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  since 7/7/2002

私の履歴書 齊藤勝夫(第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、現千葉県計量協会・計量士会会長)                 

03年、私が千葉県計量協会長として取り組んだ事業
懸案の関東甲信越計量協会・計量士会の協議会の合同開催に漕ぎつける

第5編 なぜ執筆を引き受けたか

寄稿依頼に即答避ける

 「私の履歴書」という、命名された標題に投稿をしてはみてはどうかという大変光栄にして、有難いお誘いが、その筋の親しいお方から昨年10月の関東甲信越計量協会・計量士会合同協議会が終了した直後に、突然お託宣のようにうけたまわった。文字通り降ってわいたようなお話し故、心の準備も、冷静な判断を下す理性も整っていないので即答は避け、むしろ、丁重にお断り申し上げるような口調でお答えを、そのとき次のように申し上げた。
「折角、名誉あるお話ですが、まず、第一に、自分は生来、横着で、物事整理整頓は意に介さないほうであるので、人生の歩みについて記録を、日記とか、手帳に整然として残していない。題名に投稿する上から、致命的欠陥を負っていると思う。ただし、記憶だけは人後に落ちないと自負していますがね。第二は、人様に特定の人間の、しかも、個人の特有の人生のいきざままで、公器たる新聞紙上に載せて善いものかどうか、社会的にその是否を検討しなくてはなるまいと自問するものです。某全国版の商業紙にある「私の履歴書」は、それなりに名の知れた著名人が書かれているが、立身出世の範のように、また、人生の生き方が、そのまま、読者の鏡となって、共感を呼び、自分もそのようにしてみようかと人生の転機の際、大変役立つ人生指針を新聞を通して知り、学ぶという社会的貢献に寄与をしていると確かに多くの読者が感じて認識してくれれば、意義のある「私の履歴書」の欄の企画でしょう。それに較べて、齊藤たる人物の人生の行跡は、はて、どうでしょうか」

歴史の証人としての価値

 分かったような、分からないような言い方をして相手様に失礼になるような返答をしてしまう。どうも歯切れが悪くて自らも釈然としないで、正に思案中。
 寄稿を好意をもって奨める相手様も「そう申されるのも、一応分かります。まあ、そんなに肩に力を入れないで、歩んだそのときそのときで、時代に応じたやり方で、仕事の実績を残したことは事実ですし、その時代背景を背負っての手段、方法、考え方が述べられていけば、立派な事例発表で、現代に必ず何らかのヒントになりますよ。当時の苦労が、今も同じですよ。萎縮することなく前へ進める一助になると信じること疑いなしです。 また、記録に自信がなければ、我々が判明するよう努力します。それでは、手始めに、計量協会と計量士会が、歴史上、関東甲信越ブロックで始めて合同連絡協議会に、共に一緒になって持って行った開催の前後の経緯を書きしたためてはどうですか、歴史の証人として価値ありますか。他の参考になりますね。それを助走として、本題の「私の履歴書」に入ってもらえばよいと思いますよ」。
 ブロック内の出来事を正確に残したいという自分の執念的わが思いにも合致する説示的有難い言葉に、「わかりました。やるだけやってみましょう」申し上げて、人の温もりをひしひしと感じ、決意を未熟ながら新たにした次第です。

 

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