日本計量新報の記事より  社説2000/01-04


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■社説・行政機関の透明性の確保と情報公開(00年4月30日号)

 日本の警察は悪いと思う。筆者の住む神奈川県で次のような事例があった。

 無届けの産業廃棄物事業者に対する取り締まりに関して、町の消防を含む環境行政当局、県の環境行政当局と警察が共同して作業したときに、警察に対して他の行政機関からは警察に問われれば持ち得る限りの情報を伝えるたのに、警察からは他の行政機関に一切の説明がなされなかった。その無届け産廃業者は町に対して「オウム信者を自分が経営するアパートに住まわせるがいいのだな」といって脅すので、町が警察必要な事項すべてを報告して協同して対策をとる手だてをしても、警察からは一切の情報を町当局に伝えない。筆者も関連する事項で最寄りの警察署に出向いて話をしたものの、手応えのない一方通行となり激しい徒労感を覚えた。

 警察を監察する係りの警察官と供応ともいえる接待関係を結んでいるときに新潟県柏崎市で、十年間拉致監禁されていた十九歳の女性が発見された。前後する警察の不始末は周知のとおりである。

 栃木県や茨城県ほかでオウム信者の住民票異動にからむ騒動が起きているが、異動先の市町村に公安委員会が連絡することで騒ぎを演出しているのである。それは公安が仕事の実績をつくるために仕組んだ騒動である。国民に利益する業務内容の開示、情報の開示と無縁の態度をとる警察や公安員会が出す情報とは自分の組織を温存するための演出である。自己だけが持ち得る情報で世論を操作しているのだ。国民が主権を持つ日本国において、国民のために実施する行政の業務報告をしないのは国民のための行政をしていないことであると決めつけてもよい。警察は解決できそうにない犯罪は事件として取り扱わないという体質をいつの間にか身につけてしまった。来年四月に施行される情報公開法に対応する都道府県の情報公開条例では神奈川、愛知、兵庫など九県を除き、警察本部が対象から除外されていたが、「全国一律に情報を公開」する方向性が打ち出されている。

 行政機関が業務報告の一形態ともいえる情報を公開しないのは、自らの業務内容に不正があるかであると決めつけて良いと思う。やましさがあるからこそ業務報告である情報を公開できない。個人のプライバシイが行政機関の口から出るときもまやかしと思ってよい。行政機関の透明性の確保とは情報公開の度合いでもある。

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■社説・計量計測機器の使い方の全体は文化である(00年4月23日号)

 はかることは計量計測と同じ意味である。産業に生活に健康など多方面ではかることが広く実施されている。現代の計量計測機器産業とその使い方の全体は計量計測文化であり、文明ははかることから始まった。

 現代社会では生活の中ではかることは広く行われており、とくに健康の度合いを確認するために、健康要素が多角的にはかられるようになった。医療費抑制が重要な社会課題になる少子・高齢化の新時代に対応するためには、病気をしない体をつくり、病気を早期発見して早期治療することが求められる。この決め手の一つは、健康の状態を確認するために人体のさまざまな要素をはかることである。

 人間の健康の度合いは、はかることによって確かめられる。最近になって技術が確立された健康要素として体脂肪率の測定がある。体脂肪率をはかる計量器は、医療・健康科学分野と計量器メーカーとの共同作業によって開発されてきたもので、近い将来に集団健康診断の測定対象に今以上に組み込まれるものと予測される。

体脂肪率の測定には各種の方式があるが、一般には体重と人体の抵抗率の関数等からそれを求めている。抵抗率から人体の状態を調べている。

 計量計測機器は温度を測定したり、質量を測定したり、長さや容積などを測定したりするが、その量を測定することによって別の要素を判別していることが多い。人間は直接見えるものにとらわれ、その背景にあるものを見落とすことが多いが、同じことが計測についても言える。古代中国では小さなはかりで像の体重を求めることをしている。像を船に乗せたときに沈み込んだところまで石を載せて、その石の質量をはかったのである。容積と質量の相関関係、硬さと強度との相関関係などのように、AをはかってBを知ることは古くから行われてきたことであり、計測分野では常に強く意識していなければならない。AとBとの相関関係を求めるのにコンピュータは便利な道具であるので、現代の計測技術はコンピュータとの関係は絶対的といっていい。

 計測のニーズは産業と生活と健康などすべての分野に際限なくあるが、需要家の潜在的計測ニーズを切り拓く視点とそれを実現する技術と能力が計量計測企業に求められる。はかることの精密さの度合いはそれ自体文化であるが、いろいろなものを手軽に幅広くはかることも文化である。計量文化の発達は産業社会の発達、生活文化の向上と連動するから、計量計測が繁栄することは社会の繁栄に連動する。

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■社説・計量関係団体の事業運営と役員の任務(00年4月9日号)

 本紙は通産省所轄の社団法人の専務理事が会の資金を専務理事当人が経営する民間企業に不当に融資をしていた事件を前前号で報じた。この件に対して当該団体の関係者から電話があり報道内容の事実を再度確認する言葉を聞いた。

 大学教員を含む名の通った企業の役員などが名義貸し的に団体役員に名を連ねていたことは事実である。だから役員として団体運営の実務に無関心であり、責任など全うできない。そうした大学教員と著名人の顔によって会員を募り会費を集めている。同会の事業には、会員相互による異業種交流の場の提供があり、またマルチメデア関連などがあり社会的に意義をもつものがある。しかし会運営の実態は専務理事の専横によって仕切られ、社団法人が集めた資金を専務理事個人の事業に注ぎ込むことがワンセットになっていた。五年も前から通産省は会運営の不当さを指摘する指導をしてきているから、役員は会運営を正す責任があるはずだが実質上専務理事に牛耳られるまま何もしなかった。

 通産省所轄の社団法人における不正な資金流用事件の発生原因の多くは悪徳専務理事そのものにあるとしても関係する役員に会運営に対する人間としての誠実さがあったならば社会問題にまで発展することはなかったであろう。

 翻って計量関係の公益法人や任意団体の役員の活動の様子を概観してみよう。残念ながら各団体に意欲に欠ける役員がいることは否定できない。団体の活発度と役員の意欲とは比例関係にあり、不活発な団体ほど役員の意識が低いという現象がみえる。それは業者団体でも非業者団体でも同じである。

 計量の世界は歴史的に役所に縛られる関係が長く続いていたこともあって、少なからぬ人々の精神構造には必要以上に役所に卑屈になってる現実がある。こうしたことの背景には、役所の覚えめでたいことが競争相手に対して商売上有利な立場に立てるという思惑があり、間違った欲が発端になっている。

 この世界の社団法人等諸団体の運営を考えると、理事等役員が会運営に対して意見をいえる場として委員会等を設けるのも有効な手段であると思われる。総会、理事会等は時間に制約があり「スムーズな運営へのご協力」により、議論の場として生かせない事情があるのも残念なことだ。しかし団体の役員になっていても十年来発言する姿をみたことがない人がいるのはどういうわけだ。発言をしなくても会の事業に十分な理解をもち、応分の会費負担をしている事業所代表もいるので発言しないから悪いとはいえないが、やはり思い入れがあれば何らかの発言となって現れるとみるのが自然である。

 理事会等が本来の機能を果たさないことによって生じる団体活動の停滞あるいは一部役員の専横を防止するためにも会議の開き方を工夫し、理事等役員は会務運営に積極的にかかわるべきであろう。

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■社説・遵法精神と日本の警察の民主化の必要(00年4月2日号)

 日本の行政機関のうち警察ほどいかがわしいものはない。たとえばオウムに関係して市町村の行政機関が求められて警察に必要な情報伝えても、警察からは関係する情報の提示は市町村の行政機関に一切ないことがことの事例が神奈川県警の管轄ないであったことをここ二週間ほどの間に確認できた。公害関係の悪徳業者の取り締まりに関しても県の担当部局と警察の間では先と同じことだという。

 神奈川県警の質の悪さは世に知れていることだが、おそらくはどこの都道府県の警察も同類であると十分に察しが付き、そうであると断言することができる。それを物語る事件がこのほど発生した新潟県警交通違反もみ消し事件」で三人の関係者が逮捕された。

 警察は「法の厳正な執行と正義の実現」を建前にしているが、自己の組織利益のために権力を最大限に利用するものの民主主義とは正反対の精神構造を組織体制内に宿している。

 警察と公安員会は醜い結びつきをしていることと、交通違反のもみ消しなどは、どこの警察でも日常茶飯事のこととして行われてきたことは周知の事実である。 新潟県警は一九歳少女一〇年間監禁事件の捜査にまともな体勢で取り組めなかった上に、同少女発見時には県警本部長の業務怠慢ぶりの実体までさらけ出した。ついでに嘘の上塗りで事実を誤魔化し通そうとしたが、幾つもの嘘が発覚してしまった。この新潟県警で新たな不正が発覚することになったのは国民の監視も目の鋭さとは無縁ではない。

 事件は新潟県警の交通機動隊長(前)に対して、元国家公安委員長の自民党、比例北陸信越ブロックの白川勝彦衆議院議員秘書が交通違反記録を抹消するよう依頼した「新潟県警交通違反もみ消し事件」のことである。

 日常茶飯事の周知の悪事が白日の下にさらけ出されたこと自体は、日本の民主主義のために好ましいことではある。しかし、そうした大きな問題がこのような形でしか表面化しないことは、それ自体が日本の民主主義の未成熟でもある。日本の社会には警察が絡んだ闇の部分が多いが、そうした暗黒に日本国憲法とその実体である民主主義の光をあててゆく施策こそが急務であろう。

 小渕恵三内閣は戦後教育制度の総点検をすると言っているが、最たる急務は不正を取り締まる行政機関の不正の実体の総点検にこそあるのではないか。社会の上部に位置して悪いことをする六〇代、七〇代はの人々は戦後教育のなかで作られたのではないからである。

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■社説・重要なのはホームページ製作の動機付け(00年3月26日号)

 本紙はこの欄で二十一世紀の情報革命はインターネットによってもたらされることを説き、インターネットを中心にした情報技術革命に備えることを強調してきた。この新聞紙面に記載されたニュース、資料、解説等のすべての情報は、インターネットにつながれた本紙のホームページを開くことによって閲覧することができる。本紙のホームページには『計量計測データバンク』という情報商品が盛られており、この『計量計測データバンク』には各種の経済データ、計量法令データ、技術情報、業界団体会員名簿、その他の関係データが搭載されており、一部のデータを有償供与している。『計量計測データバンク』利用の料金は年間契約の場合には一万九千円(税込み)である。(短期契約制度も用意)

 インターネットの全体像を一言でいいあらわすのは難しいがそれは決定的な情報ツールであることは間違いない。インターネットのもっている可能性を含めて考えると、企業のホームページ製作は企業が情報社会につながる必要最低限の手続きにである。

 個人のホームページの場合には、まだそこまでは到達していないものの急進展する情報技術により何らかの形で、個人がホームページをもつようになることは間違いない。個人の場合にはホームページのようなものといった方が正確かも知れない。企業のホームページも個人のホームページも、法人と個人それぞれ法人登録、住民登録と同じでものになる。あるいは住居表示と同じものと考えてもよいだろう。

 そのような事情を知っていてもホームページ製作は容易でない。

 ホームページに載せる情報の内容は、企業であれば会社案内、会社概要に加えて製品カタログということに大体はなる。ホームページとインターネットの関係がもつ可能性としては、その企業の製品のメンテナンス情報等を盛り込んで、計量計測機器であれば校正まで自動的にすることができる。これはインターネットを通じてパソコンのソフトウエアを更新していることを考えればそれほど難しいことではない。

 すでに計量計測関係の大手企業ならびに中堅企業の多くはホームページを製作しているが、小規模企業でホームページを立ち上げているところはまれである。小規模企業がホームページを作らないでいる原因は簡単だ。それは作れないからである。ホームページに盛り込む情報内容はとりあえずはささやかなものでいいのだから、それは何とかなるとしても、インターネットにつなげホームページを立ち上げるための知識と技術がないために小規模企業のほとんどがホームページをもっていない。

 このような小規模企業がホームページを製作する道は一つ、ホームページ立ち上げを含めた一切のことを外部に委託することだ。ホームページに関係する知識と技術が不足している小規模企業がホームページをもつ手近で実際上最善の方法が外部委託方式である。パソコンに習熟する方法の一つに、マニュアル本を細かに読むのではなく、やりたいことを人に聞いて始めてしまうというパラシュート方式というものがあり、この方式はパソコンを使いのに非常に有効な方法であることを。パソコン使いの名手の野口悠紀雄東大教授が述べている。

 本紙スタッフは同氏の著書を読むうちにその方式をホームページ製作に用いようと密かに企んでいたところへ緊急事態が発生し、一気にホームページを立ち上げることに成功した。本紙スタッフの緊急事態というのは、用意周到に産ませた紀州犬の子犬の引き取り手にドタキャンされ、引き取り手探しに窮するあまり、インターネット・ホームページを利用することに至った。ホームページの体裁づくりとインターネットにつなげるための作業に別のスタッフが拝み倒されて当たった。ホームページに盛り込む内容は本人が日ごろモバイルコンピュータに打ち込んでいた文章を手直しすることで間に合わせた。本人のと作業を依頼されたスタッフのホームページ製作に要した作用時間は五十時間を下らない。ホームページの体裁づくりとインターネットにつなげるためのスタッフの延べ作業は四十時間ほどに達したから、依頼者は十万円を下らない代償を支払わなくてはならない。当事者間では昼飯半年分という取り決めになった。

 このホームページ開設成功事例は「窮するあまりにおのれが変じた」結果である。

 インターネット、ホームページ、情報技術革命という言葉をマスメディアを通じて見聞きしている割には、企業の規模の大小を問わず、ホームページ製作やインターネットを通じて情報検索への具体的対応が遅いのは差し迫って必要に追われていないからである。正確にはインターネットを中心的なツールとして販売および経営をも左右する情報革命の実体に疎いからである。

 インターネットとホームページは、もはや電話やファクシミリと同じものである。電話やファクシミリがなければ現代のビジネスが成立しないことを例に引くことで、インターネットとホームページの重要度と必要性を説くものである。

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■社説・公益法人を喰いものにする悪徳企業家(00年3月19日号)

(本社説は、現時点では公開をしておりません)

 

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■社説・地方分権時代と地域の計量文化の振興(00年3月12日号)

 地方分権法案には計量法の改正も含まれ、四月一日に施行される改正計量法は「地方分権計量法」時代突入を告げている。

 計量法と計量行政の目的は、産業と国民生活に係わり適正な計量の実施を確保することである。適正な計量の実施の確保ための主な対象分野は「取引と証明」に係わるということになる。商取引に係わる計量、あるいは環境計量証明に係わる分野が主な対象になっているので、この分野の計量が適正に実施されるため体制を地方行政は整備しなくてはならない。

 四月一日から計量行政は地方公共団体が責任のほとんどを受け持って実施することになっているものの、このための地方計量行政機関の体制整備は十分ではなく、実施しなくてはならないものとして地域によっては法律に定められている事項を行政行為としてこなしきれないところが見受けられる。

 計量法等の法律で定められた行政の任務を遺漏なく完遂することは当然のことであるが、これが実施されないことは住民利益に反することでもある。地方分権そのものはかんげいすることではあるが、地方公共団体が計量行政機関の任務を理解できず、その施行を怠ることが危惧されるから、この克服のために関係者は最大の取り組みをしなくてはならない。

 地方分権に関連して特定市あるいは規模の小さな県など地方公共団体は計量行政を投げ捨てる可能性がある。こうした計量行政放棄が財政難の時代に多発しない保証はないので、計量協会など計量関係団体は消費者利益の観点から地域の消費者と連携をとって監視して行かなくてはならないだろう。

 地方分権が地方行政の分解、とりわけ計量行政の分解につながらないようにするためには、全国の計量行政関係者が相互啓発しなくてはならないだろう。
 計量行政機関の内部に都道府県あるいは特定市の長の計量行政投げ捨てを許さない抵抗力があればよいが、こうした力が消失していつ関係機関の自治体から計量行政が消えることを心配する。

 地方公共団体の財政難時代であるが、計量法は民間機関、民間組織の活用を新しい法令に多く盛り込んでいるので、このことを大いに研究して、地方の実情に適合した新しい計量行政を築くべきである。

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■社説・現在の景気動向と計量計測産業の在り方(00年3月5日号)

 日本経済は長かった十年不況の底を打ったとおぼしき指標がいくつも観測される。経営者の景気判断も改善傾向がはっきりしてきたし、通産省統計の鉱工業生産の動向にも明るさが見えてきた。計量計測関係の景気動向ということになると業種間に大きなばらつきがあり、同業種においてもそうだ。全体的には今なお重苦しさがあり、苦しさは今が底といってよさそうだ。

 タイ等東南アジアに進出した日本の自動車産業は現地経済の回復傾向を見定めて増産体制に移行した。精密測定器関係企業の一部では、東南アジアでの引き合いの増加で急速な売上げの回復を見せている。また電子部品が品不足感を呈しており、調達体制の強化を急ぐ企業が出ている。

 十年不況が回復傾向を示しているとはいえ、新しい経済社会を生き抜くには従来のような経営体制では困難であり、それぞれの企業が社会の求めに応じられる独自技術を磨くなどして経営体質を強化しなくてはならない。独自の優れた技術のない生産企業や借金体質の企業には厳しい経営環境がつづくので、ここからの脱却には大きな努力が要る。

 計量計測機器産業は産業社会の基盤的技術分野を担うものであり、そのような役割を果たしている企業には将来がある。計量計測機器産業と関係企業は、計量器が法的措置によって社会的に規制するという環境の下で生きてきたことから、真の意味での独自技術を持たない傾向が少なからずある。こうした企業には規制緩和時代という今の時代はあるいは晴天の霹靂と移るかも知れないし、それはそのまま試練を意味する。

 計量法令による規制に頼ってのビジネスは、従来からの継続という意味では生きるための重要な糧であるが、計量計測機器全体としてみると規制がらみでビジネスできるのは十%に及ばないはずである。規制と無縁の計量計測機器本来の機能を実現する分野のビジネスにこそ大きな目を注ぐべきであり、したって計量計測機器産業と関係企業は間違っても通産省や計量検定所に頼って生きて行こうと思ってはだめで、計量計測機器の本来の機能を求める需要者に本来の便益を供与することによって生きて行くべきであることをしっかり意識しなくてならない。

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■社説・文明の起源と天体の観測と計測技術(00年2月27日号)

 人類が太陽や月や星の動きの規則正しいことに注目しだしたのは現在から数千年前にさかのぼる。このころから文明は急速に進み、紀元前二六〇〇年ごろにエジプトではピラミッドをつくるのに必要な測量技術などもできあがっていた。クフ王のピラミッドの土台はほぼ正確に東西南北を指している。これは天文観測を通じて得られた方位である。人類は時間と空間に関して先の先まで知りたいという本能的欲求をもっており、文明の発祥は知的欲求と連結し、文明は農業による食糧生産をもたらした。

 星の動きが季節の変化と連動することは経験を通じて分かることであり、それを法則としてとらえると農業生産に利用できる。古代文明のすべてが天体観測と何らかの関わりをもっていた。一番ふるい天体観測の証拠として棒状の物体に月の満ち欠けを記録した遺物があることも計量史研究家で日本計量史学会会長の岩田重雄博士が示していることである。文明の起源とかかわっての計量の役割の研究業績を岩田重雄博士があげており、岩田重雄博士は計量技術が文明の発生に及ぼした影響を「文明ははかることから始まった」という言葉で表現している。

 人類は幾つかの地域で様々な形の古代文明を築き、それが現代文明に引き継がれている。文明とは何か。文明を定義するのに歴史家のゴードン・チャイルドは、@効果的な食糧生産、A大きな人口、B職業と階級の分化、C都市、D冶金術、E文字、F記念碑的公共物建造、G合理的科学の発達、H支配的な芸術様式、の九項目の条件を備えている事としている。

 人類の知的欲求は宇宙の完全な理解へと飛躍しており、アインシュタインの相対性理論はこの実現への理論的橋頭堡となっている。宇宙理解の領域拡大は、天体望遠鏡の口径の拡大と比例しており、一九二九年にはハッブルが比例定数を示して膨張宇宙を予言したいた、口径が三〜四mになった二〇世紀の半ばには膨張宇宙像を確認できるようになった。八m級の天体望遠鏡をもつことによって人類は、一五〇億光年の天体観測を通じて宇宙の創生を知る手がかりをつかみ、宇宙の構成員である人類の発生と進化を演繹的に知ることを可能にしている。

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■社説・警察の捜査能力の低下と計量行政機関との対比(00年2月20日号)

 日本の警察の無能ぶりを示す出来事がたてつづけに発生しており、国民の生活の安寧の維持に不安が募る。

 京都小二男児殺人事件では犯人と断定できる岡村浩昌容疑者(二十一歳)を任意同行・事情聴取中に逃亡され、自殺を図られた。新潟小四女児十年間略取誘拐監禁事件では、同一犯行を犯していた佐藤宣行容疑者(三十七歳)を捜査対象名簿から漏らすなど、お粗末というしかない捜査が明るみにでた。

京都と新潟の事件では警察の事件経過発表の嘘までがばれてしまった。京都の事件では犯人が刃物を振りまわして逃亡していたこと、逃亡後に緊急配備をしなっかったことなどの事実を隠して自殺までの経緯を発表している。新潟の事件では、略取監禁された十九歳の女性の発見警察が直接したように発表するという嘘をついた。事実を偽る、嘘をつくということは神奈川県警の警察官不祥事事件と共通しているので、警察の発表にはどこかに大きな虚偽があるいってよいようだ。日本の警察は犯罪の捜査能力が著しく低い上に、その警察が発表することは信用できないということは国民の不幸である。

 グリコ・森永事件は、江崎グリコ社長誘拐事件、グリコ・森永脅迫事件、青酸入り菓子ばらまき殺人未遂事件等々、関連する二十八件の事件のすべてが二〇〇〇年二月十三日午前〇時に時効になった。この事件では犯人をまじかに見ながら取り逃がすなど、警察は杜撰な捜査をしており、その後の警察の面子をかけた大捜索は税金の無駄遣いとなった。犯人逮捕のために全面的に協力した森永製菓元社長の高木貞男氏は「警察に対しての感想を率直にいえば、警察はいざというときにはまったく当てにならない」と事件を振り返っている。

 警察の不始末はオウム事件の捜査でも同じだ。関係する坂本弁護士一家行方不明・殺人事件では警察はまともな捜査をしなかったばかりか事件解明の妨害までした。また松本サリン事件では被害者を犯人と思いこみオウムの犯罪であることをその後の地下鉄サリン事件までつかめなかった。オウム東京亀戸道場はビル全体が炭疽菌製造工場であることが後に判明したが、警察と関係行政機関は周辺住民の悪臭被害の訴えを聞き入れることがなかった。地元住民の声にごく普通に耳を傾け、行政機関が打つべき手を基本通りに打っていれば、地下鉄サリン事件は未然に防止できたであろう。住民無視と事なかれ主義そして怠慢の限りを尽くす警察と行政機関を恨む。

 怠惰なはずの警察および公安関係者は、オウム信者が住民票を移そうとすると、異動先の自治体に通報して、町長、区長を先頭とする抗議団の行動をテレビ放映させるという茶番劇を演出するのである。このようなシナリオをえがくことにかけては警察と公安は巧みだ。「事件」は、公安の存在理由となり、組織を維持するための道具になる。このことは事情通の「最後のトップ屋」が指摘している。警察の任務は「事件」を演出することではなない。それにしても警察の犯罪捜査や事件解明の速度と能力は低すぎる。
 なぜそうなるのか。日本の警察はもともとは夜警国家観に基づいて組織されていること、軍隊と同じ縦の命令系統をもつ組織であること、操作の指揮を経験不十分なキャリア組がとり現場意見が捜査に反映されにくいこと、などが原因である。警察自体が汚れてしまい、警察官が警察官と戦わないと正義を実現できない現実は、映画『ダーティー・ハリィー』の世界と同じである。

 悪を憎み悪に立ち向かうべき警察が本来もたなくてはならない精神をわすれてしまう組織的欠陥は、すべての行政機構に同じ道を歩む危険があるというべきだ。
 行政機関のほとんどの組織は実質上自己改革能力をもたない。すべての行動は国民のためにあるべきものだが、行政機関の行動の結果は自己組織の保持のためにあるようにみえてくる。

 行政機関の職務には国民へのサービスに関わる部分と公平な判定者の二つがあり、計量行政もこの例外ではない。国民利益の是非に関わって公平な判定者の立場をあわせもつからということで、ともすると国民へのサービス部門にまでその立場をもち込みがちであり、サービスを享受する立場の側もつい「お上」として役所をみてしまう。「最近行政機関のどこそこはいばっているなあ」という感想を、具体例を挙げて示された。その話を聞いていたその行政機関の二人のOBの一人は即座に「実力がないからだ」と答え、もう一人は「給与が上がりすぎたからだ」と言った。後者は昔は安い賃金で働き、それなりにハングリーであったという思いからでた言葉だ。

 外からの力なしでは変化しないのが行政機関の組織一般であるが、組織内部の相互啓発を通じての自己改革は、新時代における計量行政機関の役割認識につながり、それは国民利益になり、計量行政機関の再構築に結びつくものと思う。

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■社説・技術革新は必ず経済を発展させる(00年2月13日号)

 景気変動に対して経済学は様々な学派が様々な解釈をし予測もする。経済が世界的規模で動くようになれば、日本が好景気でないときには景気のよい国で稼げばよいことになる。この伝で商品を世界規模で販売している計量計測機器企業は、日本市場でも頑張るがヨーロッパ市場ととアメリカ市場でもっと頑張り沢山稼ごうとする。そのような立場のものは日本国内の景気がよいことに越したことはないが、日本が駄目だからとそう悲観することもないのである。精密機器産業のなかのある大手企業は、アジア諸国の景気拡大の予兆なのかその地域での売上げ増大が寄与して業績がV字型の図形で上昇しているという。

 日本の国内景気は依然として消費の低迷が続いている。消費の表通りともいえる百貨店の売上げの低迷が著しい。それは消費者の気持ちをそのまま反映している。百貨店の売上げとは別に新しい表通りになりそうな流通経路が景気がいいという。だから消費景気を一面的に捉えることの不適切を指摘する向きがあるが、その意見には無理がある。やはり今の日本の消費景気は悪いのだ。

 経済が停滞している状況でも、競争を原理とする技術革新という社会に仕掛けられた商品経済、市場経済のシステムは稼働しており、次の新しい飛躍の芽吹きがどこかにあるものだ。二月第一週に日本の株式市場は日経平均株価が一時的にせよ二万円を超える動きをみせた。株式市場は理屈抜きで次の経済をなにものにも先駆けて映し出すもののであるから、日本の新しい経済の発展の動きが確かにあるといってよいだろう。

 日本国内に工場設備を置く企業は、欧米の競争相手が好景気の下で稼いだ資金を設備投資に回せば、対抗上同等以上の設備投資を余儀なくされ、次の高い次元へのステップを切ることになる。株価がバブルであるとささやかれる日本のインターネット株は、この分野が急成長分野であることを物語っている。インターネットを支える技術はパソコン技術であり、パソコン技術を支える技術は半導体技術である。その半導体関連はプロセッサー性能の向上はムーアの法則に従っているので、この先当分は飛躍的発展を続ける。

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■社説・計量史学の発達と他の学問分野との連携(00年2月6日号)

 人類の地球上で大繁殖は、動物が地球表面を何らかの形で変形させたということでいえば、地球始まって以来の最大の異変である。日本において武蔵野を例に取れば江戸期以来、明治、大正、昭和、平成と続く時代を通じて林野を住宅のたちこむ姿に変貌させてしまった。「自然に優しい」「地球に優しい」という言葉は、どこを起点に何に向かって発せられているのか意味を理解するのに苦しむ。

 タイムスケールの比例的関係から見ると生物の誕生との比較では人類(ホモ・サピエンス)の歴史はきわめて短いものであり、人類が進化史上に登場してからまだ五万年ないし一〇万年しかたっていない。進化史のタイムスケールでは化石類人猿の時代が一〇〇〇万年であり、続く猿人の時代が三〇〇万年、原人の時代が一〇〇万年続いている。わずか一〇万年でこれだけ地球に横溢した人類(ホモ・サピエンス)は動物の進化の過程の端に少し顔を出したところなのだが、環境破壊や人口爆発という状況にあり、このことが人類の生存あるいは進化と結合してどのように展開するのか予測できない。人類は破滅兵器の核を持ちすぎたし、人類の生存のための自然環境を後退させた。人口爆発で食糧危機に陥ることが予測として明らかであるものの、だからといって人類がノストラダムスの予言のように簡単に絶滅するものではない。

 人類(ホモ・サピエンス)はいつかは絶滅するだろうが、同時にまた新しい別の人類への進化の可能性を含んでおり、進化の歴史は後者を予告しているように思う。進化した次の人類は、出産のための生理的限界を受けて、脳容量はホモ・サピエンスと同じで、精神能力だけが飛躍的に向上し、キリストやマホメットのような偉人と同じの精神能力を獲得するらしい。天才科学者アインシュタインのような人々で構成された新しい社会が実現する。

 新しい学問である計量史学は、考古学、歴史学分野に連結して、他の学問分野の発展を促すことが認識されるようになってきた。計量史学(度量衡史学)に疎いために考古学、歴史学分野の研究者が、せっかくの研究を生かせない事例が散見されるからである。人類の過去を正しく知ることは、未来を知ることに繋がるので、計量史学がさらに発展し、体系を充実させて他の学問分野と連携を密にすることを期待する。
 

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■社説・市場内市場の掘り起こしのための新発想(00年1月30日号)

 計量計測機器産業はこの二年続いて生産金額が対前年比でおよそ一〇%減額していて、厳しい経営を続けている。企業とも新年こそ業績向上をと各社各様の事業計画をたててはいるものの、計量器産業は全体としてみると生産財部門の生産に属する産業であるため、業種としての需要回復は一般の景気動向から切り離して考えることはできない。

 計量計測機器産業が全体として需要を減退させている中でも売り上げと業績を伸ばしている企業があることも事実で、こうした企業がどこでポイントをあげているかというと、既存の計量器産業の中の未開拓分野向けの製品を開発して市場を掘り起こしていること、ならびに計量器産業以外の新規の成長分野の市場に進出していることの二つである。計量計測機器産業は一般に先端のテクノロジーと不可分であり、先端テクノロジーを支援する基礎的技術である。発展を続ける計量計測企業は常に時代に適合した計量計測技術を保有しており、時代にかなった計測技術と計量計測機器を供給している。これに対して停滞・後退している企業は、一度稼ぎがあがった昔の技術に固執したり、昔の技術の枠の中から一歩もでないままで生産活動を続けていることが多い。

 既存分野の市場は、不況になるほど飽和感が募るもので、打開の道を見いだすことが困難に思えてくる。じっと耐えて嵐の過ぎるのを待つのも一つの方法であるが、時代に適合した新しい販売の手法、生産の手法その他を模作するのが普通である。規模が拡大しない中での同一市場での競争は得てして価格競争にになるが、これをしないで済む顧客や市場を見つけだす努力をすることは意味がある。飽和感とは自己が販売している先との間に起こっている経済現象のことでもある。

 現在まであった市場でそれまでの製品ではリピート需要を含めて市場が拡大しないか後退する現象が起こると「不況」と感じられる。そうした市場でも精密さを向上させた製品には新たな市場ができたり、精密ではなくとも堅牢性があったり低価格であることが新たな市場を生むことが多い。市場内市場の可能性を探るが一番の不況の打開策である。

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■社説・新しいメディアとしてのインターネットとホームページ(00年1月23日号)

 日本の経済はどのようにすれば再生し、新たな発展の軌跡をとって行くのか。今のアメリカの繁栄はどのようにしてもたらされたものなのか。アメリカの経済状況はビール経済、つまり泡の部分が増えていることに気がつかない浮かれ経済ではないのかという疑念が出ているものの、現在の日本の産業の力とアメリカの産業の力の差は明らかである。アメリカの経済学は日本の経済学より経営の実際に利用することでは優れた業績を挙げており学ぶべき対象である。またパソコンというニューテクノロジーの産業と経済と社会への浸透というパソコン革命の進展についても日本は米国に大きく水を開けられている。日本のパソコン社会はアメリカの軌跡をトレースすることは間違いない。

 パソコンのビジネス分野への利用がもたらす効果は、一言でいうと生産性の向上ということであり、それは事務の合理化をもたらすし、技術分野での利用の効果はとくに著しい。マイクロコンピュータは技術と技術を結び新製品を数多く生み出しており、生産性の向上についても大きな成果をもたらしている。

 計量計測機器の電子化は広く捉えるとコンピュータ技術の応用であり、このコンピュータ技術を巧みに使いこなした企業のビジネスは成功している。よく電気屋にやられたという言葉を聞くが、電気屋の全てが勝利しているわけではない。計量計測ビジネスの勝利は計ることを巧みに応用した企業にもたらされている。そこにはAを計ってBを知るといった一つの事例があり、内容はさまざまである。

 ここでの主題は新しいメディアの一つになってしまったインターネットとホームページであり、そこに不可欠のものとしてのパソコンを如何に上手に使うかということである。

 パソコンを使うのには慣れが必要であり、パソコンを使う欲求の基本は知的興味であるから、知的欲求の度合いが限界を決める。パソコン使用の社会全体としての習熟度では日本はアメリカに大きく遅れをとっている。日本人でも若者と中年・熟年の世代間格差は大きく、若者に大きな分がある。七十歳以上の日本人でパソコンを巧みに扱える者は少数のようだ。キーボード・アレルギーの少ない若者であってもパソコンの機能を使いこなそうとすると学習と訓練が求められる。パソコン教育はこれからの時代には重要であり、それは個人と企業の双方にいえる。高齢者を対象としたパソコン教育の必要について説きたいし、熟年者の奮起を促したい。

 本紙の読者でインターネット関連の記事を読んだ七十代の二人の男性は次のような感想を寄せてきた。一つは「僕は最後の最後までキーボードに触れずに済ませた」というもの、もう一つは「パソコンを使うと紙の消費が多くなる」という内容のものである。いづれもパソコン時代の直前に現役を離れたことの安堵感を前提にしたものではあった。

 計量士登録をしている者のうち企業内技術者であるいわゆる社員計量士を除くと、パソコンを日ごろの業務に使用している者は少ない。社員計量士もしくは社員計量士経験者以外の一般計量士でインターネットを利用したり、電子メールを使っている者は少数であることが関係のある会合で判明している。

 そのようななかパソコンの普及と利用の必要性は日を追って高まるのでパソコンと縁を結ばずに二十一世紀にビジネスをすることはできないから、ここは世紀最末年の西暦2000年をパソコン元年と決めて、パソコンと本格的に向き合うことにしてはどうだろうか。

 日進月歩のパソコンはインターネットがすぐできるタイプのものでも十万円ほどで購入できる。

 とはいってもパソコンは買ったとしても、そのまますいすいと使うことができない品物である。どんな方法かでパソコンを使えるようにならなければならない。パソコン教室に入って学習するのも方法であり、習熟した身近な人に手取り足取り教えてもらうのも良い方法である。計量士であれば仲間で研究会を作るのは良い方法だと思う。出来るヤツを先生にして、動かせるまでとことん面倒を見てもらうということになれば安心してパソコンを購入できるだろう。本紙は読者のパソコンに関するお問い合わせに無条件に応じている。

 同じ事として日本計量新報社が販売する計量法令のフロッピィーデスクの利用に関しても使えるまで無料で質問に応じるあらゆる支援をし、それでも使えなければ代金を全額お返しするシステムを採用している。

 また新しいメディアとして本格的に稼働をはじめた計量計測情報の有料のインターネットのホームページである「計量計測データバンク」の利用に当たってはパソコンの購入、プロバイダ契約その他一切のことを無償でアドバイスする。

 新しいメディアとして急進展しているインターネットは、個々人が備えたパソコンを情報バンクに変化させる。企業のパソコンは企業が事業をするための情報バンクになるし、計量士が備えたパソコンは計量士としての業務を遂行するための情報バンクになる。本紙が運営する「計量計測情報バンク」は計量計測関係企業と計量士その他関係者のキー情報の供給源となり、企業は最低限「計量計測情報バンク」の情報を通じて基本情報の更新と蓄積をすることになる。以上のように、パソコンは情報端末であり情報のバンクとしても機能する。

 パソコンによる情報の収集と検索あるいは提供は、ニュースペーパーによるそれと同等の存在となっている。かさばる物として運搬されるペーパーはどうしても情報を載せる容量に限界が伴うが、インターネットにおいては情報積載の容量には無限に近い。インターネットによる情報の蓄積と供給は容量の限界がないから、部厚で新聞には収まらないような情報、特定の会員だけが閲覧できる情報を供給するなど、これまでの情報の流れを超越した新次元の情報世界を形成する。

 インターネットのホームページを通じての計量計測情報はニュースペーパーに載る情報と異次元の世界を形成し始めており、その存在と価値は日を追って高まる。
 

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■社説・阪神大震災と災害に対する安全保障政策(00年1月16日号)

 阪神淡路大震災から五年になる。この地震は平成七年(一九九五年)一月十七日午前五時四十六分に淡路島北端の深度二十キロメートルで発生した。深度が浅い直下型であったためマグニチュード七・二の中規模であったものの震源地付近の震度は七という激震となり、 死者五千五百人、負傷者四万七十一人、避難者三十一万人、倒壊家屋十六万棟という大惨事を招いた。地震災害は昨年は台湾にも発生した。台湾大震災は九九年九月二十一日午前一時四十五分(現地時間)に起き、マグニチュード七・六のこの地震は阪神淡路大震災の半分ほどの被害を出した。人々の常識としては阪神地域あるいは台湾は大きな地震が発生しないというものであったため、ともに虚を衝かれた印象があるが地震はどこで起こるか分からないものであり、様々な自然災害もまた同様である。

 関東大震災が発生したのは一九二三年のことであった。関東大震災を契機に東京帝国大学理学部に地震学科が設置され、地震予知と災害対策が本格的に研究されるようになったものの、地震予知がピタリ当った試しはない。阪神淡路地震に面子を失った文部省は、文部大臣の諮問機関である測地学審議会に「現在の技術水準では、大地震の直前予知は困難」という結論を九七年六月に出させた。阪神淡路大震災の経験から日本の都市作りは、予知に依存しない防災都市作りの方向に動き出しており、JRでは独自の地震観測網を敷いていて、異常値観測にあわせて全列車を停止させるシステムの導入を順次進めている。日本の地震研究が予知に偏り過ぎていたことは事実である。予知が当たっても、発生した地震により建物や道路施設が壊れてしまったのでは何のための防災対策なのか分からなくなる。

 阪神大震災が残した教訓は多いがその中から二つだけを採り上げる。一つは普段から耐震構造の家や社会施設を作ることを心掛けること、二つはとっさの場合には頼りにすべき国や政府はあてにならないということである。

 政府は阪神地区の異常事態に対してテレビモニター以上の情報を集めることが出来なかったし、とっさに災害救助の手を打てなかった。時の内閣総理大臣は村山富市氏であった。日本の政府は緊急時にはあまり役に立たないもののようであるから、政府だけに頼らない災害救済組織をこの国が持つことが大事になる。

 地震予知に関しても政府以外にも民間がいろんな予知のための組織を形成して、それぞれが独自の立場から予知情報を定期的に発することは有効であると思われる。概して政府機関の予知に関する組織は学閥等によって支配されるため、新しい理論や研究が無視または軽んじられ、伝統的な理論に依拠することになる。また政府機関の広報はどんな形かで政治的な配慮がなされ、真実と分離することが多い。従って地震予知も経済予測における民間のシンクタンクのように政府と平行してなされてもよいのではないか。他方、予知した地震が発生しなかったときの社会的損失の大きさの試算があり、その金額は莫大である。阪神淡路大震災に関する被害は計量・計測関係の企業にも出ており、工場・事業所等が少なからざる打撃を受け、また関係企業の従業員とその家族に死者が出ている。様々な事情から被害を世間に訴え、救済を求めた関係企業と関係者はなかったが、その惨状を知る人は準備していた叙勲の祝賀会を中止して、用意した開催資金の一部を被害者救済のため寄付するという事実もあった。

 地震・雷・火事・親父ということで、ガツンとくると怖いものへの備えは大事である。震災復興に際して政府は被害者救済を民法の定めを超えない範囲という原則で通したため、被害世帯に対する救済資金は百万円程度のものであった。当時の村山内閣の無能ぶりを物語る政策措置であり、皮肉にも大惨事においては国とは国民にこの程度のことをする組織であることを示した。湾岸戦争の資金捻出のため石油税を特別に課した悪智恵は働かせるものの、自国民の窮時に対する日本国政府の情けはなかった。これは急場における寄り合い所帯の政府の脆さを露呈するものであり、日本のその後の政府に共通しているように思われる。

 国際化時代ということで経済活動が国境を超える時代であるからこそ、国民が誇りをもって故国と呼べる日本国にしなければならないし、そのような国であればこそ日本に建設的な投資資金が集まる。東海地震の懸念が続くなか、関東には直下型地震がいつ起きないとも限らないので警戒は怠れない。そこそこの地震には耐えられる家作り、都市作りの計画は大事である。過密型の都市作りを否定し、反省する時期であるように思われる。地震災害への安全保障は、侵略に対する安全保障と同じ水準で考えてよいように思われるから西暦二〇〇〇年災害に対する安全保障元年と考えて、計量計測機器と計測技術をこの方面に振り向け、新しいビジネスを創造しても良いのではないか。人間中心に物を考えると安全はこれまでの品質に注いだ注意力と同等以上のものを注いでもよいであろう。

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■社説・ガラガラポンの新しい世界と計量(00年1月1日号)

 ガラガラポンという言葉は大前研一氏がよく使うもので、世の中の常識と構造が一気に変わることや何が出てくるか分からないことを指している。

 今日の日本の経済と社会は、バブル経済の大きな爪痕が消えない状況下で十年不況から抜け出せないままアメリカが先鞭をつけたコンピュータ社会へのいち早い移行に置いてけぼりをくっている。
 コンピュータの利用は、生産活動、流通活動など産業活動と消費生活活動や学術文化活動の全ての分野に広く行きわたり、関連した活動の生産性を大きく向上させている。コンピュータはパソコン(パーソナルコンピュータ)と置き換えて表現しても基本的な概念に変化がないほどにパソコンは能力を高めており、かつ普及の速度は急である。

 その普及の様子を次の事例をもって引用しよう。
 新宿西口のヨドバシカメラはカメラの売り場よりもパソコンの売り場が大きくなっている。カメラの売り場をそのままにパソコンの売り場を隣接のテナントの権利を買い取って大拡張したのである。平日も休日も客足は多く、金曜日の夕方には勤め帰りのサラリーマンでごった返す。勤め人が個人用のパソコンを持つ現象が一般化していて、ビジネスにも個人のパソコンを利用するようになっているのである。パソコンを使うと事務能力は高まるし、有能な秘書を備えたのと同じだ。一介の勤め人が秘書を持つと言うことは想像に難かったが、パソコンの機能をフルに使えるようになることはそれをも意味する。結果はその人のビジネス能力を飛躍的に向上させ、鬼に金棒ということである。

 だが実際は日本人のパソコンの付き合いはまだまだ始まったばかりであり、平均的日本人のパソコン使い能力は幼稚園の段階といってよい。パソコンはインターネットの普及・発展により絶大な情報ツールに転換した。インターネットはそこに集積し、自己増殖する情報と知識の総体として一つの生命体のようであり、それ自体が現代における全知全能の神のような存在になっている。パソコンは全知全能の神と会話を可能にする道具といってよく、この道具なしでは明日の情報化・ハイテク社会を生きることはできない。

 計量と計測の世界における知識と情報はこれからはインターネット上に集積することになる。全ての図書情報はインターネット上にデジタル文字となって載ることになるし、全ての機器情報もネットに載る。全ての機器情報が載るということは恐ろしいほどにすごいことであり、一般のユーザーは情報端末ツールとしてのパソコンの画面にありとあらゆる計量計測機器と計量計測に関する知識と情報を呼び出せる。メーカー、ディーラーもそこに呼び出せるし、計量器に関連した計量法令もそこで簡単に知ることができる。

 以上のような計量計測関連の情報の新しい世界は本紙が運営する「計量計測データバンク」がすでにかなりの程度実現させており、今後さらに情報と知識の蓄積を重ねて行くことになるので、それはすさまじい世界を創出することになる。

 ガラガラポンの新しい世界は計量の世界でも新展開を見せていることを強調したい。 

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