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日本計量新報の記事より 社説 2002/5-8

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■社説・日ハム牛肉偽装問題と法を守る経営(02年8月25日2457号)

 雪印食品に端を発した食肉偽装が業界トップの日本ハムの子会社日本フードでも行われていたことが発覚した。日本ハムグループ会社の日本フード姫路営業部(兵庫県姫路市)は、田中俊二部長が「BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)対策の買い取り事業に輸入牛肉を出そう」などと提案し、部下三人が営業部にあった国産の空き箱すべてに輸入牛肉五百二十キログラムを詰め替えていた。また同様の偽装をした徳島、愛媛に立ち入り調査などでこうした経緯を確認した農水省は、買い取り事業を悪用して過剰在庫を処分しようとしたとみて、詐欺容疑で三営業部長を詐欺容疑で告発する。同省としては現時点では、隠ぺい工作を主導した日本ハムの東平八郎副社長(日本フード社長)と庄司元昭専務の告発を見送り、今後捜査当局に一層の疑惑解明を委ねる。

 日本フードは、スーパーや小売店などへ卸す販売会社で、今年三月期の売上高は約三千百七十八億円、うち牛肉関連事業は約千四百二十億円と半分近くを占める。スーパーやコンビニエンスストアなどによる日本ハム製品の撤去の動きに、自粛が加わったことで、牛肉部門が売上高の26%を占める日本ハムの経営に打撃を与えるのは必至だ。「ハムや加工品の『顔の見える商品』の撤去より、牛肉を販売できない打撃は大きい」(中堅食肉メーカー)と話す。日本ハムは、ハム・ソーセージや加工品事業の八月の販売数量を前年同月比で四割減と予測しているが、食肉事業は、これを上回る減少となりそう。日本ハムの今年三月期連結決算の売上高は九千四百五十億円で、食肉事業が六千三十二億円と64%を占める。牛肉関連の売上高に対する比率は26%と、ハム・ソーセージの15%、加工食品の21%に比べて高い。販売自粛や、スーパーなどによる製品撤去が長期化すれば、販売量の減少による減産を強いられ、従業員の一時帰休やパート従業員の解雇の検討を迫られる可能性もある。同社は来年三月期の売上高を前期比4%増の九千八百五十億円、当期純利益を7%増の百九十億円と予想していたが、業績の下方修正は避けられない。日本ハムは、ハム・ソーセージと加工食品の八月の販売数量が、前年同月比で約四割減となる見通しを明らかにしている。グループの牛肉偽装問題が発覚してから大手スーパーや百貨店などで同社の製品撤去が相次いだためだ。同社は、ハム・ソーセージと加工食品の売り上げが今年三月期連結決算の売上高の約四割を占めている。

 米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは、日本ハムグループの牛肉偽装問題に関連し、日本ハムの長期債務格付けを元利払いの確実性が認められるとする「A3」から、その能力が中級と判断される「Baa2」に二段階引き下げた。さらに引き下げる方向で見直しを続ける。「Baa2」は投資適格ランクとして下から二番目。ムーディーズは、スーパーなどの店頭から製品が撤去される事態が続いている日本ハムが売上高や収益面で大きな打撃を受ける可能性があると指摘。ブランドイメージと財務の健全性に深刻な影響が出る恐れがあるため、今後も特に消費者の動向を注視する。

 日本ハムの株式は牛肉偽装問題の発覚を機に急落。1400円台だったのが838円(15日終値)まで下がりしている。

 詐欺罪で告発される日本フードの親会社の日本ハムは、2002年1月より全社レベルで「新鮮度管理システム」を導入することを2002年1月22日付けで発表している。新鮮度管理システムとは、「より美味しく」「より安心して」「より安全に」ハムソーセージを提供するために、原料の調達から、製造工程、そして物流工程から店頭へと、低温度管理(5℃管理)を徹底することにより、全ての工程で、細菌などを「つけない」「増やさない」ということを厳しく追及していく、 日本ハム独自の、ハード面とソフト面での総合システムであるとしている。製造においては@原料の鮮度、規格管理、A製造工程での鮮度、衛生管理、B衛生管理、検査体制の監視、指導。物流においては@5℃配送の徹底、A積み込み、積み替え作業のスピードアップ、B配送温度管理。店頭においては@店頭販売状態の確認である。以上に関連して、@連続生産ラインによる、「規格基準管理」、AHACCP遵守による、「衛生基準管理」(ハムソーセージ製造全工場で既に取得)、BISO14001認証による、「環境基準管理」(ハムソーセージ製造5工場で既に取得、平成14年度において、ハムソーセージ製造全9工場で取得完了予定)が行われる。このシステムの導入により主要ブランドウインナーソーセージが保存料を使用せず、賞味期間が変わらないまま提供できる。

 日本フードは日本ハムとは別会社であるとはいえ、グループ企業であることを商品販売に関してうたい、経営は日本ハムの意志で行われている企業であるから、日本ハムの倫理的責任は免れない。

 日本ハムグループの日本フードの狂牛病問題にかこつけた補助金搾取事件の様子を観察すると、法を守ること、社会的不正義に対して厳しい自己規制を課することが、様々な管理の前提になっていることがわかる。法に触れる不正を働き、また法に触れなくても人々に納得されない行為を平然と繰り返す企業に対して、社会は法による制裁あるいは不買行為などによる制裁を加える。現代は情報化社会であるから不当、不正な行為を行う企業に対しては法以上に消費者が強い制裁の行動に出る。

 計量器関係でも談合問題で同様のことがあった。公務員による別のかたちの違法行為も発覚した。社会規範は法によっても形成されるが、法の追随が遅れている分野では消費者大衆が不買等の手段で企業に新しい規範を求める。つねに時代は動いており、外形は同じでも内容が変化していることを人は知らなくてはならない。

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■社説・「はかる」ための7つの知恵(02年8月11日2456号)

 「はかる」ことは知ることに通じる。だから、はからなければ物事は分からない。人類は「はかる」ことを通じて文明を築いてきたのだと計量史学者の岩田重雄博士は言い切る。物事を細かに知ろうとすると、大きなものをきちんとはかること、そして細かにはかること、またあらゆる要素をはかることが求められる。あることを求めるのにアプローチの仕方はさまざまであり、1つだけが正しいということはない。

 「はかる」ことを計測と呼んだり、計量と呼ぶ。それは測定だ、というのまで出てきて議論は果てしなくつづくのであるが、この種の議論は幾ら重ねても徒労に帰する。同様に「はかる」に漢字を当てて、「計る」と書き、また「測る」と書き、そして「量る」と書く。この3つを重ねて『計る・測る・量る』の題名を付けた本が講談社からブルーバックスシリーズとして出版されている。念のいった書名であるが、誤解を恐れたためか、洒落の一つかわからない。

 はかることを説明するのにJISの計測用語や計量法上の定義を持ち出すのはやさしい。しかし、はかることを広い意味で定義しようとすると、それは知ることというようなことになってしまう。『計る・測る・量る』の著者は、「はかる」ことの知恵として7つのことを示している。@比べる、A並べる、B釣り合わせる、Cうつす、D数える、E見る、見せる、F揃える、がそれである。この種の知恵は7つに限らず、際限なくつづくようであるが、あげていくと切りがない。

 「はかる」ための7つの知恵は、どんな状況下でも生きている。この7つの知恵を知ろうとすること、つまり測定に対してどの方法を用いればいいか色々と試してみたらいい。押して駄目なら引いてみるのが、すべからく物事の方法である。押して、引いて、いなしてみると物事は何とか上手くいくものである。7つのはかるための知恵を活用すれば、はかれないものがはかれるようになる。つまり、分からないことが分かるようになる。

 物事を推し進めるのに一途なのはいいとしても、硬直的であってはならないことの戒めとして、はかるための7つの知恵を思い出したらいい。著者は卓抜な計測の研究家であった上、科学史の世界に転じて業績を残し、科学方法論でも大学で講座をもっていた、われらの尊敬する人である。

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■社説・計量器のメンテナンスビジネス(02年8月4日2455号)

 計量計測機器は自動車に似た要素をもっている。自動車は人や荷物を運ぶための機械であり、その機能を維持するために整備を要する。計測機器は計ることを目的とした機械であり、初期の機能を維持するために所用の手を掛けなくてはならない。計測機器の機能維持およびその性能確認の作業はメンテンナンスと呼ばれたり、校正と呼ばれたり、修理と呼ばれたり、定期検査前の整備、その他さまざまな呼ばれ方をするが、これらは自動車の性能維持のための整備と同じと考えることができる。

 はかりをはじめ計測機器は、当初の機器購入費用に加えてメンテナンス・整備費用が求められるものである。これを省くと痛い目にあう。次のような事例があった。魚を扱う卸商が使っている電子はかりはマグロの肉20kgを18kgとして計って売っていた。その差2kgを長い間知らずにいたので、想定した利益を削って商いをしていたことになる。

 20kgのものを18kgとして計っていた電子はかりが不具合を生じたのは、載せ台の下から水をかぶってロードセルが痛んでいたためである。モノを計って売るという行為に関わって使われるはかりの性能保持の重要性がここに現れている。18kgしかないものを20kgとして取引していたらどういうことになるであろう。

 製造現場に関わる計量器の不具合がもたらす損失の事例もある。粉や液体等の物体を混合してある種の合成物を作ることは広く行われていることである。混合用の計測機器が整備不良などにより初期性能が劣化し、予定されない不始末な混合結果が出たため、一連の作業の全てを無駄にしなければならなかった。この場合はその作業そのものが全て無駄になり、混合した材料の全てを破棄する結果となった。

 こうした事例を列挙するのに材料は事欠かないというのは残念なことであるが、その発生原因は計量機器および計測設備は整備・メンテナンス抜きでは機能させることができないという認識が欠如していることにある。

 計量法は一部の計量器に対して検定および定期検査などを設けて、機械の性能維持のための整備に類する作業を強制して、取引と証明の適正化を実現して社会の安定をはかっている。

 一般の産業設備などに用いられている計量計測機器は、法の側から性能維持を強制されることがないこともあって、その整備・メンテナンスが疎かになりがちである。工場の大きな設備は整備するけれども、計測機器および計測システムの整備が疎かになることが特に多く、この結果生ずる損失は先に事例を挙げたとおりである。

 以上のような事例を考えながら計量器産業を見ていくと、これまでの見方と違った見方がでてくる。はかり産業の2001年度生産額は763億円(前年度比98%)であった。これは日本はかり工業会が会員企業の生産報告にもとづいて集計した結果の数字である。非会員企業の生産額のことはともかくとして、GDP的視点から日本のはかり産業の実態をとらえると違うものになる。

 はかり企業のなかには整備・メンテナンス・修理の業務が事業全体の50%を超えるというところが少なくない。また、はかりの卸および販売に事業者の関わりを考慮すると、日本のはかり産業の総生産額は先に挙げられた数字の2倍は超えていることであろう。

 日本の自動車産業が自動車の生産額だけから、その産業実態を捉えることができないように、日本のはかり産業あるいは計量計測機器産業も同じような見方をしなくてはならない。

 計量計測機器産業は、計量計測機器が整備・メンテナンスを除去しては成立しないことを考えると、今後とも小さくないビジネス分野であることが浮かび上がってくる。どの程度の地域を事業者がビジネスエリアとして行動するかは別にして、計量器のメンテナンスビジネスが立派な仕事として自立している。

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■社説・固定観念は一度捨ててかかれ(02年7月28日2454号)

 技術が進歩し経済と文化が変わると世の中の常識が変化し時代は変わる。コンピュータは今なお発達をつづけ、経済社会システムはコンピュータと深く連動するようになった。買い物は現金決済からカード決済へと移行しつづけており、また銀行の窓口は数年の間に半分以下に減るであろう。お金の持つ機能をコンピュータが代行して処理するようになるからである。

 コンピュータ利用の社会への大きな広がりにより、またコンピュータの能力の発達がつづくことにより21世紀はコンピュータ社会になる。これをサイバー社会ともいう。人類の知識・技術などすべての情報がインターネットの世界に蓄積され、これと連動して企業活動、文化活動などすべての人間活動が行われるから、インターネット社会ともいわれる。

 コンピュータの能力の飛躍的な向上と知識技術などすべての情報の蓄積庫としてのインターネット世界の発達は、個人が頭脳のなかに保有している特別な専門知識をそのなかに保有してしまう。技術熟練者の機械加工技術その他をコンピュータが代用するようになっている。自動旋盤がそうであるし、自動溶接機がそうであるし、また複雑な機械の組み立ても自動組み立て装置がやってしまう。弁護士の能力、会計士や税理士の能力にしても同じである。司法書士の書式はコンピュータにインストールされている。法律の問いをキーボードで打ち込めば回答が出てくる。ほとんどの法律がCD・ROM1枚に入ってしまう。計量法とその関連法規にしても本紙では解説を加えてCD・ROMとして販売している。そして本紙が運営する『計量計測データバンク』からその文書を直接に引き落として(ダウンロードして)使用できる。この分野は有料である。

 これまでは専門的な知識を身につけるために多大な労力を費やしてきた。企業で働く人々も必要な知識を養い技術を身につけるまでに相当数の年限を費やしてきた。企業内におけるこうした教育・訓練は21世紀は別のものになる。

 以上のように知識・技術などすべての情報がインターネットの世界に構築される21世紀社会に対応するためには個々の企業、個人、団体その他はどうすればいいか。企業も個人も団体もすべての者がインターネットにウエブサイトを持ち、自ら情報を発信する。企業活動は商品情報を発信しなければ成り立たないから、自ずとその方面の情報量は増大する。競合他社より優れていることを証明するためにも、自己が保有している専門情報を何らかの形でウエブサイトに載せることになる。そのような動機付けによってインターネットの世界は情報の蓄積率が高まり、ここに人類の知識が集積される。

 こうしたインターネット社会に対応して生きていくために個人が身に付けなければならない事柄がいくつかある。それはコンピュータを扱えるようになることであり、しかもその扱いに習熟することである。機能を使いきれるようになれ、という言い方もできる。そして情報発信能力を身に付けることである。情報発信しまた相手とコミュニケーションを上手にするには説得性のある論理展開力を身に付けなくてはならない。またコミュニケーションとは言語でするものであるから、言語力がなければならない。日本人に英語の能力を求めても無理があるのでせめて日本語をまともに使える能力を身に付けなくてはならない。

 コンピュータ社会になって過去の常識がくつがえり、写植の技術などのように個人が蓄積した専門知識さえも一夜にして不要のものとされる時代であるから、固定観念は一度捨ててかからなくてはならない。

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■社説・デフレ時代の企業行動(02年7月21日2453号)

 現在の日本の経済がデフレ状況にあることは誰も否定しない。歴史を振り返るとデフレはインフレのあとに発生した。日本の平成不況と平成デフレはバブル経済のあとに発生した。バブルの引き金になったのは、昭和60年(1985年)9月のニューヨークにおけるG5でのプラザ合意である。日本の膨大な経常勘定の黒字を是正するために内需を拡大するという国際的な合意(プラザ合意)をした。合意実現のために低金利政策を長い期間実施した結果、マネーサプライが過剰になり、バブルが発生した。

 日本経済は明治以降何度かのデフレに見舞われている。明治期には西南戦争(明治10年2月から9月)に対応して戦費調達をするため、政府は不換紙幣を明治9年末から2年の間に50%も増発した。これがインフレをひき起こし、沈静策にデフレ政策をとった。大蔵卿が松方正義だったので松方デフレと呼ばれている。松方のデフレ政策は妥協を許さない激しいものだった。企業倒産と失業者が続出し、全国各地で政府に対する反乱事件が起きた。このデフレ政策では回収した紙幣を消却して政府発行の紙幣を銀の表示価格と同等にした。紙幣への信用が回復したところでデフレが収束する。

 しかし、そこには思わぬ幸運があった。日本銀行が明治15年に設立され、同18年には兌換銀行券が発行され、銀との兌換が実施された。銀との兌換があやであった。世界の正貨の趨勢が銀から金に移行中であったことから、この期間に銀価格の低落がつづき、そのことが下がりすぎた物価をほどほどのところに戻すように機能した。緩慢に値をさげる銀価格がインフレーション要素となって上手く機能した。緩慢な物価上昇によって経済が立ち直った。

 松方デフレ政策にたいして福沢諭吉は、「次第次第に下落せしめ、知らず識らずの間に」物価を平常に戻せと論陣を張った。急激すぎる引き締めがもたらす弊害はここでは銀価格の緩慢な低落によって救われた。経済の過熱にどっと水を掛けてはいけないという教訓はその後生かされていない。

 つづくデフレは第一次大戦後の経済過熱の反動からくる昭和恐慌である。浜口内閣の大蔵大臣井上準之助は、昭和5年(1930年)1月から同6年12月まで丸2年にわたって極端なデフレ政策をとった。井上デフレである。これにより非常な物価の下落、失業の増大、企業倒産が発生した。この前後には昭和4年(1929年)10月のニューヨークの株価大暴落があり、1933年にはアメリカで金融恐慌が発生している。また満州事変も勃発し、関東大震災も発生した。浜口、井上とも昭和6年の暮れにテロの凶弾で死亡し、浜口民政党内閣は幕を閉じる。

 代わった犬養毅政友会内閣ができ、高橋是清が大蔵大臣に就任して、井上のデフレ政策を転換した。デフレ政策によって余力ができていた生産力で軍需品を生産し、これを赤字公債で調達した資金で軍が購入した。この結果、企業収益が向上し、失業も減った。このとき物価はあまり上がらずインフレを招くことはなかった。高橋是清は国民の喝采を浴びる。しかし赤字公債が機能したのは生産力に余裕がある間だけであり、軍部が赤字公債を乱発したためその後とんでもないインフレを引き起こす。井上準之助は日露戦争の戦費調達の外債の借り換え、軍事費の削減をも考慮して金解禁を含めたデフレ政策をとっていたことを、城山三郎は『男子の本懐』で書いている。

 第二次世界大戦後の日本の経済は猛烈なインフレに見舞われた。昭和20年の終戦から昭和23年にかけての物価上昇はすさまじいもので、預金は値打ちを失った。これは昭和25年6月に発生した朝鮮動乱で救われる。

 急激な物価上昇を抑えるためのデフレ政策を発動したのが、連合軍最高司令官の経済面における最高顧問であったドッジである。ドッジは昭和23年12月18日に財政の均衡を絶対原則とする経済安定9原則を出し、昭和24年度と昭和25年度の予算を自ら編成した。いわゆるドッジラインである。政府配給物資の公定価格とヤミ価格には大きな隔たりがあり、経済が正常に機能していなかった。ドッジはこの価格差をなくす手段としてデフレ政策をとった。政策が動き出したところで朝鮮動乱が勃発する。これによって戦後の混乱から景気回復に一気に向かって行く。アメリカの日本占領政策がこの時点で大転換し、経済政策も変わる。朝鮮動乱がなければこのとき日本は深刻なデフレに突入した。

 デフレは経済の狂乱のあとに到来する。平成デフレはバブルのあとに発生した。このデフレが明治の松方デフレ、昭和の井上デフレ、戦後の短期間だったがドッジ・デフレと比較してどのようなのか。その性質・内容はどうなのか。そしてどのような形で収束に向かうのか、予測は難しい。

 しかしデフレのときに現れる経済現象には共通したものがあるので、対応もまた見えてくる。デフレになると企業の売り上げが減少する。意図せざる在庫が増大し、設備が過剰になる。そしてコスト割れから収益が減退し、赤字になることが多い。これが雇用に影響し、雇用者の所得は減少する。企業ならびに雇用者の所得減少がつづくと需給ギャップはさらに拡大し、物価はなお下落する。この悪循環ががつづくことがデフレ・スパイラルであり、デフレ・スパイラル現象の継続こそがデフレである。

 デフレ時代の経営はどうあるべきか。製造業に関係した企業であれば、旧来の仕事に関係のある技術を応用し、あるいは拡大して行くことである。大事なことは、時代の新しい技術の波を上手くつかむこと、コンピュータ時代がもたらした産業構造の変革を意識すること。これまでの仕事の延長線上で見えてくるニューフロンティアを発展させて行くこと、などである。計量器産業の横には包装機器産業があった。流通関連産業があった。また産業廃棄物処理の産業があった。環境計測のビジネスは大きく拡大した。時代は変わる。したがって企業も人も時代を見据えて行動することが求められる。

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■社説・生き残る企業と生き残る人(02年7月14日2452号)

 現在の日本の経済がデフレであることを否定する人は少ないであろう。デフレ時代に発生する経済現象には共通した特徴があるからその特徴をふまえて企業と個人は行動するとよい。デフレは次のような定義といっていいだろう。

 デフレになると企業の売り上げが減少する。意図せざる在庫が増大し、設備が過剰になる。そしてコスト割れから収益が減退し、赤字になることが多い。これが雇用に影響し、雇用者の所得は減少する。企業ならびに雇用者の所得減少がつづくと需給ギャップはさらに拡大し、物価はなお下落する。この悪循環ががつづくことがデフレ・スパイラルであり、デフレ・スパイラル現象の継続こそがデフレである。

 デフレ状況下では企業倒産は増加する。企業収益が上がりにくいからだ。税収も上がらないから国庫収入は減る。在庫増大と設備過剰から商品価格は低落し、諸物価が下がる。企業の雇用能力が減退するので雇用が減少する。金利は下落する。商工業者の不振はつづき、農業従事者も困難が増大する。雇用者は賃金の支払いが困難になるが、物価下落ほどには賃金は下落しないので賃金の受取手には物価は安くなる。しかし勤労者は雇用不安に悩まされる。インフレの円安、デフレの円高という現象が現れる。円高は輸出に不利であり、国内産業はなお一層振るわなくなる。

 経済のデフレはいつまでもつづくものではないが、それが収束し穏やかな価格上昇に移行するリフレーションに何時移行するかはとらえにくい。かつては戦争が刺激になってそうなったが、現代では別の面から脱デフレのための景気刺激をし、内需の拡大をしなくてはならない。次世代産業育成のためのインフラ整備、遅れいている下水道普及その他の生活関連のインフラ整備などの公共投資は有効である。それにも増して有効なのは新しい技術の産業が興ってくることである。イノベーションが次の新しい経済の発展をもたらす。

 現在の平成不況と平成デフレがバブルの後遺症によって発生したものであると同時に、コンピュータ時代、情報化時代、国際化時代という新しい時代と社会ならびに産業のミスマッチから生じたものといってもいいだろう。古い無用な部門は必要以上に淘汰される。生き残るものはどんな形かで自己を変化させている。産業構造は明らかに変化しており、中国その他途上国でのモノの製造との競合あるいは棲み分けが必要になっている。国内でやれること、海外でなければやれないことを見極めなければならない。

 企業はやはりこの会社のこの技術この商品このサービスということで社会と需要家から必要とされなければならない。同様に働く人々はその職場において余人をもって代え難き存在であるように自己を訓練しなくてはならない。

 企業で働き経営にかかわる人材に求められるは、ビジネスマンとしての総合的能力である。項目をあげると情報収集・分析力、意思決定・判断、戦略的思考、顧客志向、計画管理・財務管理、ITリテラシー、英語リテラシー、イニシアティブ、コミュニケーション、チームワーク、セルフマネジメント、変化への対応という各種の能力ということになる。

 会社を寄りかかる大樹と考える人は会社人間であるが、いまの時代は会社人間になってはならない。会社人間になることを拒否して、会社を自分を教育してくれる道場と考えると、難しく嫌な仕事でも訓練と捉えることができるので、リアルなケース・スタディを消化でき、経験を重ねるほどに実力を養うことができる。

 さきに挙げた能力のいくつかの項目がまともにできればそれでスペシャリストといえないこともないが、その職場に欠かせない仕事の項目で人よりもはるか図抜けて才能を発揮することが大事である。いまの時代であれば部門の合理化を推進するための創意工夫によって新しい状況を切り開くことである。このように他の人が真似できない特殊な才能を身につけるよう努力しなければならない.そうした才能を身につけた人はどんな職場でも通用する。

 以上のことをごく簡単にいうとファイティング・スピリッツである。ファイティング・ポーズをとれない人は仕事を放棄した人であり、そのような人には明日はない。

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■社説・団体の事業計画文書の欠陥事項(02年7月7日2451号)

 計量関係の団体総会に提出される議案書をみていて奇異に感じることがある。それは事業報告など報告事項を詳細にもりこんでいるにもかかわらず、事業計画は事業項目が簡単に記載されているだけであることが多い。収支予算案と決算報告はともに細かに記載されているから尚更である。

 前年度事業を継承するのであればその理念や実施計画はそこそこ細かに文書にできるはずである。事業計画に関して担当の役員、事務局員はその実施に意欲をもっていることだろうから、その意欲のほどを文書にして提出させ議案書にもりこむべきである。そうした改善によって会員の事業への理解と参加意欲は促されることになるであろう。そうであるべきなのにどうした訳か、議案書には事業報告文書の枚数だけがかさんでしまう。

 事業計画に関する説明文書こそが団体が実施しようとする内容を現すのであるから、その文書と結果のずれを恐れることなく勇気をもって議案書に詳細をもりこんではどうだろう。事業計画書に内容を詳しくもりこめないようではその意気込みが不足しているといっていいのではないか。会員に対しての説明責任という観点からも改善が求められる。

 議案書に書きこめない不確定要素が多いということであれば、参考資料の形で書面を添えるといいであろう。ある団体総会の議案書の内容の貧しさにたわきの声をあげた識者がいる。しかし、その団体の議案書は十年一日のごとくで何の変化も無い。人を食ったような、木で鼻をくくったような事業計画の書面がいつまでも総会に提出されるようではその団体の発展はおぼつかいないように思われる。

 繰り返すが、計量団体の事業は次期総会時の事業報告を待つまで内容がわからないという事態は改善すべきであろう。

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■社説・公務員の委員会への参加と結果の公開(02年6月23日2450号)

 JIS、ISO、OIMLといったローマ字の略称がある。これは規格、基準等にかかわるものであり個別の意味の説明は省く。規格と標準化は世界の工業・産業などに公平であるべきなのだが、それぞれの国や地域が自己に優位なように戦略をたててその立案作業のイニシアチブをとるため、出来上がったその内容はある国に優位であり、ある国には不利であり、同時にある企業には優位であり、ある企業には不利なことが多い。

 日本の場合にもこうした規格制定で不利な立場に追い込まれて不当にも不利益を受けることがないように必要な主張はして、納得のいく内容になるように導かなくてはならない。こうした規格に関係する国内委員会は、関係する公益団体に国などから委託されることが多く、その業務は意味がある。委員には関係業界の代表、その他が選ばれ審議されることになるが、ここに必ず所管の技術系および事務系の公務員が加わる。国として必要な業務をする委員会であるから公務員がそこに参加して、能力を発揮することは当然であり、その仕事には大きな意味がある。

 そのような国として、また国民の立場からも重要な仕事の結果が、委員会と委員会を設けている団体の外に伝わりにくいという現象があり、このことを疑問視する率直な意見がそこで仕事をしている公務員から出される。

 国、国民のため、日本の産業界のためになされている公明正大な関係の仕事の結果が、実質的に公表されるための工夫を望む。国の機関の仕事に透明性が求められているのであるから、JIS、ISO、OIMLに関わり、対応する仕事をした公務員は、自らの仕事の透明性を確保する意味からも、仕事の結果を一般に広く公開することが好ましいと思うのは当然のことである。

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■社説・指定定期検査機関と計量士と計量協会(02年6月16日2449号)

 地方の計量協会など計量関係の団体総会があいついで開かれており、そうした会に出席していて感じることがある。それは計量協会という組織が実際的に計量法の事業規制と関わりが大きいということである。計量法の事業規制にかかる基準が緩和されあるいは撤廃されると、そうした事業分野の人々との縁が薄くなり、会員を止める傾向が出てくることである。

 販売事業関係では質量計は相変わらずというかそのままであるように見えても、登録制が届出制に変更になり、届出制では更新が不要になったことから、登録制の時代にあった再登録に連動する講習会受講と手続きの代行ということでの計量協会会員であることの実益が薄れてしまった。計量器製造あるいは販売の専業者は関係情報の収集と交換に意味を求めて会員でありつづけているが、そうでない人々の退会傾向が目立っている。また届出制の規制そのものがなくなった体温計と血圧計の販売事業者は計量協会との縁を感じなくなったようで、退会の動きがある。

 こうした状況をみると計量協会と会員との縁は本音のところでは、計量法の事業規制に関わってということになる。しかし、そうではないという会員もいる。会社事業と分離して協会事業に献身的にまた積極的に取り組んでいる人々である。計量協会は大なり小なりこのような人々に支えられて運営されている。 そうではあるが年を追うごとに会員が減少する団体というのは元気がなくなるものである。事業規制という法の縛りとは関係なく計量協会が運営できればそれに越したことはないが、実際には無理である。そのように無理な状況下で計量協会運営に携わっている役員、事務局員の苦労を察して余りある。とりわけ事務局職員の苦悩は募っており、自棄(やけ)を起こしかねない状況にある。

 今日まで味方であった者が明日は敵になるというのが世の習いであるが、計量協会で重要な役職にあった代表者が役職を退くと、途端に協会から退会するといった事態が発生する。その背景となるものはなんであるか、深く考えると心寒くなる。 現在、地方の計量協会に期待がかかっている仕事が、はかりの定期検査および計量証明検査の実務である。地方分権化に付随する特例市制度などに伴って、計量協会にはかりの代検査がまるごと依頼されたり、指定定期検査機関・計量証明検査機関に指定されることである。この業務は民間機関でも実施できるような法体系になっているものの、現在のところは計量協会に依拠してはかりの定期検査を実施する特例市などの自治体が多い。

 計量協会が実施するはかりの代検査あるいは指定定期検査機関として指定されて実施するはかりの定期検査は、実質上は計量士有資格者と各種の作業員などある程度の人員を確保すればいいことになる。小さな県の場合にはその人員が10名あれば十分である。実際的に依拠しているのは計量士制度であり、その県の計量士会のような組織になる。指定定期検査機関あるいは指定計量証明機関として指定を受ける計量協会は名目的ということになる。その名目的な計量協会が「第二計量検定所」という機能を備えつつあり、そのような役割を担っていくことになる。

 計量協会の会員が減りつづけるなか、協会が検定所と似た機能を備えて社会的な役割を増していることは矛盾であり、皮肉でもある。検定所や検査所が実施してきたはかりの定期検査業務などの機能が計量協会の業務に移されてきており、その業務の実質的な実施者は計量士であるから、計量士と計量士が所属する計量士会の責任は大きい。会員規模の小さな計量士会では指定定期検査機関として指定を受ける要件を欠くことになるから、都道府県単位の計量協会などが指定を受けて業務を推進することになる

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■社説・地方の計量器産業振興と自治体行政(02年6月9日2448号)

 計量・計測と関係機器に関係した事業をする世界を計量業界という場合がある。それより広くいう場合には計量界という用語が通用しており、最近では計量の世界という言い方が広がってきている。

 計量器産業に関わる事業者は広範囲であり、その一番に広範囲な世界をまとめていたのがかつての(社)日本計量協会であった。同組織は3年ほど前に(社)日本計量振興協会となり、ここには(社)計量管理協会と(社)日本計量士会の事務局を含む組織が一まとめになった。

 旧来の(社)日本計量協会は地方の計量協会などを組織構成員にし、地方計量協会は計量器事業に従事する企業と個人を会員として組織していた。会員構成員の圧倒的多数は計量器販売事業に従事する人々であり、とりわけ体温計と血圧計を扱う薬局系の会員が多かった。現在は計量関係事業がきわめて緩やかな規制である届出制となり、その後体温計と血圧計を扱う事業が届出制の対象から除外されたため、関係事業者の計量協会からの退会傾向が顕著であり、ある県では10年ほど前に2000社あった販売系会員企業が300社ほどに激減しており、500社ほどに落ち込んでいる協会が少なくない。

 計量法の販売事業の規制が登録制のころには、再登録に連動した講習会受講が実質上求められ、このために計量協会に加入していなければならなかった。販売規制が届出制に移行して以降はこうしたことが必要でなくなった上、つづいて体温計と血圧計を扱う事業が届出対象から除外されてしまった。善意に根ざして「計量思想の普及」のため計量協会の組織会員にとどまっている会員事業者は敬服の対象であり、地域社会に貢献する企業といっていいが、多くの関係事業者の退会傾向は顕著である。地方の計量協会の会員数をみた場合にはかつての組織数とは比較できないほど激減したところが多いのは残念であるが、それが現実である。

 地方の計量協会は会員である販売事業系会員はじめ関係会員のために実施できる実利ある事業を創出してゆくことが求められている。計量協会の会員は、正しい計量が実現されるべく意を尽くしそのために活動するボランティアであることは確かであるが、他方では自己の事業に関係して必要な計量関係の知識をここから得ることを求める組織でもある。

 このことを考えるならば、地方の計量協会組織は、会員が必要な知識・技術などを得られるような事業をいま以上に実施した方がよい。事務局体制が十分でない場合には計量協会を足場にして必要なことができる場をつくるべきである。地方で計量器工業に従事する者、あるいは計量器販売事業に従事する者が必要な知識を獲得できないようでは、そもそも事業などできない。これまでの計量器業界あるいは計量の世界は、計量に必要な知識・技術を「お上」のような組織から教えてもらうという観念に支配されており、そのように行動する人々が多い。

 必要な知識は自分から積極的に入手行動するのが当たり前で、そのようでなければ事業などできるはずがない。役所が関係組織に計量法令の理解を促すための意識が低下させていると思われる現状があり、地方の組織はその説明能力さえ持たないところが増えている。

 経済産業省などもそれがどんなに不十分な組織であっても中央団体として組織されている団体を業界団体として理解し、そことの連携だけで業界把握ができていると勘違いする事例が少なくない。担当の係官が指導する団体組織の職員の説明を鵜呑みにして、なすべき仕事を実質上放棄するようになるのは、このような事情からうまれるのである。

 地方の計量協会に組織されている善意の計量関係事業者の実情に目を向け必要な施策をすることは計量器産業の振興の観点からも必要なことである。適正な計量の実施の確保を目的の過半にする計量法施行の立場からも、地方計量協会に組織されている会員事業者にもっと目を向けて、聞くべきことを聞いて、公平性のある行政施策を実施すべきである。その任務は地方分権時代である今日では地方公共団体の仕事でもあるのだが、行政組織と係官の間にこの方面の意識が著しく低いことは驚きでもある。

 計量法に関係して、また計量器産業に関係して計量器の技術・知識などさまざまな必要事項は、関係の政府系の行政機関、研究機関、公益団体などから提供されている情報によっても得ることができる。日本計量新報社が開設しているウェブサイトである『計量計測データバンク』(アクセスには有料部分と無料部分とに分かれている)は、以上のような計量計測のウェブサイトとリンクされており、計量計測情報のプラットホームとしての機能の他、膨大な独自の法令知識、技術関係情報の集積とあわせて、世界で一番素晴らしい「計量計測ウェブサイト」を形成している。事業に必要な知識、仕事に必要な知識、学習に必要な知識と関係技術をインターネットの世界を通じて得るのが現代というコンピューター社会の常識になっている。地方の行政機関を含めて関係の計量組織がささやかであっても自分がもっている知識その他をホームページという呼び方で定着したウェブサイトとして形成することによって、隅々まで行き届いた計量知識の宝庫としての「計量計測の世界」を組織することになる。そうした場合には日本計量新報社のホームページである『計量計測データバンク』は、その機能を向上させる。現にインターネットの世界は日々すごい速度で発達している。同じ勢いで『計量計測データバンク』はそのデータ量を増大させており、機能を向上させ有益性を高めている。『計量計測データバンク』は無料の部分だけでも有益性は驚くほど高いので、一般の産業界の人々を中心に毎日大変な量のアクセスを記録している。

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■社説・団体総会の意義と懇親会の在り方(02年6月2日2447号)

 賑やかな人、静かな人、遅れてくる人、早く帰る人、役人や肩書きの大きな人々に特別な気遣いをする人、紳士だけれども欠点もある人などが集まって計量関係の団体総会が開かれる。総会議題の議論をどの程度深めるかということはそれぞれに事情があり難しいことではある。慣例があり、社会事情などに大きな変化がない場合には総会審議で議題の内容が逆転することはきわめて稀である。

 計量関係をとりまく環境の一つに計量法令と計量行政機関制度、計量公務員制度がある。これら制度は計量器産業や計量業界団体の在り方を規定し、制度の変更はその在り方に変更をもたらす。ここ数年の環境変化は団体の在り方に大きな変更を求めることになり、その作用はいまなお続いている。したがって関係団体は新しい環境に適応するための模索を続けており、そのことが団体総会の議題にさまざまな形で反映している。団体の組織体制や事業活動の新しい在り方は、幾つかの機関会議を経て総会に付議されることであろうから、総会は考え方をよく説明し確認する場として機能する。

 総会に付随する懇親会は、事業など団体運営に必要な執行体制のためのコミュニケーションの場として重要な役割をもつから、その役割を充足させなくてはならない。役員は他の役員と心を分かち合うために交流し、また関係会員ともうち解けた話し合いをしなければならない。関係官庁の職員には団体活動を正しく理解してもらうために、くだけた会話を通じて平易に説明することもまた必要になる。

 このようにして団体総会後の懇親会が開かれておりコミュニケーションの場として意義をもっている。その懇親会では関係の役員の本音と本質があらわになった社交が行われるから、互いを理解するために有効でもある。酒が入った途端に人が変わったように饒舌になり、自分のことだけ話す人がいるが、これを喜んで聞く人がいるので世の中は良くしたものである。懇親会場で醜い状態と思える光景は、団体幹部役員が一般の会員をそっちのけで来賓の公務員に最上級の気遣いをしていることである。会員あっての団体であり、役員であるのだから、日ごろ交流の機会が少ない一般の会員との交流にこそ心をくだくのが本来の姿勢であるように思われる。

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■社説・技術発展と法令および社会制度の調和(02年5月26日2446号)

 技術進歩と法令・規則等の適合をはかることはむずかしい。計量法が機械式など既存技術で法令を組み立てているなかで急激な技術革新がおこり、市場で主流を占めだした新しい技術にもとづく計量器に法令が対応できないという事態がしばしば発生する。現在の計量法がこうした新しい事態への対応能力を考慮して技術的な基準は計量法本法をいじらなくてもいいような構造にしているが、それでも新しい技術による新しい計量器が登場すると法令の追随は迅速性を欠く。

 計量器は革新する技術のうえにのっているのであるから技術革新と法令との上手な適合は将来にわたって解決すべき課題である。また実際の解決のための作業は新技術を折り込んだ法令・規則に作り直すことである。ある意味ではイタチごっこのように見えるが必要な作業であり、やけを起こして放り出せないものである。

 技術革新と社会制度の適合の見誤りという事例として戦後日本の国語改革がある。

 占領軍に対してアメリカ教育使節団は「漢字は書き言葉としては全廃され、表音文字システムが採用されるべきであり、表音文字としては仮名よりもローマ字がよい」と昭和21年3月に報告している。日本人にローマ字をすすめる理由として@文字を学習しやすい、Aタイプライターその他を使うのに便利、B本が読みやすい、C外国文学の研究に便利、ということがあげられていた。27名の教育使節団の団員中、日本語を解したのは国務省東洋課長ゴードン・T・ボウルス(文化人類学者)ただ一人であり、この人はローマ字論者の占領軍情報教育局のロバート・キング・ホール大尉の意見を鵜呑みにして報告書を作成した。

 ここでは国語改革の是非を論ずるのではなく、社会制度改革に連動しての技術発展を含む制約が含む矛盾のことである。教育使節団は日本語改革の提言のなかで「タイプライターその他を使うのに便利」という理由をあげた。

 コンピュータの発達は、日本語文書を作成するのに文字数の制約、漢字の数の制約ということに関しては問題にならないほどの状態に達している。コンピュータの能力がパソコンという形をとって文章作成その他に利用される状況を社会は予測し得なかった。日本の国語改革はタイプライターという文書作成ツールを前提になされたものであったといってよい。米国人は戦後間もないころでもタイプライターを使用する状況は日本人とは比べものにならないほどだった。アルファベット文字を打ち込むのに便利な当時のタイプライターという機械を絶対化して、このタイプライターの技術で日本語文書を書こうとすると、表音文字のローマ字がいいのであり、もう一つの方法としては仮名文字である。

 当時の日本の社会状況はタイプライターはとんでもない高嶺の花であり、筆記用具で漢字まじりの文章を書くのが普通であったから、ローマ字表記を法律で決めて国民にそれを使わせようとしても実際には実現しないことであったろう。国語改革は旧仮名づかいを改め、漢字を簡略化し、新聞などに使う漢字の量を制限したにとどまった。

 間違った認識をもとに物事を決めることの愚をここに垣間見る。また現在の技術を絶対化して、その技術でこなせることだけで物事を規定し将来をも縛り付けることはいいことではない。

 日本語を表音文字のローマ字表記にする、あるいは仮名表記だけにした場合には現在ある日本語の表現力は抹殺されたことであろう。また小説など文芸も別のものになったであろう。ローマ字だけで書かれた文芸で日本人の人情、感情を表現することは不可能である。

 少なくとも国語改革がタイプライターのための文字ということで強引に推し進められなかったことは幸いであった。文字あるいは将来を含めた日本語のための文書作成ツールとしてパソコンが発展していることは是認されることである。コンピュータの能力向上がもたらす効能は大きく、それはまた別の意味で社会改革をうながすことになる。

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■社説・宇宙で重さがなくなるわけと質量の理解(02年5月19日2445号)

 計量記念日などの催しものに「宇宙体重計」と名付けられた体重計が持ち出され、地球での体重、月での体重、木星での体重がスイッチを押すと表示される。地球での体重に比べて月での体重は軽く、木星での体重は重くなる。小さかったり、大きかったりというように表示される。これは体重を規定するある量が重力加速度に影響されて、軽くなったり重くなったりすることを物語っている。

 地球上の重力加速度は9・8m/2sという約束事になっており、月ではこの重力加速度は地球よりも小さく、木星のそれははるかに大きい。このためにバネの伸縮を原理とした体重計を用いて地球、月、木星で体重をはかると地球での値と大きく違った表示をすることになる。地球、月、木星での体重計の表示にかかわらず、その物体そのものを構成する物質の分量のことを「質量」といい、表示の違いとして現れる「重さ」と区別される。「重さ」は「重量」といっている場合が多く、重さ、重量は質量×重力加速度ということであり単位はN(ニュートン)である。質量の単位はs(キログラム)である。質量は地球でも無重力の宇宙空間でもその大きさは変わらないものである。

 質量1kgは1000立方センチメートルの水を元にして、これを分銅形状の白金とイリジウムの合金である人工の物体に移し替えてこれを原器としている。その物体はパリにある国際度量衡局に保管されており、その物体の質量が1kgということで約束事になってる。人工の物体に依拠しての質量の定義の不十分さは論理的には明らかであるため、別の方法で質量を確実に実現し、定義するための方法が研究されているが、まだ見通しはたっていない。

 体重50kg(これは質量のこと)の人は、地球上では重量あるいは重さの値は50kg×9・8m/2s=490N(ニュートン)の値を示すが、無重力の宇宙船のなかでは重力加速度の値は0だから、重量は0になってしまう。

 重力加速度の値は地球上では一定ではない。日本国内でも一定でなく、また標高によって変わる。その作用は質量測定などでは度外視できないほど大きく、とくに1000目盛り以上の質量計などでは影響が現れるから、この対策を施すことになる。計量法はこの補正をさまざまな仕組みで強制している。計量法の枠から外れた学術分野、工業分野における質量の精密測定などにおいてはこのことに十分な注意を払わなくてはならない。

 日本の学校教育課程では質量と重量あるいは重さの区別を必ずしも明確にしていないため、その混同によって大きな不具合を生じさせることが少なくない。宇宙飛行士の体重50kgが、体重はそのとおりにあるにもかかわらず無重力状態では重さが0になることをもって質量を理解する有効な教材になるであろう。

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■社説・創造性が求められる技術と営業の開発(02年5月12日2444号)

 日本人は受験教育のためか受験制度がだめなためか、マニュアル人間になってしまっている。そのマニュアルが狭い範囲のことだけ規定しているものだから、そこから外れた事態には対応不能となってしまう。マニュアル人間からの脱却が現代日本人の課題になっている。

 明治以降の日本の企業と産業活動の歴史をみるとその大略は西洋技術の輸入と模倣であったといってよい。西洋文明に驚いた日本は社会制度や学校制度も西洋を模倣した。そして技術の模倣には大した想像力はいらなかった。技術を模倣し尽くしてしまうと、行き場がなくなって、同じ技術を安い価格で実現できる中国など東アジアの国々にその後釜を譲ってしまった格好である。

 日本にこの間、独創的な技術や製品がなかった訳ではないが、その大方は改良の域を出ないものが多い。今後日本の産業界が生きていく道は独創的な技術を開発すること、また新しい産業を興すことである。 日本が戦略的に指向する新しい技術としてナノテクノロジーという分野があり、この基礎技術に属するナノテクノロジーによって新しい産業を興そうというものである。ナノテクノロジーの背後にはさらに基礎的な技術として超微細計測技術があり、この分野での挑戦的な活動が独立行政法人産業技術総合研究所を核にして推進されており、同所の計測標準部門で幾つかの研究成果が生まれている。
 計測技術は基礎技術であるが、基礎技術を深く掘り下げるには基礎となる広い知識がいることは当然として、同時に想像力もいる。想像力はファンタジーにも通じるものであり、日本の神話は一種のファンタジーであり、ギリシア神話もファンタジーである。宮沢賢治の童話は日本最高のファンタジーといってよいが、寺田寅彦は物理学的想像力の萌芽がギリシア神話のなかにあるとして、門下生にギリシア神話を読むことを奨めた。宮沢賢治のファンタジーの背後に物理学など自然科学の発想を読みとることができる。想像力はあらゆる創造活動の源であるから、想像力たくましい人を育てることは日本と企業の教育課題である。

 日本人は電車の座席の一人分に満たない席に他の乗客が無言で尻を向けると左右の人が咄嗟に一人分の席をつくってしまう。日本人は人の気持ちを察して、それに従って行動することを身に付けている。このことが、与えられた枠の中で思考し、あえてその枠を超えて想像力を飛躍させることがないという日本人の思考様式になっている。こうした事情から日本で新しいビジネスを興すのは企業をスピンアウトした人間か、米国文化で洗脳された米国帰りの人間に限られてしまいがちである。

 新技術に挑戦し、新しく興きてくる産業分野に挑戦し、成功を勝ち取る企業はいま以上に賞賛されるべきである。ピーマンなどの個別の質量を求めて、一定量に組み合わせるはかりが開発され、この種の計量がその後普及して産業的に国内外で大きな市場を形成したことを思い起こす。日本の企業は発想力を豊にして新技術と新商品の開発にいそしむとよいであろう。新しいことでは音叉の振動数が加えられる力に応じて変化することを原理とする精密で安定性にすぐれたはかりが開発され、新しい市場をつかんでいる。こちらは技術開発の卓抜さとあわせて、新しい市場を確実につかんだ営業力も評価されることになる。

 企業が栄え、産業が発展するためには、技術だけではだめで、市場をつかみ創りだす営業力もまた重要である。技術力と営業力の均衡の取れた開発と展開がまた求められる。その片方だけでは成功はしないのが商品社会の原理でもある。技術も営業も想像力なくしては実現しないものであるから、創造性にあふれた活動が要求される。

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