な意味で点数を稼いだけれど、交通事故による一万人の死者をどのようにとらえたらよいのであろうか。交通事故を防ぎ犠牲者をなくすることは現代社会の大きな課題である。

 解決のためには交通インフラの整備、国民の交通安全に対する意識の向上、交通行政の実施者である警察の適切な道路交通法の運用などがあり、そのなかの一つとして過積載を防止するための計量器の積極的な利用がある。

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■社説・品質ラベルとして使われるISO9000(98年10月25日号)

 品質保証に関する国際規格ISO九〇〇〇シリーズの日本での普及が顕著である。最近では運送企業やコンビニエンスストアがテレビCMでISO九〇〇〇シリーズの認証を受けたことを企業の信頼性と連動させる内容で放映していることが注意を引く。

このCMは、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業は「確かな信頼を保証する企業であること」として、つまりその代名詞としてISO九〇〇〇シリーズを印象づけて放映している。同シリーズについては、このことが全てではないにしてもテレビCMを通じてISO九〇〇〇シリーズの社会的認識が向上することは計測管理などを手段として品質管理や品質保証の業務に連結する立場にある者にとっては都合のよいことであり、この後は各種流通業、証券や銀行等でも「確かな信頼を保証する企業であること」の証明としたISO九〇〇〇認証取得にこぞって動くことが予想される。

 世の中は一方で規制緩和をはやし立て、他方では強制力のない規格とはいえISO九〇〇〇シリーズを企業が「確かな信頼を保証する企業であること」の証明として利用するといった動きにはどこか釈然としないものがあるが仕方のないことであろう。

 ISO九〇〇〇シリーズは、国際標準化機構(ISO)が一九八七年に制定した経済のグローバリゼーション時代におけるソフトのインフラストラクチャとしての内容を持っているものであり、世界各国が商品を安心して使用できるようにするための「共通の品質保証」を内容としたものである。

 商品流通に関して国際的な障壁を取り除くことは極めて至難の技であるが、こと品質保証に関しては国際標準化機構が構想し制定したISO九〇〇〇シリーズのもとに、世界を同一の土俵に置こうというものである。

 ISO九〇〇〇シリーズの構想は見事に的中、制定直後の助走期間を経て今や大飛躍を遂げている。日本でのISO九〇〇〇シリーズの認証取得は当初製造業に集中していたのに続いてあらゆる業種にその動きが波及している。この品質保証システムが全ての事業に対して適用されるものだということがようやく浸透してきた結果、冒頭に取り上げたような運送業やコンビニエンスストアなどのテレビCMでのISO九〇〇〇シリーズの認証取得のアピールである。ここでは実質上この品質システムの認証取得を「信頼の」ラベルとして用いている。

 ISO九〇〇〇品質保証システムは、商品の製造過程やサービスシステムの各段階での品質を包括的に保証するシステムであることから、運送業などにおいてもISO九〇〇〇シリーズが生きてくるのである。

 補足しておきたいことは、この品質保証システムの説明のなかに品質方針、品質管理、トレーサビリティという用語があるからといって、この品質システムが全て高次元の品質を保証しているのではないということである。商品をつくり出す品質システムには、経済性と社会性を内に含んだそれぞれに相応しい水準があり、認証取得企業はそうしたそれぞれの水準の品質を保証をしているということである。

 従って、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業が提供する商品やサービスは他のものより品質が高いというのではない。自己が定めた品質のレベルを保証するというものであり、この面での透明性を確保していることがISO九〇〇〇シリーズの認証取得といえるのである。

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■社説・悪化する景況感と特効薬としての住宅建設(98年10月18日号)

 本紙の経営アンケート調査への回答はここ数年にない最悪の景況感であった。本紙の聞き取り調査でも景況感の悪化がはっきり出ている。計量機器産業は大衆消費財としての性質をもつものから産業機械としての性質をもつものもあるなど多様であるから、景況に関連して一概良いとか悪いとかの評価をしにくい側面がある。

 景況の悪い建設、自動車、鉄鋼、石油などに比べると一部計量計測器産業の属する精密機械は少しはましであり、質量計等一部計量計測機器と同じような景況で推移してきた工作機械産業は設備投資が減退しており当分は低迷が続く見通しなので、質量計のうち生産財部門の需要動向には厳しさが伴う。

 景気波及効果の大きい住宅産業は一戸建てに底打ち感が出ていると伝えられているもののマンション販売は不振が続いている。小子化で世帯数の伸びが頭打ちするので住宅産業は将来的に困難性を抱えているとの考えが支配的であるものの、これまで供給されてきた日本の住宅の質は低く、ゆとりや快適性を求める立て替え、住み替えを余儀なくされるのが実情なので、世帯数の増減だけから将来を予測して住宅産業の潜在需要を否定する論理には難がある。

 住宅が売れれば家電が売れ、雑貨が売れ、水道メーターが売れ、ガスメーターが売れ、電気メーターが売れるなど、景気の面では全てに上手く作用する。この効果に目を付けた人々が「所得倍増計画」にならって「住宅倍増計画」をうたっているのは頷ける。住宅の広さが倍になれば、テレビも冷蔵庫も倍の大きさのものが買える。パソコンの置き場もできる。蔵書の量も増やせる。家具だって新調できる。衣類だって置き場が増えるからもっと買うことができる。

 現在の日本の住居は国民がもつゆとりと快適性に対する欲求に対して、充足度は低い。このことが次の経済発展のための要素になることへの着眼点はなかなか大した卓見である。低廉になった土地には同じ価格でより利用性の大きな住宅が建築できるのである。小さな土地に小さな家を建てても一億円という住宅価格では買える人は少ないし、買っても利便性が悪い。

 計量計測機器の需要は生産設備という面から捉えると他との産業の結びつきは無縁ではない。内需拡大の特効薬の一つは住宅産業である。日本の木造建築は二十年程度で建て替えられる。マンションだって四十年以内で社会的に陳腐になってしまい建て替えられている。社会環境が変わり、生活が変わると、高度成長期に建てられたやっつけ仕事のような住宅では用をなさなくなった。

 日本の現代の住宅の貧しさを改善することが景気の向上につながるのだから放っておく手はないだろう。国への信頼、社会への信頼の増長こそが国民の財布のひもを緩めさせ、豊かな暮らし、快適な暮らしの実現に結びつく住宅建設につながり、ひいては景気回復をもたらすことと思う。

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■社説・経済の足踏みは新産業登場の前兆(98年10月11日号)

 経済指標の一つとして雇用があり、日本は戦後かつてない雇用不安を抱えるようになった。余剰人員は企業倒産と企業の事業再構築等によって発生、職種はホワイトカラー、ブルーカラーとの区別がない。ホワイトカラーの余剰人員はパソコン等による会計等事務処理の合理化によって発生している。簡単に代替できない知識や技能をもつ者であれば再雇用は易しいがロボットやパソコンなどの「スチールカラー」によって職を追われた者の立場は辛く厳しい。日本の二年続きの経済規模の縮小は景気循環の中の軌跡として記録される。国民の収入の低下と先行き不安感は消費停滞に結びついている。

 日本の経済の低迷、足踏みは産業の新たな段階への前兆として見ることができる。日用品、雑貨を街の商店街で調達する度合いが低下している。消費不況でスーパー、百貨店が閉鎖に追い込まれる遥か以前に街の商店街が店仕舞いしている。通販の勢いは著しい。

 ビル・ゲイツ氏率いるマイクロソフト社の株価の時価総額が世界一になった。鉄鋼、家電、自動車の時代からコンピュータソフトが産業の花形になっていることを物語る。国内の雇用もコンピュータを核にした情報処理がらみに集中している。人材派遣ビジネスの隆盛は情報処理能力者の需要のことであろう。

 米国における第三次産業就業人口は七十五%に達している。日本の産業構造もこれにならった動きで推移している。物づくりとはハードとしてのモノづくりではなく、価値あるモノをつくるというモノづくりであり、それは人間に、社会に役立つモノなら何でもよい。コンピュータのソフトウエアもそのようなモノなのである。

 雇用の問題を解消するために、これまでと同じ労働力が求める機会を創出することは歴史的意味では真の解決にはならない。未来に花開く産業の基盤を整備するのが政府の仕事であり、また労働力の供給者の側は新しい産業に受け入れられる労働力の研鑽に務めることが求められるのではないか。しかし産業と労働力の需給ギャップの調整に果たす政府の役割の大きいことは何時の世でも変わりはない。

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■二年続きのGDP規模縮小と信用の収縮(98年10月4日号)

 政府は夏までの国内の経済指標の悪さから九月二十五日、九八年度の実質国内総生産(GDP)政府見通しプラス一・九%をマイナス一・六%から一・八%程度に下方修正する方向で調整に入っている。九十七年度GDPはマイナス〇・七%であり、二年続きのGDPのマイナス成長となる。

 政府の経済見通しは地方自治体の政策決定などにも影響し、GDP規模の二%程度の拡張を前提に予算計画を立てたところの多くは歳入不足に悩む結果となっている。

 ケインズは二〇世紀初めの大不況の経験からマクロ経済理論を体系として確立した。消費と生産のギャップを政策的にカバーする日本を始めとする各国の経済運営の手法はケインズの経済理論体系のものである。このケインズの一般理論が成立する前提は幾つかあり、重要な前提の一つは「政策当局は常に賢明な政策判断を行える」ということである。「賢明な政策判断」は現実の政治過程では覆されることが少なくない。公共投資を中心とした政府支出が政党および政治家の集票活動の手段とされ、のべつまくなしに公共投資のような資金をばらまき続けてきた日本の政治経済社会風土は、経済の緊急時の政府の政策出動に免疫を持ってしまっていると理解される現象がある。

 今年度の政府経済見通しは夏の参議院選挙を考慮してのものだという指摘がある。今年度限りの作意ではなく、政府経済見通しの数値そのものが作意の結果なのである。

 「バブル経済」と表現されて一般にその現象が理解されている先の日本の株価と土地価格等の異常高騰、その後の投機資金に翻弄されてのアジアの金融危機という一連の経済現象のなかでの今日の日本の経済状態である。
 株価も土地価格も中長期的には下落しないものとの前提で日本の金融機関は金庫に山と積まれた他人のお金を、借り手の信用の度合いを無視して遮二無二貸し付けた。株価と土地価格が高騰し続けることが「返済能力」であったのだ。日本の銀行に山と積まれたお金がどこで生まれ、どこから来たのかは不問にすることにして、倫理性のない株と土地への大がかりな投機現象こそ「バブル経済」だったのではないか。株と土地の投機の片棒を担ぎ、相方にあっさりと逃げられて貸した資金が回収できないでいるのが今の日本の銀行である。また米国の株価が日本と同じ現象であるということを否定する材料があるだろうか。

 絶えず嘘を言い続けて身を滅ぼした「狼少年」にならないよう堺屋太一経済企画庁長官は誇張のない表現をするのに腐心している。集票活動の必要のない立場の強みでもある。

 二年続きの経済規模の縮小は不況ムードを国民に植え付け、財布のひもを必要以上に締めさせている。銀行は政府のかけ声に従って「貸し渋り」を止めるわけにゆかない事情があるのだから、政府はかけ声ではなく実態としての信用保証をしなくてはならない。

信用収縮とそれに連動する実需の下落こそ恐れるものである。

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■社説・計量法に指定修理事業者制度導入の動き(98年9月13日号)

 通産省計量行政室の当事者から何度か制度創設の可能性がアナウンスされていた計量法の指定修理事業者制度の検討作業が始まる。通産省は一面報道のように「指定修理事業者制度調査検討委員会」を組織して検討を開始する。

 制度導入を検討する対象器種はガスメーター、水道メーター、温水メーター、自動車等給油メーター、小型車載燃料油メーター、大型車載燃料油メーター、微流量燃料油メーター、定置燃料油メーター、量器用尺付タンク、液化石油ガスメーター、タクシーメーター、積算熱量計、濃度計、騒音計、振動レベル計、照度計、質量計(分銅、おもり)、最大需要電力計等、特別精密電力量計、直流電力量計。

 指定修理事業者制度の計量法への導入検討について通産省は「あくまで白紙の状態での検討であり、検討するからといって指定修理事業者制度を計量法に組み入れることが決まったということではない」と慎重な姿勢である。

 計量法が指定製造事業者制度を制度化し、実施に移したところ関連する多くのメーカーがこの制度を利用するようになった。指定製造事業者制度はメーカーが計量法が定める品質管理等一定の要件を満たし、その要件のなかで製造した計量器について、「国家検定」と同等の効力を持つ「基準適合証印」を付すことが出来ることを定めたもの。この制度は量産型の計量器については制度利用の経済的効果が大きいことから、体温計、血圧計等を中心に量産型の器種の多くがこの「基準適合証印」付きで出荷されている。

 計量法の規定では修理と製造がほとんど同レベルの技術要件となっていることから、指定修理事業者制度が仮に導入されるとしても技術要件は高くなるものと予想される。ガスメーター、水道メーター関係事業者は、その修理の実務が製造と大して変わらないことなどから、指定修理事業者制度は先に制度化した指定製造事業者制度と一体不可分との認識を持つ者が多い。

 通産省では指定修理事業者制度の検討を開始するにあたり、「あくまでも白紙の状態での検討作業」であることを強調、制度導入が既定事実であることを印象付けないよう大きな配慮をしている。

 計量法の指定製造事業者制度は検定の実施主体の一つである都道府県の計量検定所の業務に影響を与えていることなども、通産省が「白紙」を強調する要因でもある。

■社説・行政簡素化・規制緩和と計量制度を考える(98年12月20日号)

 この国の政治は混迷のなかにある。政権についている自民党は単独では国会運営ができない。かつて自民党にいた政治家が幾つかの政党に分かれながら今なお国会議員でいるということは、戦後の自民党政権の基本ポリシーでは国の運営ができないことを物語る。

 国を動かす戦後の政治と行政システムが機能を失いかけているなかで、経済規模の拡大のためなりふり構わない減税を伴う財政支出が続いている。堺屋太一経済企画庁長官と経済同友会の牛尾治朗代表幹事が景気の底打ち感を表明しているが、これには心情としては淡い期待を掛けたいというだけである。

 政治家も国民も新しいこの国の在り方に確信が持てないでいるなか、行政簡素化と規制緩和というレールだけは敷かれており、計量行政はこのレールの上を走らせられている。

 そうしたレールに乗っている計量行政の当事者達は自らの本務をどれだけ理解しているであろうか。国と自治体における計量事務として何がどのように機能すればこの国がうまくゆくのかを分かっている人が多いことを期待する。

 「文明は計ることから始まった」と日本計量史学会会長の岩田重雄氏が述べている。人間が造り出すもののすべては何等かのかたちで計られている。また学術と文化の分野でも数値化されている事項は計られた結果であり、どんな方法かですべての文化的な事項も計られている。

 計量行政と計量制度は必ずしも全てが同一ではないが、計量制度はものが正しく計られるための基礎的要素をなす。このために整備しなくてはならないことは多い。現状から後退させることの経済的マイナス効果は、減額した行政費用の幾百幾千倍にもなる。

 社会基盤をなす計量制度とはそうした性質を持つものであることの理解が大切である。土台をおろそかにして格好だけいい家を建てることが愚の骨頂であることは誰でも知っていることと同じように。

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■社説・都計協創立50周年を祝い計量文化の振興を願う(98年12月13日号)

 昭和二十三年七月十二日に東京都知事の設立許可を示す「東京都経総収第八〇三号」により社団法人東京都計量協会が発足した。以後五十年の歴史を刻んでここに創立五十周年を迎えた(社)東京都計量協会である。

 時代は小さな政府を理想とする行政簡素化と規制緩和の渦のなかにあり、新しい時代に適合する(社)東京都計量協会の船出が期待される。

 (社)東京都計量協会は各部会構成員を含めた会員企業ならびに関係会員の事業・活動等に資する情報・各種のサービスの提供のほか、計量管理事業部が計量器の検査等計量管理に関する業務を通じて都民ならびに都内事業場のトレーサビリティ活動および品質管理業務に大きく貢献している。

 以上のような社会活動を旺盛に実施している同会が発足した昭和二十三年当時はまだ戦後の混乱期が終息しておらず前身の団体であった日本度量衡協会東京支部の活動は実質上停止していた。別の形でわずかに命脈を保っていた組織のリーダー達、すなわち高橋勘次、赤堀五作、鴨下辰五郎、三田村美津氏らが会合を重ねるなか、当時の東京都権度係長岩崎栄係長の後押し等を受けて社団法人東京都計量協会の発足を見るに至ったものである。

 設立当時の役員は会長田中唯重(東京都経済局長)、副会長福富恒樹(東京都経済局総務課長)、中村竹次(仁丹体温計社長)、高橋勘次(東京都度量衡器計量器商業協同組合理事長)、理事長岩崎栄(東京都経済局総務課権度係長)、理事赤堀五作、島田次郎、鴨下辰五郎、三田村美津、納村三郎、加藤繁次郎、加藤勝衛、鈴木惣八、森木鶴次郎、木下寿人、四家裕信(以上常任理事)、川口俊司、今井竹次郎、小泉重蔵、岡原義二、福島信太郎、可児重一、富田荘次郎、大磯重助、大原和三郎、塩沢達三、大沢常太郎、幹事武井勇、岩瀬茂雄(以上常任幹事)、加藤敏郎、塩原禎三、広川弘禅の各氏。なお副会長の高橋勘次氏は本紙、(株)日本計量新報社の初代社長。

 同会の五十年は時代の動きを反映して様々な変遷をたどる。昭和三十六年頃には会員数が六千名に達していたことから総会開催に不都合をきたすようになり、同年団体会員制に移行して会運営するという一時もあった。この間の昭和二十七年には石川島重工業社長の土光敏夫氏を会長とする東京都計量管理研究会、昭和三十一年には東京都はかり工業会がそれぞれ発足している。

 また昭和三十六年にはそれまで会員の過半数を占めていた薬業関係会員の大部分が協会から分離して東京薬業計量協会を設立している。分離独立の主な原因が日本計量会館建設のための募金方法をめぐってのものであり、さらにその背景には薬業関係者の協会運営に対する消極姿勢があった。

 計量法の改正に伴う会員減少をもたらした事例として、昭和四十一年大改正がある。この改正で計量法の直接の規制対象の計量器が大幅に縮小されたが、そのうちの一つの長さ計に関係して、長さ計の販売登録事業者であった文具関係者二千名が会から離れている。

 以後も平成五年施行の新計量法で計量器販売事業の制度が登録制から届出制に変更されたことによる会員の離散傾向、さらには平成十年の体温計と血圧計の販売届出制の廃止による離散傾向の現出という事態が続いている。

 以上のように(社)東京都計量協会は時代時代の新しい波にもまれながらも産業社会と国民生活に連結した計量器の安定かつ円滑な供給のための支援的な業務、適正な計量の実施の確保に直接的に資する業務、適正な計量の実施の確保と計量器と計量計測技術の利用と活用の基礎となる国民・都民の計量観念(意識あるいは思想)の向上のための事業、その他を旺盛に実施して今日に至っている。

 協会事業のなかには計量管理事業部の業務として
一、計量管理業務@計量器の検査、(イ)定期検査に代わる計量士による検査、(ロ)自主検査(定期検査を要しない年の検査、定期検査を要しない取引証明用計量器の検査)、(ハ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量器の検査、(ニ)適正検査取引証明以外用計量器の検査、(ホ)ISO九〇〇〇シリーズ関連企業の計量管理講習会、A特定商品の販売に係る計量に関する政令の量目検査。
二、行政の補完的業務(非自動はかりの届出済証の貼付等)
三、計量法令関係の説明と指導業務
四、計量器製造修理販売の会員企業の紹介および斡旋
五、都民に対する家庭用計量器の制度確認事業
六、その他
を実施しており、関係業務を今後とも一層強化して都内事業者の計量管理の強化ならびに都民の計量の安全の確保に務める計画である。

 (社)東京都計量協会の五十年は平たんな道のりではなかったことがわかる。地域産業社会の計量管理の発達への貢献ならびに国民の計量の安全確保、行政との連携ならびに補完的機能を通じての都民福祉への寄与を基本使命にしながら会員企業の事業振興との巧みな連結こそが地方計量協会が次世代を生き残る道であろう。

 協会が健全に運営されるための基本的要素として会員企業の協会事業への正しい理解、協会を運営する執行役員の献身的な努力、協会専任事務局員の奮闘があり、これに連動する収入の確保がある。

 計量が栄えてこそ日本の産業と文化の真の発達がもたらされる。物作り、物の流通、学術、文化など人間生活の全てに計量は関わっており、全てのものが何らかの形で計られている。計ることの文化の担い手である計量関係者の奮闘・努力に期待する。

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■社説・ISOの品質保証システムと計測企業(98年12月6日号)

 品質保証に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証を計量計測関係の小規模企業も取得するようになっている。関係事業所の従業員が二〇名程度の企業がISO九〇〇〇シリーズの認証を受けるためには実際には一人の従業員が何役もの役回りをしなければならず、慣れない業務内容に苦労をするようであるが、認証を取得してみると「これまで大まかに行っていた事業所内業務を的確に把握できかつ効率化のための青写真を描けるようになった」と成果の大きいことも報告されている。

 ISO九〇〇〇シリーズは当初は輸出のためのパスポートとしての意義が強調されていたが、最近では品質管理、品質保証の認定書としての意味を大きく持つようになっている。

 計量計測の製造業は特定計量器に関しての検定の自己認証制度ともいえる指定製造事業者制度が新計量法で新設され、この制度が本格的に稼働しており、ここでの計量器の性能、精度の管理に関する手法がISO九〇〇〇シリーズに準拠していることは周知の事実である。

 計量法は今後の新制度の可能性をさぐるために「指定修理事業者制度」の創設の検討をしている。指定修理事業者制度は、修理された特定計量器の再検定の業務を製造事業者あるいは修理事業者の修理行為について「自己認証」制度を適用するかどうかを検討しているものでもある。ここでの計量器の管理もやはりISO九〇〇〇シリーズに定められた手法が適用されることになるであろう。指定修理事業者制度は制度創設の可能性を白紙の状態で検討している。今後どのような結論がでるかは全く不明であるものの、ここにもISO九〇〇〇シリーズが関与していることだけは知っておいてよいであろう。

 日本に上陸した後は野火のように大きく燃え広がっているISO九〇〇〇シリーズにも手放しで肯定できない側面があることの指摘がないわけではない。この制度の全体を良く見ながらそれぞれの企業とのマッチングを検討すべきである。とはいっても品質保証システムとしてのISO九〇〇〇シリーズに準拠した管理は常識になっている。

 この品質保証システムがとなえる計量計測標準のトレーサビリティは、計測が適正・的確に実施されるための神髄にふれるものであることも間違いない。

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■社説・(社)静岡県計量協会の誕生と今後の活動への期待(98年11月22日号)

 静岡県計量団体連合会がこの十一月十日に社団法人静岡県計量協会に移行するための設立総会を開き、必要な議事を全て可決し、十二月中にも予定されている県の許可を得る準備を完了している。
 静岡県の五つの計量関係団体は大同団結して連合組織を形成していたが、今後の事業展開と団体としての社会的信用の確保、あるいは県との計量事業の分掌と連携を良い形で推進することを含めて公益法人としての資格を取得することになった。民法三十四条に規定されている社団法人となることによって、協会の公益的諸事業を積極的に推進してゆこうとするものである。

 地方の計量協会あるいは計量団体連合会等は計量関係諸団体の大同団結を実現し、あわせて法人格を取得することが目標の一つになっており静岡県の法人化は、北海道、宮城、福島、山形、群馬、埼玉、東京、神奈川、富山、愛知、滋賀、兵庫、広島、佐賀に加えて、十五番目となる。新潟、千葉がほぼ準備を完了している。

 地方の計量関係団体の社団法人格の取得は日本計量協会も推奨していることであり、都道府県と連携しての計量思想普及啓発事業推進上好ましい。このような一般的事情に加えて、新計量法が新しい制度として設立した指定定期検査機関の指定の条件として民法三十四条に規定された法人格を必要としていることから、地方計量協会が社団法人になることが望まれている。

 静岡県においても指定定期検査機関の指定を念頭に置いて法人格を取得したものであり、今後指定をめぐって指定権限を持つ県当局の動きが注目される。

 指定定期検査機関制度は、民間活力を計量行政に生かすことを狙いとして制度化されたものであるが、現在指定を受けているのは(社)愛知県計量連合会、(社)兵庫県計量協会、(社)佐賀県計量協会の三県にとどまり、この二〜三年は進展していない。その理由は様々であり、一つは法定の定期検査手数料では指定定期検査機関の経費が賄えないことにある。もう一つの大きな理由は、行政簡素化と規制緩和に連動する計量法の見直しにおいて、指定定期検査機関は株式会社組織であってもよい、ということが伝えられるようになったことである。現在の状態では行政の人的、財源的支援を必要とする定期検査機関であるにも関わらず、民間組織の株式会社であっても公平性、中立性、継続性が担保されれば指定定期検査機関の指定の対象にされることになる動きである。こうした情勢を受けて法律改正の結果待ち、あるいは様子見という傾向が一部に出ている。

 指定定期検査機関が実施する業務は計量士による代検査業務とも重なること等もあって、運営の難しさは否定しがたい。加えて定期検査の実施の様態は代検査の比率を含めて各都道府県ごとに事情が異なる。

 とはいっても定期検査の対象となる計量器は現在は実質上は質量計だけといってよく、こと質量計に限ってみれば社団法人格を備えた計量協会等が指定の条件を整えていれば、指定権限を持つ都道府県および市町村の長はこのような組織を指定定期検査機関に指定するのが至当であろう。

 一方、見方によっては社団法人格を持たない計量協会等でも指定の条件を満たせることになるかも知れないが、公益法人として認められるための努力を怠ってよいものではない。

 以上のような諸環境のもと、勇躍して社団法人化を実現した静岡県計量団体連合会の努力は賞賛されるし、そのほかの協会事業推進への意欲も大きいので、全国に範たる計量協会の一つになることは間違いない。

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■社説・中嶋悟とJAFの運転教本が対照的に示す教訓(98年11月8日号)

 必要があって道路交通の安全のことをいろいろと調べているうちにわかった一つの原理がある。調べものの方は交通安全と関連する警察の行政、自動車産業と自動車行政で、こちらの方の結論は日本では自動車が道路に過密状態に置かれていて、自動車本来の機能を全うするための道路網が決定的に未整備であるということだった。自動車産業は自動車をつくって売ることだけを考え、自動車が本来の機能を果たすためのインフラ整備は自分の責任だとは思っていない。道路建設は政治家とゼネコンと地元民の欲と利益が優先されている。自動車がこれだけ普及してみると、国民が車で移動することは新しい権利の一つに組み入れてよい。有料道路の存在も疑わしい。日本の経済が好調だったころには先進諸国にもこれを真似る動きが出ていたものの、その後日本ほどの比率で有料道路が存在することはなかった。日本の大蔵省などは国民の福祉増進よりも税金を徴収することを優先して考えるという本末転倒がこうした事態を招いているといってよい。

 交通事故を防ぐ手立ての一つにトラック等の過積載防止があり、過積載対策のため重量計が利用されている。過積載防止は運転手と荷主が自動車の最大積載量を絶対に超えないよう徹底した積載時の計量管理を実施することは当然の責務であり、また交通行政の現場の警察が過積載は絶対に見逃さないことは国民の交通の安全を護る立場にあるものとしてこれまた当然である。

 調べものは車を運転しなければならないなら、どうしたら安全に快適に運転することができるかということであった。自動車教習所で教わる知識だけでは現実の交通に対処するには不十分であるから、プラスアルファの運転知識を習得しなくてはならない。

 このために手にした本はJAFこと日本自動車連盟が編集・ 刊行したもの二冊、F1レーサーだった中嶋悟氏のもの一冊、徳大寺有恒氏のもの二冊、その他二冊であった。

 中嶋悟氏の本は「交通危機管理術」で、ここでは単純に法令準拠の運転だけではなく、日本の道路環境を欧米と比較して評論するなど、交通行政の課題にも踏み込んでいて、日ごろの交通環境に業を煮やしている者には溜飲の下がる内容であった。

 対してJAFの運転教本は、与えられた交通環境のなかで出来ることだけを述べているものであった。書かれていることはいちいちもっともなことではあっても食い足りなさが残った。  JAFの会員には路上サービスを受けたい者が加入しており、会員になると読みたいとも思わない月間の機関誌「JAF・MEITO」が届けられる。

 JAFはオーナードライバーのための受益者代表団体であるので、あくまでも運転者の立場に立った会運営をしているものと考えていたがこれは実際とは違っていた。行政に対して、社会に対して静か過ぎるJAFの存在を規定しているのは、組織の運営に深く関わる運輸省と警察の定年退職職員であった。JAFが実質的に公務員退職者の再就職先になっており、このような人々に牛耳られていることが、交通行政に対しても改善を求めるなどの必要な行動を放棄する結果となっていた。だからわが身を守り人に危害を与えないという安全運転のための読本でも、JAFは行政批判を一言一句も入れないのである。

 年間に一万人の死者を出す日本の交通社会を改善するのに運転者の知識と技術の向上だけに頼ることは間違いで、むしろ交通事故が起こらない交通社会環境をいかに築き上げるかが大事である。

 道路交通の安全をテーマに調べものをしていくうちに判明した教訓的なことはJAFのようなオーナードライバーの受益者代表団体も、組織の民主主義を放棄すると理事や専務理事等に運輸省や警察のOBが大量に入り込んで、このような人々に組織が牛耳られると組織本来の目的がどこかに飛んでいってしまうことである。このことが冒頭に述べた発見した古くて新しい「原理」である。

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■社説・過積載事故賠償命令判決と交通の安全の確保(98年11月1日号)

 最大積載量の四倍の山砂を積み込んだトラックがゆるい下り坂でブレーキが効かなくなり、JR成田線の踏切を通過する列車と衝突して六十八人の死傷者を出した事故の民事訴訟で、運転者らに列車の修理費など一億円余の支払いを命じる判決が十月二十六日千葉地裁であった。一九九二年に起きた列車とダンプカーの衝突事故の民事責任を問う裁判の判決で、西島幸夫裁判長は運転手、山砂の運搬を依頼した荷主、山砂を積み込んだ砕石会社、砕石会社の二人の作業員に対して一億円余の賠償を命じた。

 刑事裁判では、事故を起こした運転手に対してすでに業務上過失致死障などの罪で禁固二年の実刑判決を下し、運転手は服役中である。山砂の運搬を依頼した荷主などは、過積載をほう助した道路交通法違反で書類送検され起訴猶予になっている。

 今回の民事裁判では山砂を積み込んだ販売会社と二人の従業員に対しても「危険を認識していた」とし、また運搬を依頼した荷主に対しては「事実上の使用者に当たる」として、使用責任を問う判決を下した。

 改正された道路交通法は過積載に対して厳しい態度で望み、運転手、使用者の双方に重い罰則を科している。十月二十六日の千葉地裁の過積載事故民事判決は、道路交通法が改正される以前の事故に対して出されたものであるが、判決内容は当を得たものと評価されそうである。

 物流に占める自動車輸送の比率が異常に高まるなか、同じ道路を人、自転車等軽車両、小型等乗用車と大型トラックが共同利用するという実情を考えると、車重が大きいうえ荷物を積むとトラックは重量に比例して特別に危険な存在となる。したがってトラックの運転手ならびに運転手の使用人は過積載を絶対にしてはならず、警察も過積載を見逃すような怠慢があってはならない。

 日本では年間に一万人が交通事故で死亡している。一万人とは統計上のマジックで、交通事故が原因で二万人が死亡している。

 福田赳夫元総理大臣は「人命は地球よりも重い」と発言して、政治的な意味で点数を稼いだけれど、交通事故による一万人の死者をどのようにとらえたらよいのであろうか。交通事故を防ぎ犠牲者をなくすることは現代社会の大きな課題である。

 解決のためには交通インフラの整備、国民の交通安全に対する意識の向上、交通行政の実施者である警察の適切な道路交通法の運用などがあり、そのなかの一つとして過積載を防止するための計量器の積極的な利用がある。

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■社説・品質ラベルとして使われるISO9000(98年10月25日号)

 品質保証に関する国際規格ISO九〇〇〇シリーズの日本での普及が顕著である。最近では運送企業やコンビニエンスストアがテレビCMでISO九〇〇〇シリーズの認証を受けたことを企業の信頼性と連動させる内容で放映していることが注意を引く。

このCMは、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業は「確かな信頼を保証する企業であること」として、つまりその代名詞としてISO九〇〇〇シリーズを印象づけて放映している。同シリーズについては、このことが全てではないにしてもテレビCMを通じてISO九〇〇〇シリーズの社会的認識が向上することは計測管理などを手段として品質管理や品質保証の業務に連結する立場にある者にとっては都合のよいことであり、この後は各種流通業、証券や銀行等でも「確かな信頼を保証する企業であること」の証明としたISO九〇〇〇認証取得にこぞって動くことが予想される。

 世の中は一方で規制緩和をはやし立て、他方では強制力のない規格とはいえISO九〇〇〇シリーズを企業が「確かな信頼を保証する企業であること」の証明として利用するといった動きにはどこか釈然としないものがあるが仕方のないことであろう。

 ISO九〇〇〇シリーズは、国際標準化機構(ISO)が一九八七年に制定した経済のグローバリゼーション時代におけるソフトのインフラストラクチャとしての内容を持っているものであり、世界各国が商品を安心して使用できるようにするための「共通の品質保証」を内容としたものである。

 商品流通に関して国際的な障壁を取り除くことは極めて至難の技であるが、こと品質保証に関しては国際標準化機構が構想し制定したISO九〇〇〇シリーズのもとに、世界を同一の土俵に置こうというものである。

 ISO九〇〇〇シリーズの構想は見事に的中、制定直後の助走期間を経て今や大飛躍を遂げている。日本でのISO九〇〇〇シリーズの認証取得は当初製造業に集中していたのに続いてあらゆる業種にその動きが波及している。この品質保証システムが全ての事業に対して適用されるものだということがようやく浸透してきた結果、冒頭に取り上げたような運送業やコンビニエンスストアなどのテレビCMでのISO九〇〇〇シリーズの認証取得のアピールである。ここでは実質上この品質システムの認証取得を「信頼の」ラベルとして用いている。

 ISO九〇〇〇品質保証システムは、商品の製造過程やサービスシステムの各段階での品質を包括的に保証するシステムであることから、運送業などにおいてもISO九〇〇〇シリーズが生きてくるのである。

 補足しておきたいことは、この品質保証システムの説明のなかに品質方針、品質管理、トレーサビリティという用語があるからといって、この品質システムが全て高次元の品質を保証しているのではないということである。商品をつくり出す品質システムには、経済性と社会性を内に含んだそれぞれに相応しい水準があり、認証取得企業はそうしたそれぞれの水準の品質を保証をしているということである。

 従って、ISO九〇〇〇シリーズの認証取得企業が提供する商品やサービスは他のものより品質が高いというのではない。自己が定めた品質のレベルを保証するというものであり、この面での透明性を確保していることがISO九〇〇〇シリーズの認証取得といえるのである。

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■社説・悪化する景況感と特効薬としての住宅建設(98年10月18日号)

 本紙の経営アンケート調査への回答はここ数年にない最悪の景況感であった。本紙の聞き取り調査でも景況感の悪化がはっきり出ている。計量機器産業は大衆消費財としての性質をもつものから産業機械としての性質をもつものもあるなど多様であるから、景況に関連して一概良いとか悪いとかの評価をしにくい側面がある。

 景況の悪い建設、自動車、鉄鋼、石油などに比べると一部計量計測器産業の属する精密機械は少しはましであり、質量計等一部計量計測機器と同じような景況で推移してきた工作機械産業は設備投資が減退しており当分は低迷が続く見通しなので、質量計のうち生産財部門の需要動向には厳しさが伴う。

 景気波及効果の大きい住宅産業は一戸建てに底打ち感が出ていると伝えられているもののマンション販売は不振が続いている。小子化で世帯数の伸びが頭打ちするので住宅産業は将来的に困難性を抱えているとの考えが支配的であるものの、これまで供給されてきた日本の住宅の質は低く、ゆとりや快適性を求める立て替え、住み替えを余儀なくされるのが実情なので、世帯数の増減だけから将来を予測して住宅産業の潜在需要を否定する論理には難がある。

 住宅が売れれば家電が売れ、雑貨が売れ、水道メーターが売れ、ガスメーターが売れ、電気メーターが売れるなど、景気の面では全てに上手く作用する。この効果に目を付けた人々が「所得倍増計画」にならって「住宅倍増計画」をうたっているのは頷ける。住宅の広さが倍になれば、テレビも冷蔵庫も倍の大きさのものが買える。パソコンの置き場もできる。蔵書の量も増やせる。家具だって新調できる。衣類だって置き場が増えるからもっと買うことができる。

 現在の日本の住居は国民がもつゆとりと快適性に対する欲求に対して、充足度は低い。このことが次の経済発展のための要素になることへの着眼点はなかなか大した卓見である。低廉になった土地には同じ価格でより利用性の大きな住宅が建築できるのである。小さな土地に小さな家を建てても一億円という住宅価格では買える人は少ないし、買っても利便性が悪い。

 計量計測機器の需要は生産設備という面から捉えると他との産業の結びつきは無縁ではない。内需拡大の特効薬の一つは住宅産業である。日本の木造建築は二十年程度で建て替えられる。マンションだって四十年以内で社会的に陳腐になってしまい建て替えられている。社会環境が変わり、生活が変わると、高度成長期に建てられたやっつけ仕事のような住宅では用をなさなくなった。

 日本の現代の住宅の貧しさを改善することが景気の向上につながるのだから放っておく手はないだろう。国への信頼、社会への信頼の増長こそが国民の財布のひもを緩めさせ、豊かな暮らし、快適な暮らしの実現に結びつく住宅建設につながり、ひいては景気回復をもたらすことと思う。

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■社説・経済の足踏みは新産業登場の前兆(98年10月11日号)

 経済指標の一つとして雇用があり、日本は戦後かつてない雇用不安を抱えるようになった。余剰人員は企業倒産と企業の事業再構築等によって発生、職種はホワイトカラー、ブルーカラーとの区別がない。ホワイトカラーの余剰人員はパソコン等による会計等事務処理の合理化によって発生している。簡単に代替できない知識や技能をもつ者であれば再雇用は易しいがロボットやパソコンなどの「スチールカラー」によって職を追われた者の立場は辛く厳しい。日本の二年続きの経済規模の縮小は景気循環の中の軌跡として記録される。国民の収入の低下と先行き不安感は消費停滞に結びついている。

 日本の経済の低迷、足踏みは産業の新たな段階への前兆として見ることができる。日用品、雑貨を街の商店街で調達する度合いが低下している。消費不況でスーパー、百貨店が閉鎖に追い込まれる遥か以前に街の商店街が店仕舞いしている。通販の勢いは著しい。

 ビル・ゲイツ氏率いるマイクロソフト社の株価の時価総額が世界一になった。鉄鋼、家電、自動車の時代からコンピュータソフトが産業の花形になっていることを物語る。国内の雇用もコンピュータを核にした情報処理がらみに集中している。人材派遣ビジネスの隆盛は情報処理能力者の需要のことであろう。

 米国における第三次産業就業人口は七十五%に達している。日本の産業構造もこれにならった動きで推移している。物づくりとはハードとしてのモノづくりではなく、価値あるモノをつくるというモノづくりであり、それは人間に、社会に役立つモノなら何でもよい。コンピュータのソフトウエアもそのようなモノなのである。

 雇用の問題を解消するために、これまでと同じ労働力が求める機会を創出することは歴史的意味では真の解決にはならない。未来に花開く産業の基盤を整備するのが政府の仕事であり、また労働力の供給者の側は新しい産業に受け入れられる労働力の研鑽に務めることが求められるのではないか。しかし産業と労働力の需給ギャップの調整に果たす政府の役割の大きいことは何時の世でも変わりはない。

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■二年続きのGDP規模縮小と信用の収縮(98年10月4日号)

 政府は夏までの国内の経済指標の悪さから九月二十五日、九八年度の実質国内総生産(GDP)政府見通しプラス一・九%をマイナス一・六%から一・八%程度に下方修正する方向で調整に入っている。九十七年度GDPはマイナス〇・七%であり、二年続きのGDPのマイナス成長となる。

 政府の経済見通しは地方自治体の政策決定などにも影響し、GDP規模の二%程度の拡張を前提に予算計画を立てたところの多くは歳入不足に悩む結果となっている。

 ケインズは二〇世紀初めの大不況の経験からマクロ経済理論を体系として確立した。消費と生産のギャップを政策的にカバーする日本を始めとする各国の経済運営の手法はケインズの経済理論体系のものである。このケインズの一般理論が成立する前提は幾つかあり、重要な前提の一つは「政策当局は常に賢明な政策判断を行える」ということである。「賢明な政策判断」は現実の政治過程では覆されることが少なくない。公共投資を中心とした政府支出が政党および政治家の集票活動の手段とされ、のべつまくなしに公共投資のような資金をばらまき続けてきた日本の政治経済社会風土は、経済の緊急時の政府の政策出動に免疫を持ってしまっていると理解される現象がある。

 今年度の政府経済見通しは夏の参議院選挙を考慮してのものだという指摘がある。今年度限りの作意ではなく、政府経済見通しの数値そのものが作意の結果なのである。

 「バブル経済」と表現されて一般にその現象が理解されている先の日本の株価と土地価格等の異常高騰、その後の投機資金に翻弄されてのアジアの金融危機という一連の経済現象のなかでの今日の日本の経済状態である。
 株価も土地価格も中長期的には下落しないものとの前提で日本の金融機関は金庫に山と積まれた他人のお金を、借り手の信用の度合いを無視して遮二無二貸し付けた。株価と土地価格が高騰し続けることが「返済能力」であったのだ。日本の銀行に山と積まれたお金がどこで生まれ、どこから来たのかは不問にすることにして、倫理性のない株と土地への大がかりな投機現象こそ「バブル経済」だったのではないか。株と土地の投機の片棒を担ぎ、相方にあっさりと逃げられて貸した資金が回収できないでいるのが今の日本の銀行である。また米国の株価が日本と同じ現象であるということを否定する材料があるだろうか。

 絶えず嘘を言い続けて身を滅ぼした「狼少年」にならないよう堺屋太一経済企画庁長官は誇張のない表現をするのに腐心している。集票活動の必要のない立場の強みでもある。

 二年続きの経済規模の縮小は不況ムードを国民に植え付け、財布のひもを必要以上に締めさせている。銀行は政府のかけ声に従って「貸し渋り」を止めるわけにゆかない事情があるのだから、政府はかけ声ではなく実態としての信用保証をしなくてはならない。

信用収縮とそれに連動する実需の下落こそ恐れるものである。

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■社説・治山・治水と安全と計測技術の可能性(98年9月6日号)

 朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮という)が日本に向けてミサイルを発射した。これに核弾頭が付いていたなら重大な事態であった。日本の空の防衛は基本的にないことを証明した。

 その北朝鮮の経済が崩壊している。「山の木を切って畑にせよ」という命令の下で行った農業政策の結果大洪水が発生した。自然に生える松茸以外の農業生産はないに等しい。水害は中国でも発生しており、治山・治水の重要性が意識させられる。

 台風四号が前線を刺激した結果の大雨は各地の川を氾濫させ、また川のないところでは山から畑地に水が流れて各種の被害を出した。台風が太平洋沖に消えたからいいようなものの、日本列島に上陸したら被害はさらに大きなものになった。自然の猛威を茶の間のテレビで目の当たりにして人々は何を感じたことであろう。

 治水を国造りの基本においた武田信玄は戦の中にあっても釜無川、みだい川、笛吹川等の氾濫を防ぐ工事を続け、これをなしとげた。この治水の思想は江戸幕府にも引き継がれ江戸川や利根川の改修工事に生かされている。

 農業によって成り立っていた国であるから、治山と治水に特別の配慮がなされてはいた。このような治山・治水思想が希釈されている現状は嘆かわしい。山が荒れ、大水で堤防が決壊することによって起こる損失を考えると、必要な手だてを講じることは当然である。

 国防で破綻を示し、治山・治水でも大きなほころびを見せたこの国をもっと見据えることの必要を説きたい。治水に関しては、ダムの管理に幾多の計測センサーを埋設し、また計測機器を活用している賢さを考えると、河川における洪水対策に計測機器の可能性の大きさを感ずる。

 治山・治水は国の経済と生命の安全を守るため、真の意味の国防とあわせて、しっかりなされなければならないものである。政治と行政は「省益」を超えた全面的な対応を取らねばならない。治山と治水に対する国の施策は総合的かつ一元的であるべきだが、この問題はこの国の首相と政治家が危機管理能力にはなはだ欠けているのと同じ次元にあるように思えてならない。

 国造りは人造りであり、山造りであり、治水を含む川造りでもあり、真の平和を造るための政治と外交でもある。

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